2008年01月

2008年01月26日

サファリツアー

 暴動続きのケニアを早々に抜け、次にやってきたのはタンザニアのアルーシャという街。

 ケニアでサファリに行けなかったかわりにココで申し込むことになったのだが、それが高いのなんのって、、、

 ケニア(ニューケニアロッジのツアー)では、1人[US75ドル/日]前後で済むところが、ココでは1人[US130ドル/日]もする。。。

 しかも最低3日からと言われてしまったから、これが二人だと結構な額になってしまうのだった、、、

 しかし、ココまで来ておいて“サファリ”に行っとかないと、何の為にアフリカくんだりまで来たのかが分からなくなっちゃう・・。

 ということで、ココは潔く申し込んできました。。。。。。。。

 

 ★★★★★ タンザニア3泊4日サファリツアー ★★★★★

 4日間で計4ヵ所の国立公園に行ってきました〜!!!

 【1日目】・・・マニヤラ湖ナショナルパーク

 【2日目】・・・セレンゲティナショナルパーク  

 【3日目】・・・ンゴロンゴロナショナルパーク

 【4日目】・・・タランギーレナショナルパーク

 うちらの申し込んだツアー会社では、宿やテントその他に必要なものは全て会社側で用意してくれた。

 一緒になったメンバーはというと、うちらの他にチェコ人の2カップルとガイド兼ドライバー+コックの計8人。

 仕度も整い、それではいざ出発〜〜〜!!!!!

 

タンザニア サファリ

タンザニア 

 

 

 

 

 


(写真右)うちらのジープを見るなり、モーレツな勢いで駆け寄ってきたバナナを売りのおばちゃん達。。。

 

 【1日目】 マニヤラ湖ナショナルパーク

一番最初に発見した動物はサル。

 でもあんまり感動はないかな、、、

 だってサルだもん・・・。

 そのあと観れたのは、キリン、ゾウ、バッファロー、バンビ、インパラ、カバ、イボイノシシ、ペリカン、その他にも名前も知らないような動物達、、、これにはマジで感動☆

タンザニア サファリ

タンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

タンザニア サファリタンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

 初日にしてはなかなか上出来だったと思う。若干天気が悪いのが惜しかったけど、、、

 それにしても、自分が小さいころからTVで何度も観てた“アフリカのサファリ”に、今自分がこうして実際来てることを思うと、それだけで感慨深いモノがある。。。

 無事初日も終わり、夜は見晴らしが最高のロッジで皆と美味しい夕食を食べた、、♪

 

 【2日目】 セレンゲティナショナルパーク

 8時に朝食を食べ始め、10時近くになってからようやく出発、、、

 それにしても片付けと準備がチンタラしすぎな気がする。。。

 サファリって朝が勝負のはずじゃなかったっけ・・・!?

 しかも、今日観れたのはキリン、シマウマ、ヌーの大群だけ、、、

タンザニア サファリ

タンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

 それと、マサイ族が槍を持ってウロウロしている姿も。。。。
(彼らはナショナルパーク内に住んでいます※写真上左)

 とにかく、あまり時間がなかったせいでそのぶん見れた動物も少なかった。

 というより、どう考えてもガイドが起きるのが遅いせいで、出発自体も遅くなり過ぎたのだ、、、

 あげくの果てに、ガイドのクセに道に迷うこともしばしば。。。

 今日の宿泊先はボロくてちっさい2人用のテント。。。でも、張る場所が絶景のポイントだから朝は気持ち良さそう、、、(写真上右)

 そんなことを思いながら夕食の仕度を待ってると、今日の仕事ぶりに業を煮やしたのか、チェコ人4人が一致団結してガイドのジョージにブチ切れはじめた、、、

 チェコ人 「明日は6時に起きて朝食後、6時半には出発だー!!!(怒)」

 ジョージ 「ハァ〜6時、、、!? そんな無茶な〜、、、、、」

 みたいなやりとりが、食後まで延々と続いた。。。。

 一応、私達も同じグループなので話し合いには参加したのだが、、、

 うちらとしては正直、、、

 「だったら、あんたらもあんたらで何でしっかり前日までにスケジュール確認しないのさ〜っ、、、」と言いたいところだった、、、

 しかしうちらは、実のところ3日間分の料金で4日間のツアーに参加していた為、あまり強くは言えなかったのです。。。(苦笑)

