2007年11月

2007年11月20日

イスラエルという地

 それまで、全く行くつもりなどなかった国「イスラエル」へ行くと決めたのは、かれこれ2カ月ほど前になる。

 正確には、”つもりがなかった”のではなく、うちらみたいなパッカーが安易に”入れる国ではない”と思っていた。。

 ところが旅先で話を聞くにつれ、面倒ではあるがうちらでも入国は可能だという事、さらに心配してた治安のほうも、危険なエリアさえ行かなければさほど問題ない、という事が明らかになってきた。

 ただ、イスラエルの入国審査の厳しさは、旅人の間でもちょっとした語り草になっていた。30分以上も掛かる長い面接では、根ほり葉ほり質問責めを受けたあげく、人によっては「入国拒否スタンプ」を押され帰されてしまったり、通過できたとしても数時間も放置された後だったりと・・。

 さらに、イスラエルの「入国スタンプ」というものがこれまた厄介な代物で、イスラエルのスタンプをパスポートに押されてしまうと、なんと大概のイスラム圏の国々では入国を拒否されてしまうのだ。

 これは、例え「入国拒否スタンプ」だとしても、押されてしまえば同じ扱いを受けることになる。

 「それだと今後も旅を続けるのに困る、、」ということで、入国の際に必ずパスポートではなく別紙へスタンプを押してもらうよう頼まなければならないのだが、イスラエル側もそれを承知のクセに、まれに嫌がらせのようにスタンプを押してしまう検査官もいるとの話だった。

 最悪そうなった場合は、いくら泣いてもわめいてもどうにもならないそうで、その時はいさぎよくイスラム圏の旅を諦めるか、もしくはパスポートを盗難・紛失した事にし、日本領事館へ再発行の申請をするしかない。

 しかし、パスポートの再発行を海外でするというのは口で言うほど簡単なものでもなく、それなりの時間と労力は覚悟しなければならない一大事だ。

 ま〜そんなリスク犯すぐらいならそんな国始めから行かなきゃ良い話なんだけど、それでもなお「イスラエル」という国には僕らを魅きつける「何か」があるのは確かだったのだ、、、

 イスラエルの国境へはヨルダンのアンマンからバスを乗り継いで向かった。このアンマンからイスラエルの首都エルサレムに抜けるルートだけが、唯一「スタンプの別紙扱い」が可能とされていた国境だった。

 入国するタイミングについても、旅人の間では様々な噂が飛び交っている。

 「イミグレにはある程度まとまった人数で行ったほうがいい」だとか、、

 「土曜は午前中で閉まっちゃうから平日のほうがいい」だとか、、

 「審査官にはあまり英語が出来ないフリをしたほうがいい」だとか、、

 そんな中うちらが向かったのは土曜日で、しかもたった2人っきりだった、、、

 そんな話を聞いたら誰かと一緒に行きたいのはやまやまだったけど、どうしてもその時タイミングの合う人が見つからなかった。。。

 今まで味わった事の無い類いの緊張を噛み締めつつ、イミグレーション(入国管理局)のゲートをくぐる。中では軍服に身を纏った審査官が、カウンター越しの入国者を一人一人丹念に調べあげている。

 噂通り審査官はみな若い女性だった、、恐らく20代前半ぐらいなもんだろう。イカつい軍服とまだあどけなさの残る顔が対照的だ。

 すぐにうちらの番がまわってきた、、 まずは紙に実家の住所から両親の名前、祖父の名前などの個人情報を書かされ、その後に口頭で、今までに行った国すべてと、その目的を言わされた。今までに行った国の中には、審査の際不利になるといわれているシリアやレバノンも入っている。

 他には「イスラエルには何しに来たのか?」や「イスラエルに知り合いはいるのか?」などの質問に、一つ一つ怪しまれないよう丁寧かつ慎重に答えていった。

 その中で、結婚しているにもかかわらずお互いの住所が違う事を指摘された。

 それに対し「結婚してすぐ旅に出ました」と答えると「ひょっとしてあなた達はハネムーン?」と聞かれたので「そうそう、、ハネムーンですハネムーン!!」と返す。

 すると、それまで厳しかった審査官の顔から初めて女性らしい笑みがこぼれた。うちらはその優しい「笑顔」に安堵を覚えるのと同時に、ひそかに勝利までをも期待した、、

 その後、1時間半ほど待たされたのち”スタンプが押されてない”パスポートが手元に戻され、うちらの入国は無事許可されたのだった。

 イスラエル エルサレム

 