 最初に旅行会社で申し込んだ際、私達は2泊3日で十分だろうと思って申し込んだのだが、このチェコ人達はどうしても3泊4日行きたいということで、当日になってから追加の1日分は旅行会社の計らいでタダにしてもらっていたのだ。

 (もちろんこの事をチェコ人達は知りません。。。。。)

 この口論は深夜まで続いたが、いい加減疲れ果てた私達はさっさとテントの中へ、、、

 

 【3日目】 ンゴロンゴロナショナルパーク

 昨晩の話し通りジョージもしっかりと朝6時には起き、朝食の分をランチボックスにし「暗い・寒い・眠い」の三拍子揃ったなか、半ば強引にジープに乗り込んだ。

 今日のポイントは「クレーター」といわれる巨大な噴火口跡だ。

 このポイントは今までの中で一番見ごたえがあるトコだった。このエリアには今まで人間が住んだ歴史が無いために、動物たちの本来あるべく“生き生きとした姿”が完全な手付かずの自然の中でかいま見るコトが出来た。

タンザニア サファリタンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

タンザニア サファリ

タンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

 今日見た新たな動物は、ライオン(雄雌)、ハイエナ、サイ、ジャッカル。中でも百獣の王「ライオン」をかなり間近で見れたってことで、このサファリではもう言い残す事はない。。。

タンザニア サファリ

タンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

タンザニア サファリ

タンザニア サファリ

 

 

 

 

 

 

 この、攻撃的な自然剥き出しの“サバンナ”と、いまだかつて見たことないほど動物達が“生き生き”と躍動している姿、、、

 正直、高すぎるあまりそんなにテンションの上がらなかったサファリツアーだったけど、もうその光景を目の当たりに出来ただけで「本当にアフリカまで来て良かったなぁ」と素直に思った。。。

 

タンザニア サファリ 午後はあまった時間でロッジ近くの村を散策した。

思いのほか村の人々は観光ズレしてなく、こちらが挨拶をすると、決まって「ジャンボッ!」挨拶を返す、と恥ずかしそうな笑顔が印象的だった。。

生活水を汲みにきた少年達(写真左)

 

 

 

 【4日目】 タランギーレナショナルパーク

 今日も8時ぐらいからのんびりと朝食を食べ始める。

 昨日たくさん動物を見せることが出来てもう満足してしまったのか、ジョージは今日も朝が遅い、、、

 っていうかよくよく考えたら昨晩から見てないし。。。。。

 朝食後、とっくにみんな準備は出来てるというのに、肝心なドライバーが車ごと行方不明・・・。 

 1時間ほど待ったところで、ジョージはようやく戻ってきた、、、

 そのせいで、結局出発したのは10時頃、とまた遅くなってしまうのだった、、、

タンザニア サファリ

 最終日の今日は新たな動物は見れなかったけど、その代わりに「バオバブの木(写真左)」を大量に見れた。

 そして午後になってから、チョコ人とジョージがまたモメだした。。。

 「このNPにはたった3時間しか居れなかったうえに、まだ端っこにしか行けてないんだからそれじゃ終われない!!」と、チェコ人の主張。

 しかしジョージも、「今更それは出来ない!!!」の一点張り。。。。。

 『行け!、行けない!!、行け!、行けない!!、行け!、行けない!!、、、、、、』

 って、だから今朝も早く出ときゃこんな面倒な問題起きないのに〜。。。。。

 昨日あれだけ怒っていたチェコ人は、今日はさらに火に油を注いだように“カンカン”だ、、、!!!

 そりゃ〜そうだろう、、、、、、、

 ジョージも一昨日それで揉めてんのにまた同じことやってるし。。。

 ホントに大したものだ、ココまでくると流石としか言いようがない。。。。。

 うちらは、そんなやりとりを横目に 、、、

 「でも、チェコ人も土壇場になってそんだけ怒るんだったら昨日のうちにちゃんとスケジュール合わせとけば良かったのに・・・」

 「でも、うちらはうちらで3日分の金しか払ってないから他のメンバーほどムキにならずにすんでるけど、もしきっちり払ってたらそんな余裕ないんだろうねぇ・・・」

 そんて事を話しながら、チェコ人には悪いと思いつつ、うちらはうちらの立場でちゃっかりサファリを満喫させてもらっちゃいました。。。。。

 ※サファリツアーでは最初にきっちりガイドとスケジュールの確認をしておかないと、よくトラブルが起こるそうなので予定のある方はその点ご注意を、、、

 