 

 

 

 

 

 

 


 イスラエルの首都「エルサレム」の旧市街では、歩いて回れる程の塀に囲まれた敷地に、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒の3教徒が共存生活を送っている。エルサレムはこの3教徒、どの信者にとっても掛け替えの無い聖地なのだ。

 イスラエル エルサレム
イスラエル エルサレム

 

 

 

 

 

 ムスリムにとって安息日である金曜日、イスラム寺院ではメッカの方角に向かって祈る人々の姿が見られ、かたやユダヤ人は嘆きの壁の前で神殿の再建を願い祈る。また、キリスト教徒はイエスが十字架を背負って磔刑に処せられるために歩いた道、ゴルゴタの丘へ続くヴィア・ドロローサをたどる巡礼を行う。

イスラエル エルサレムイスラエル エルサレム

 

 

 

 

 


 さらにこの地は、遥か4000年も昔から神の名のもとに、あるいは民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台になったという背景がある。

イスラエル エルサレムイスラエル エルサレム

 

 

 

 

 


 (写真上)「聖墳墓教会」キリストはこの場所で磔の刑に処せられたとされている。各国からおびただしい数のクリスチャンが祈りを捧げに来ている。

イスラエル エルサレムイスラエル エルサレム

 

 

 

 


 

 (写真左上)ユダヤ教最大の聖地とされている「嘆きの壁」前では、ユダヤ人信者が壁に向かい昼夜問わず熱心に祈りを捧げている。さらにテロ防止の為、壁に通じる通路では、空港のような厳しい手荷物検査が行われている。
(写真右上)金曜日は伝統的な正装を身にまとった信者達が壁の前に大集結し、普段以上の熱狂に包まれる。中には我を忘れて祈り叫び泣く者まで現れ、その空間はある種不気味とも思えるほどの異様な緊迫を帯びる。

 

イスラエル エルサレムイスラエル ベツレヘム

 

 

 

 


 

 (写真上)ベツレヘムにある、キリストが生まれたとされる馬小屋跡に建つ「聖誕教会」

 

イスラエル エルサレム(写真左)キリストがアセンション(昇天)した場所とされているポイント。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イスラエル エルサレム

 

 

 

 

 

 

 

 (写真上)イエスが泣かれた丘にある教会からエルサレム旧市街を望むと、十字架とイスラムの聖地「岩のドーム」が象徴的に重なり合う。

 

 イスラエル エルサレム

 

 

 

 

 

 

 

 
(写真上)嘆きの壁の向こう側にそびえる金色屋根の建物が、イスラム教徒にとって重要な意味を持つ「岩のドーム」。

イスラエル エルサレム 

 

 

 

 

 

 


 

 この「岩のドーム」は、イスラム教の発端になった預言者ムハンマドが、天使を従え天馬に乗って昇天(アセンション)したといわれている「聖岩」を抱え込むように建っている。 かつてはここにユダヤ教徒の神殿が建っていた。神殿は70年にローマによって破壊されたのだが、神殿を囲んでいた外壁の一部が部分的に残った。それが現在の「嘆きの壁」にあたる部分。

 ユダヤ教徒にとっては、その「聖岩」は世界が創造された際の「基礎石」とし世界の中心であるとされ神聖視されている。 残念ながらうちらが行った時は「岩のドーム」に内部には入る事が出来なかった。

 夜のエルサレム新市街へも繰り出してみたが、そこにはヨーロッパの都会や東京の繁華街なんかと、なんら変わらない華やかな世界が広がっていた。

イスラエル エルサレム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(けど、何かがオカシイ・・・・。)

 

 よくよく見てみると、そこで遊んでるのは決まって中学生か高校生ぐらいと思しき若い子達ばかりで、二十歳以上の年代は殆どと言っていいほど見かけないのだ、、

 しかも、夜中0時をとっくにまわってるっていうのに皆に帰る気配は全くなく、店だって昼間同様とうぜんのように開いている。

 とにかく僕らからすると、このオカシな光景は衝撃だった、、、

(カメラを持ち歩かなかったので写真が無いのが惜しい。。)

 この国は徴兵が義務づけられてるので、徴兵に駆り出される前に青春を謳歌しとけ、というトコだろうか、、

 イスラエルで定められている徴兵期間は、18歳から男子は3年間、女子は1年9か月その後予備役の義務があり、男性45歳まで、女性????もしくは結婚まで毎年1カ月前後軍務に就かなければならないらしい。

 しかし、この兵役を拒否する運動が最近イスラエルの若者たちの間で広がりを見せているそうだが、軍による処罰や一般市民からの非難により卑怯者のレッテルを貼られ、就職することさえ難しくなるとのこと。

 これはある本から、そんな状況下に置かれながらもそれに屈しようとしない、あるユダヤ人青年の主張を抜粋してみた。

 「イスラエル国家が力ずくで作ることに固執している純粋なユダヤ人国家がどのように我々の安全を強化し、結果どのように愛する人々の役にたつのか理解が出来ない。」という理由から兵役拒否を訴えている「ヤイル・ヒロウ」という18歳の高校生男子。

 さらに、うちらが泊まったエルサレム市街にある「ファイサルホテル」は海外からのジャーナリストが集まる宿としても有名で、普通のツーリスト以外にも様々な使命を持った人が泊まっていた。

 そこで会った、日本人「反戦活動家」の方が参加したという抗議運動(デモ)の様子を紹介。

パレスチナ自治区

パレスチナ自治区 

 

 

 

 

 

 このデモはパレスチナ人(アラブ人)がイスラエル国家(ユダヤ人)の不当な搾取に対して行ったもの。

 

 

 

 

パレスチナ自治区パレスチナ自治区

 

 

 

 

 


 イスラエル兵は催涙弾やゴム弾を使ったライフルでこのようなデモの鎮圧を行うが、それに対し「投石」という原始的な形で抵抗するパレスチナ人(写真左下)

パレスチナ自治区

パレスチナ自治区

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 「ゴム弾」といっても人を殺せるほどの殺傷力は十分備わってるそうだ。ゴム弾に打たれ、意識を失ってしまったパレスチナ人。(写真右上)

 

イスラエル ベツレヘムイスラエル ベツレヘム

 

 

 

 


 

「聖誕教会」のあるベツレヘムは「パレスチナ人自治区」にある。自治区の周囲は、十メートル近くはあろう高いコンクリートの壁で覆われており、外部とは完全に遮断されている。パレスチナ自治区に出入りするには、地元の人(パレスチナ人)でも許可書が必要で、中には一方的に壁を建てられてしまった為に、家族や親戚に会いに行くだけでもいちいち厳重なIDチェックと荷物検査を受けなければ会えなくなってしまった人もいるとの事。

イスラエル ベツレヘム

 

 

 

 

 


 

 この他にも、ファイサルホテルにはイスラエルの現状を伝える様々な本や資料が置いてあったので、自分もそこに居るあいだは出来る限りそれらに目を通した。

 どうやら、イスラエルには「パレスチナ問題」という最大の課題が残されているようだ。それについて、ユダヤ人、パレスチナ人、双方の意見を本から抜粋してみた。


 
「ユダヤ教こそが真の行き方を教えていて、全ての人が聖書の教えを守っていたらテロは起きなかった」と主張するユダヤ教正統派の神学生16歳。


 「今の紛争はユダヤ人が統一しなければ終わらない。全ての世界とアラブ人はユダヤ民族に属し、ユダヤ人が支配する。」と答えたユダヤ教徒17歳の高校生女子。


 「私の爆弾の破片が敵を殺し、自らも死ぬことはどんなに素晴らしいことでしょう。殺人がしたいわけではなくパレスチナ人が他の民族と同じように生きることを望んでいるからです。次の世代のために死ぬのです。神が望むなら不正義は消え、勝利は我々のものになる」

 これはエルサレム郊外の住宅地を走る路線バスで自爆テロを起こした、アンナジャフ大でイスラム学を学んでいたムハマド・アルゴウル(22)の遺書。


 イスラムでは、敵の侵略に直面した場合、神のために自らを犠牲にして戦う事がジハード(聖戦)として称賛されている。殉職者にはアッラーの祝福と・褒美が約束され、最後の審判を受けずに天国に入るとも言われている。


 夢「自爆」、趣味「投石」と答えたパレスチナ人14歳の少年。7歳のころから投石を始めてこれまで25回撃たれた。一度イスラエル軍のジープに引かれたこともある。小学5年生のときバスに火をつけた容疑で逮捕され1カ月刑務所に入った。自白剤の入った水を飲まされ、火をつけて無いにも関わらず、ハイと答えた。どうしてなのかは自分でも分からない。