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2008年01月20日

ナイロビ非常事態宣言

 ケニア ナイロビ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 ナイロビ初日の晩は、久々にぐっすり良く眠れた。ベッドの有難さが骨身にしみた一夜だった。

 翌日の朝は少しゆっくりしてから、午後ネットカフェへ行き、何日か振りにメールのチェックをしていた。

 すると、突如ネットカフェにいた客達が、一斉に窓の外に身を乗り出し何やら騒ぎ出した。

 いったい何が起きてるのかと思いきや、そこでは完全武装したソルジャー十数人が、すごい勢いで多数の市民を追い回してる姿が目に飛び込んできた。

 何処からともなく報道カメラマンまで現れ、そこら中で催涙弾が飛び交い、辺りは白い煙でモックモク。。。

 周りに居た一般市民も、巻き添えを食わないよう必死に逃げ回っている。たまたまそこに居あわせただけで攻撃されそうな勢いだ。

 その日の晩、その時の映像がニュースとしてテレビに流れた。

 この騒ぎの原因は、年末にあった大統領選挙の集計に不正があったとか無いとか、、、で、それ以来こんな調子が続いているらしい、、、

 このような暴動が、滞在してる間毎日のように起きた。ナイロビ自体は都会で近代的な街なのだが、そんな緊迫感もあってか、この街には何処かただならぬ雰囲気が漂っている。

 別の日には、街を歩いてたら前から凄い勢いで大量の地元民が走ってきたことがあった。その後方では見覚えのある白い煙があがっている。

 「また始まった!!!」と今度はうちらが巻き添えを食わないよう、地元の人と一緒に全力で走って逃げた。

 ココは政府も警察も腐りきってるうえに、強盗が出たからといって周りの人は恐いからと見て見ぬフリをするような国らしい、、、

 『自分の身は自分で守らなければ誰も助けてくれない』

 こんな切迫した緊張感は旅に出てから初めて味わう。。。

 ナイロビでは「サファリツアー」に参加しようと思ってたのだが、当然こんな状況なので、結局4日待っても全く人は集まらず、、、

 この情勢はしばらく落ち着きそうもないので、仕方なくケニアのサファリは諦め、すぐ隣の国「タンザニア」へと抜けることにしました。。。

 ケニア ナイロビケニア ナイロビ

 

 

 

 



(写真左)宿の部屋から撮影した夜のナイロビ風景。人影も殆ど無く閑散としている。
(写真右)ケニアのバスはド派手★この風貌で音楽をガンガンに鳴らしながら爆走する。



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2008年01月16日

地獄のローリー30時間の悪夢

 朝8時頃、エチオピア側のイミグレへ向かってる途中、アジスアベバのホテルで出会った日本人、のり君とまゆこちゃんカップルにばったり出会った。

 さらに、そのままケニア側の国境を越えた後、首都ナイロビに向かうローリーも一緒に乗ることになった。このローリーというのは、いわゆる日本でいう貨物トラックのようなもの。

 この国境からナイロビまでの移動区間は、アフリカを旅する旅行者の間でもかなり有名で、うちらにしてもアフリカの中でも最も恐れていた移動だった、、、

 何を恐れていたかというと、、、

 まず、この区間は昔強盗が多発してた為かバスの定期便が少なく、仮にあったとしても未だに危険度が高いという噂がたっていたのだ。

 そこで、バスの代わりとして唯一、地元の人の移動手段となっているのがこのローリー(貨物トラック)のヒッチで、これだと強盗が多発する地域を通らずに迂回ルートをとる為、比較的バスよりは安全だという。

 しかし、、、

 危険を回避出来るのは良いとしても、このローリーはあくまで貨物トラックなので、当然その荷台には貨物が積まれているのだ。したがって「その貨物が何なのか?」という点がうちらにとっては非常に重要なポイントになってくるのだった。

 うちらが当たったローリーは、運よく豆の詰まった袋を積んでいたのでその上に乗る事が出来たのだが、運が悪いとヤギや牛などの家畜を載せたヤツに当たるらしい、、、

 その場合、もちろん荷台には乗ることが出来ない。 じゃあ一体ドコに乗ることになるのかというと、荷台を囲っているジャングルジムのような鉄パイプの上、、、(写真下)