 さらに、アフリカは「エチオピア」の、とある宿に置いてあった情報ノートに書かれてた内容がとても印象深かったので、そのままの形で紹介します。

 ※情報ノートとは???
 旅人による旅人の為の情報交換用ノートの事。そこには旅のつわども達の手によって様々な内容が記されており、旅をより価値あるものにする為の生きた情報が満載されている。日本人利用が多い宿でなら世界中で目にすることが出来るが、基本的に旅人の善意で設置されたものが多い。

情報ノート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報ノート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく「イスラエル」という「地」を手にいれた(取り戻した?)が、それだけでは飽き足らず、頑なに純粋なユダヤ人国家建設に固執するユダヤ人、、、


 数世代前からそこで生活を営んできたにも関わらず、一方的かつ強引なやり方で土地を追われようとしているパレスチナ人、、、


 この問題のきっかけになった「三枚舌外交」といわれているイギリス政府の無責任さ、、、


 中東の利権を狙ったアメリカからの、過剰なまでのイスラエル(ユダヤ人)に対するバックアップ、、、


 間接的ではあるが、その片棒を担いでいる日本の政治家とそこ注がれる国民の血税、、、


 戦う武器を奪われてもなお、投石や自爆という形で自らの誇りを貫こうとするパレスチナ人、、、


 

 あくまで個人的な見解で言わせてもらうと、、、

 ユダヤ人というと、どうしても「アウシュビッツ」での大量虐殺や各地で迫害されきたイメージが強く、今まではどちらかというと被害者的な立場で捉えていた。

 しかし、イスラエルで見たユダヤ人は自分達が受けてきた苦悩と同じようなことを、パレスチナ人にしようとしている。 それもイスラエル側にもう少し「共存」していくという姿勢があったなら、少なからず今ほどは血なま臭い状況になってないんじゃないかと思う。


 そして、この現実を”知った”僕らは、同じ地球に住む一員として一体何が出来るか、、???


 奇しくも「イスラエル」という地は昔からキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の3つの宗教の聖地とされ、今なお多くの人々から崇められている。

 だが皮肉にも、そこは国家と民族の欲望が現代的な手法で狡猾に具現化されている地でもあった。それは同時に現在の人類の「在り方」の側面を象徴する現実でもあるのだろう。


 とにもかくにも、、、


 僕らの眼に映った「イスラエル」とは、そんな地であった、、、

 



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2007年11月19日

ヨルダン

ヨルダン アンマン

ヨルダン アンマン

 

 

 

 

 


 (写真左)ヨルダンの首都アンマンの町並み。数年前までは、ニュース等で頻繁に「アンマン、アンマン」と叫ばれていたが、いざ来てみたら何てことはない、今ではのんびりした平和な町に見える。
 (写真右)ムスリム女性が着る普段服。同じイスラム教徒でも、国や地域によってデザインや色などが微妙に違う。ここまで色鮮やかなモノもなかなか珍しいが、頭から手足の先まで全身黒づくめファッションの人も少なくない。

 

ヨルダン アンマン

(写真左)中東でよく食べられている「ホモス」という不思議な味のする食べ物。

ゆでてスリ潰したひよこ豆とスパイスのペーストの上にオリーブオイルをかけたもの€で、これをパンやフライドポテトに付けて食べる。

個人的にはそんなに美味いモノでもないと思うのだが、人によっては結構ハマるようだ。。。

 

 


 



 《死海 DEAD SEA》ヨルダン 死海
ヨルダン 死海

 

 

 

 


 
 遥か大昔の地殻変動により行き場を失った海水が、長い年月をかけて蒸発してきたために、今では塩分濃度が極端に高くなってしまったという湖。

 カナヅチでも全く心配いらない浮き輪いらずの湖だけど、だからといっていきなり「キャー♪」とか言って飛び込んだりすると大変なことになるので要注意!!!