エチオピア-ケニア国境

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 これも短時間の話なら何て事は無いのだが、どれぐらいその状態でいなきゃならないかは、ドライバーの都合や気分次第なので、正直ハッキリとした時間はうちらには分からない。

 運が良くても20時間以上、運が悪ければ2泊3日とか掛かっちゃう場合もあるとのことだ。こんな最低な状況なので、この区間だけはやむ終えず飛行機を使う旅人も多い、、、

 うちらも、これだけは割増で金を払ってでも助手席を確保するつもりでいたのだが、他にもっと金払いの良い上客が現れた途端、あっけなくうちらの確保した席は無くなってしまっていたのだった。。。

 しかも、その上客がまだ小さい子供を連れたファミリーだったっていうんだらから始末が悪い、、、

ケニア そうなった以上、うちらも「これも運命か、、、」と潔く諦め、のりくん、まゆこちゃんと一緒に豆が満載された荷台へと乗り込んだのだった。

 そのトラックには、最終的にうちらの他に地元の人が30人近く乗り込んだ。まるで難民を乗せてるかのように狭くむさ苦しい環境、、、

 トラックの荷台には幌が掛かってると喜んでたのもつかの間、走り始めると幌の透き間から大量の土埃がモクモと舞い上がってきた。

 それはそれはヒド過ぎて、まともに前も見えなければ呼吸も出来ないという状態が続く。こんなホロならまだ無いほうがマシだったかも、、、

 さらに、道がボッコボコの荒れ地にも拘わらず運転がメチャクチャ荒く、荷台内の揺れ方もハンパじゃなかった。。。。

 「衝撃で身体が十数センチ宙に飛ばされたかと思った次の瞬間には、下の固い豆袋に叩きつけられる、、、」という状態が数分おきに延々と続いた。

 しばらく乗ってるとアチコチが打ち身のような状態になってきて、ゆりなんて後から全身青あざだらけになってしまったほど、、、

 休憩もどのタイミングでとるのか全く分からないので、トイレに行きたくならないようあまり水分を摂ることが出来なかった。

ケニア そんな中でも唯一、幌の上からの眺めはなかなかのもので、野生のキリンやラクダを目撃するという嬉しいハプニングも、、

 しかし、 夜は夜で激しい揺れに加えて、真っ暗闇のなかを地元民と密着した状態で一緒に豆袋の隙間に埋まってしまった為、とてもじゃないけど寝るなんていう状況じゃなかった、、、


  「これ程ながく感じる夜が今までの人生で果たしてあっただろうか、、???」

 ふとそんな事を考えてしまってる程、キツくながい夜だった・・。

 ようやく夜が明けたと思ったら、今度は追い打ちをかけるように雨が降りだしてきた。穴の空いた幌からは至る所で雨漏りしだし、それにあたると体温が奪われるのでおちおち横になってもいられなかった。

 途中、ポリスによる検問も何回かあり、その度に外国人のうちらは執拗にパスポートをチェックされた。

 そのうちの一回は、難癖をつけられて賄賂を請求されそうになったのだが、英語が分からないフリをして何とかごまかした、、

 しばらくの間、心身共に疲れきった4人の放心状態が続く・・。

 何時着くかも分からない状況の中、うちらに出来る事といえば、一刻も早くこの現実に終わりがやってきてくれる事をただただ願うのみだった。

 乗る前に「ナイロビには早朝ぐらいに着く」と聞かされてたのだが、結局着いたのは午後4時近くなっていた。それもナイロビの手前50kmの地点で、、、

 ローリーが急に市場に入ったと思ったら、今度はいきなり積み荷の豆を下ろしだしたので「何時に終わるんだ?」と確認したところ「7時まで待ってくれ」と言い出したので、もう呆れて自ら降りたという始末、、、

 ナイロビに着くのが夜になるのはかなり危険という話だ。しかし、トラックを降りたのは良いが自分らが今いったい何処に居るのかさえ分からない。

 そんな状況から必死に乗合タクシーを乗り継ぎ、倒れ込むようにナイロビにある日本人宿「ニューケニアロッジ」へ到着したのであった。

 この道程には計30時間ほど掛かったが、これでもうちらの場合は豆だったからまだマシだったらしい。

 だからといって、、、

 「もしこれが家畜だったら・・・」なんて事は今さら想像したくもない。

 これは後から聞いた話だが、このローリーには家畜のさらに上をいくという「鉄クズ」という積み荷も存在するらしい、、、

 家畜であれば、仮にバランスを崩して下に落っこちたとしても汚れるだけで済むのだが、それは落ちたが最後、鉄の破片が刺さって大ケガをするという話だ・・。

 そんなフザけた話、うちらにとっては笑えもしないが、、、

 とにかく、豆だろうが何だろうがこんな移動これっきりでもう二度とゴメンだ・・・。



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2008年01月14日

エチオピア脱出計画

 アルバミンチという町から、多数の民族が集まるといわれているジンカという村へ行く途中だった。

 火曜と土曜に行われるジンカのマーケットには、周辺に住んでいる先住民族が物を売りに集まってくるのだ。そこでは、きっと皆さんもTVで見たことある「下唇に木の皿を入れたムルシ族」などのほか、多数の民族が実際目のあたりにできるという話だった。

 その日は朝4時に起き、5時前にはターミナルに到着。 ゆりが必死の思いで確保してくれたゲロ臭いシートにゆられること4時間。。。

 途中「コンソ」という町で小休憩してたときのローカルの一言でそれは決定的となった、、、


 「今からジンカに何しに行くの?」


 「マーケットだけど・・!?」


 「マーケットは土曜だよ、、」


 「えっ火曜もあるんじゃないの!?」


 「ないよ、、」


 「。。。。。」


 マーケットは土曜の他に火曜もあると聞いていたので、うちらは何とかそれに間に合うように向かっていたのだったが、、、

 この一言によって即座にジンカ行きをあきらめたうちらは、その場ですぐにバスを降りることにした。どうせなら、とそこに1泊してこうかと思ったが、よくよく調べるとココは隣町までの交通手段が週2回しかないようなとても辺鄙な村。

 慌てて、たまたま声をかけて来た若者に移動手段がないか聞いてみる、、、

 すると、、、

「ちょうど今からモヤレ(国境)まで行くトラックが一台あるから、それなら今日中に間に合うよ!」という事だった。

 うちらにしてもジンカ行きが無くなった今、もうこんなシンドい国は一刻も早く脱出したいところ。

 「料金は二人でUS25ドル・・・えっ、、、25ドル???」

 この国の物価からしたら相当高い額がラストプライスだったけど、疲労からくる面倒臭さがどうしても先行してしまい、結局最後はコッチが折れることに、、、

 一体どんな車が来るのかと思いきや、やってきたのは“ボロいトラック”の荷台に、さらにボロい”カローラワゴン”が積まれているという、人を乗せるには何とも風変わりなスタイルだったのだ。

 「ハぁ〜、、コイツらが仕切りにトラックなのに“快適”だの“リクライニング”だのと、意味のわかんない事を言ってたのは、この荷台のワゴンに乗れって事だったんだなぁ、、、」

 ま〜情けないスタイルではあるが、エチオピアのバスに比べたらオンボロとはいえ、カローラワゴンのシートの乗り心地というのは“極楽”に思えるものだった。

 しかし、うちらだけのプライベートという約束にもかかわらず、途中から5人ぐらいの人間を後部座席に詰め込んできた。

 で、例のごとく暑いからと“窓を開けようとする”とやっぱり怒るのだ、、、

 「なんでだ!?」とワケを聞いても、ポリスがどうとかよく意味の分からない理由をつけて何とか窓を閉めさせようとするのだった。。。。。

 そんな状態でドライブすること7時間、、、ようやくエチオピアとケニアの国境の町「モヤレ」までたどり着いた。

 宿は何処もブンナベット(売春宿)で、安いかわりに半端じゃなくチッタナイ・・。

 何軒か探したなかでも、まだ1番マシだったトコに決めたが、案の定水が止まっててココでもシャワーは浴びられなかった、、、

 でもその夜は、エチオピア最後の晩にと「ぬるいビール」と「インジェラ」をしこたま頂き、ぐっすり眠りにつきましたとさ。。。。。

 それにしてもぶっちゃけ、エチオピア人の脳ミソの足り・・(失礼)、、というかうちらとの“思考力の違い”には本気で驚愕してしまった、、、

 それを思うと、本当に失礼な話かもしれないけど、、アフリカで唯一植民地支配を免れたというそのワケと、まったく関係ないとも言い切れないんじゃないかという気がしてならない。。。

 ココまでくると逆に、どうして同じ人間なのにそれだけの“差”が生まれたのかを知りたい。。。。。


 これは“エチオピア人”だけに限った話なのか、、、!???