 (※水がモーレツに目や傷口に染みるので、そのまましばらく固まりマス・・)

  しかしそれは、一切の生物をよせつけないといわれる「死の海」を身をもって体感出来る瞬間でもある。。。

 海底の泥はミネラル豊富で泥パックにもなるそうで、浜辺では女性のみならず男性までもがせっせと泥を塗りたくってる姿が目についた。ここで採れた塩や泥は「死海グッズ」として製品化されていて、土産屋などで購入可能。


 

 

 《ペトラ遺跡》
 ヨルダンの首都アンマンから約4時間。こ地はながい間外の人間に知られぬよう隠され守られていた秘密の都市。2000年以上前、アラビア半島からやってきた遊牧民のナバタイ人やベドウィンによって栄えた。

 

ヨルダン ぺトラ遺跡

ヨルダン ぺトラ遺跡(左写真)のような切り立った岩のあいだを20分ほど歩くと、突如目の前に壮大なスケールの神殿「エル・ハズネ」(写真右)が現れる。ここはかの有名な「インディージョーンズ・最後の聖戦」の舞台となった神殿。幅30m高さ43m、紀元前1世紀〜後2世紀に造られたとされる。

 


 

 

 


ヨルダン ぺトラ遺跡ヨルダン ぺトラ遺跡

「インディージョーンズ」好きの自分としてはまず外せない遺跡。岩を削って造られた見事な神殿もさることながら、なによりその立地が素晴らしい。長い間人々に隠され守られていた「秘密都市」という部分にも大いに想像力をかきたてられる。見ごたえ十分な遺跡の一つだった。

 

 

 

 

ヨルダン ぺトラ遺跡ヨルダン ぺトラ遺跡



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2007年11月10日

レバノン

 レバノン トリポリ

 (写真)トリポリ中心地の様子



 中東では詐欺や強盗、スリといった「軽犯罪」は基本的に少ないのだが、ことのほか「テロ」の危険性についてはどうしても拭い切れないようだ、、、

 レバノン トリポリ レバノン トリポリ

 (上写真)一階部分は店舗として修繕が済んでいるが、二階部分はいぜん吹き飛んだままの状態になっているトリポリにあった雑居ビル。


 

 1970年代までのベイルートは、かつて「中東のパリ」と呼ばれており、中東にいながらヨーロッパの雰囲気を味わえる都市として有名だった。

 レバノン ベイルート

 しかし、1975年から15年に渡って内戦が繰り広げられたことによって、その町並みの半分が瓦礫と化した。

 その後は急ピッチで復興を進めたお陰で、町も再び活気を取り戻しつつあったのだが、つい最近起こった(らしい、、)テロにより、街の中心地ダウンタウンではヨーロッパのような整った真新しい町並みとは裏腹に、昼間でも極端に人気が少ない「ゴーストタウン」と化しているエリアがある。

 レバノン ベイルート レバノン ベイルート


 レバノン ベイルート

 (上写真)レバノンのベイルート市街地にそびえ建つ穴だらけの高層ビル(※恐らくパレスチナ問題でイスラエルに攻撃されたと思われる。)遠めに見てもハッキリ分かるほど、複数のミサイル跡や弾痕が生々しい。街を歩いてて偶然発見したものだが、あまりの衝撃に震え上がってしまった、、、

 他にもダウンタウン付近は、映画でしか見たこともないような強靭なバリケードで道路が封鎖されていたり、道路脇には武装した複数のソルジャーが戦車とともに待機していたりと、何とも言い難い緊迫した空気がたちこめている。

 ちなみに、これらの写真撮影は禁止されていてソルジャーに見つかると怒られる・・・。

 もちろん、このエリアからはすぐに立ち去りました、、、(冷汗)



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2007年11月06日

中東最前線

 シリア アレッポ

 僕らはトルコからバスと乗合タクシーを乗り継ぎ、トルコの南に位置する国「シリア」へと抜けた。シリアへ入ると途端に、それまでのどちらかといえば「ヨーロッパ寄り」だった雰囲気から一変し、よりイスラム色の強い「アラビアン」なムードが濃くなる。

 しかし、この一見どこか恐ろし気でもある謎めいたイメージとは裏腹に、中東の人々は僕ら旅人に対し、と〜〜っても親切だった。

 まず、道を歩いていると「ウェルカム!!」と挨拶してくれる人が、大人子供ともに、非常に多いことに驚かされた。

 うちらのような外国人が道端で立ち止まろうものなら、心配して声を掛けてくれる人も多いし、その辺の人に道を尋ねれば方向が違くてもわざわざ連れて行ってくれる人も多い。

 とはいっても、イスラムの女性が自分から見ず知らずの男性へ話しかけるという事はまずないので、主に男性に限るが、、

ま〜今までにもそういう人は居るには居たが、大概しょうもない下心がある場合がほとんどで、その後、逆に困らせられるケースの方が多かったのだ、、

 そんな中東の人々の「下心抜き」の親切は、日頃なにかと気を抜くことが出来ないうちらのような旅人の心に、深く優しく染みわたっていったのでした。

 これは中東の国々で大半の人が信仰しているイスラム教の教えの一つでもあるそうで、そこでは訪問者に対する「もてなしの心」なんてモノについてまで謳われているらしい・・。

 そんな教え、、、うちら旅人にとっては何とも有難いかぎりだ♪

 


 ☆☆お肌しっとりアレッポ石鹸☆☆

 シリア アレッポ

 シリアのアレッポといえば、最近日本でも流行ったオリーブオイルを使った石鹸で有名。オリーブオイルの含有量にもよるが、日本ではだいたい一個500〜800円ぐらいで売られている。それがココだと一個数十円から良い物でも二、三百円程度で買えてしまう。ゆりは日本にいるときからコレの愛用者で、この石鹸の山を見るなり眼を輝かせながら駆け寄ってった。。。

 

 ☆☆シリアのチキンは絶品☆☆

 シリア ダマスカス シリア ダマスカス

 旅人の間で通称「ぐるぐるチキン」と呼ばれていた鶏の丸焼き。何処の店でもフル(一匹)、ハーフ(2/1)、クォーター(4/1)から注文できる。値段はフルで400円〜500円ぐらいが相場。頭と内臓を処理した鶏を丸ごと一匹専用のグリルで「ぐるぐる」と回しながらこんがりキツネ色になるまで焼く。コレに好みで塩やガーリックマヨネーズをつけアツアツに手づかみでカブりつく、、皮のカリっとした香ばしさと、身からあふれるジューシーな肉汁の対比はまさに感動モノ。。中東ならわりと何処でも食べられてるが、うちらの中ではシリアのダマスカスで食べたやつ(上写真)が見事No.1に輝いた☆☆☆

 

 《クラック・デ・シュバリエ》

 シリア クラック・デ・シュバリエ

 シリア クラック・デ・シュバリエ シリア クラック・デ・シュバリエ

 ここ「クラック・デ・シュバリエ」は、宮崎 駿アニメ作品「天空の城ラピュタ」のモデルになった!?と日本人の間で噂されている城。うちらはそれだけの理由で遥々足を運んでみた。朝早く行ったせいか、観光客はあまり居なく閑散としていた。この城は山の山頂に建っている為、運よく霧がかかると、まるで雲の中にそびえ建つ城のように見えるらしい。その姿が天空の城ラピュタのようだと言われてるのだが、、うちらが行った時は運悪くも!?スッキリと晴れてしまっていたので、そんな気配はまるで感じずに終わった・・。十字軍が残した城の中で最も保存状態がよいとされている。


 

 《 シーシャ(水タバコ)に挑戦!!!》

 シリア ラタキア

 中東に入ると、おじさん達がカフェや家の軒先などで、この水タバコをプカプカとやっている姿をよく目にする。葉っぱにはフレーバー(味)がついており、アップル、メロン、ストロベリー、ミント、とまるで子供のお菓子のよう。煙はいったん水を通すので普通のタバコに比べ遥かに吸い易く、確かに煙の残り香にフレーバーの味がする。一回の量は二人で吸っても30分ぐらいもつのだが、普段タバコを吸わないうちらは途中から頭がクラクラ。。。少し気持ち悪くなってしまった、、値段はカフェなどで一回200円ぐらいから、その辺の公園に出てる店なら100円ぐらいでいける。ヒゲ面のイイ年したおじさん達が真昼間から集まり、今日はアップルだのストロベリーだの言いながらモクモクしてる姿は何とも平和で微笑ましくもあった。。


 

 シリア ダマスカス シリア アレッポ
 
 (写真左)旧市街オールド・ダマスカスにある「スーク・ハミディー」。このスーク(商店街)はアレッポと並びアラブ世界でも特に巨大なもの。両脇には細い路地が何本も走っていて、商品は金から食料品まで幅広く扱われていた。シリア人いわく「ここで探して見つからないものはない」とのこと。ここで売られているアイスクリームはかなりの絶品です☆ 
(写真右)肉に囲まれて嬉しそうな肉屋のオヤジ。



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