 この差は“教育程度の差”なんていう単純な理由で説明がつくのか、、、!???


 それとも、遥か昔から続いてきた“人間の進化”に関ってくる話なのか、、、!???


 ま〜結局それも分からず終いで、明日にはこの国を脱出してしまうんだケド。。。。。

 あぁ、一体全体ナンだったんだろうなこの国は〜。。。。。?????

 

エチオピア アワサエチオピア アルバミンチ

 

 

 

 

 


(写真左)うちらを見るなり“YOUー!YOUー!YOUー!”を連発し、カメラを向けてもしきりにカンフーの真似ごとしかせず勝手に暴走してた全くもってカワイクナイ子供達。。。
(写真右)町をぷらついてるとまたもや“YOUー!YOUー!YOUー!”と近寄ってきて、何処までもくっついてきたカワイイ子供達。しかし、あまりにも延々とくっついて来た為、最後はコッチが心配になって親を探し回るハメに。。。

 



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2008年01月10日

エチオピアのバス

 エチオピアでの移動は、基本的にバス移動がメインとなるのだが、それはそれは壮絶なモノだった・・。

 今思い出しただけでも気分が悪くなってくる程だ、、、

 ということで、今回はそのワケを一つずつお伝えしていこうと思います。

 まずはバスの車体から、、、

 エチオピアのバスは、殆どが一体いつ作られたかさえ判別出来ない程のボロに加え、シートの幅が「コレ完全に設計ミスだろ???」ってぐらいの狭さだった。

 三人掛けのベンチシートに三人座っちゃうと端の人の尻は半分しか乗らないし、二人掛けのシートなら”ギュ〜ギュ〜”に密着して座って、なんとか座れてるのかな、、っていうレベル。

 これは決して大柄の人の話じゃなくて、小柄で痩せてるエチオピア人が詰めて座ってもこんな状態なのだ・・。

 もちろんリクラインニグなんてものもなく、座面はクッションがつぶれて硬いうえに、背もたれもほぼ垂直ときてる。

 しかし、それより何よりエチオピアのバスは、車内がどんなに暑くたって窓を開けられないというのがツライ、、、

 これは別に窓が壊れて開かないわけでも、元から開かない設計になってるというわけでもない、、、

 開く窓はちゃんとついてるのに、単純にそれを開けてはならないのだ、、、


 ナゼかというと、、、

 

 「悪霊が入るから・・・・」

 

 これは笑い話じゃなくて、ホントにホントの話。。。

 それでも、子供や若い子なんかは暑さに耐え切れなくなって時々開けちゃうのだが、すぐさま後ろから年配者の手が伸び”ピシャッ”と閉められた後「バカモン!!」と一喝させられてしまうのだ。

 噂には聞いていたけど、正直このご時世に本気でそんな事を信じてるワケ無いだろと、半分冗談ぐらいにしか思ってなかった。

 だがしかし、実際のエチオピアでは確かにいまだ信じられている迷信なのだった。

 道路の舗装もしごく当然のようにされてなく、走行中は終始、、、


 ”ガッタンッ×ボッコンッ×ガッタン×ボッコンッ”


 「おりャーコレでもかっ、、」ってぐらい、それはそれは縦横斜めに揺れる揺れる、、、

 さてここで問題です、窓を閉めきった汗と油の臭いが充満したクソ暑い車内で、こんな状態がしばらく続くと人は一体どうなっちゃうでしょう・・!?


 そうです、車酔いです・・・・。


 加えて地元の人は日頃からあまり車に乗り慣れてないとみえ、バスが出発して2〜3時間も経てば、ざっと半分ぐらい人が気持ち悪そ〜な表情を浮かべつつ頭をうなだれ始めます。

 そこまでくると後は時間の問題で、次第に何処からともなく「ゲェ〜、、ゲェ〜、、、、」という声がこだましてきて、と同時に車内にはあの「かほり」が立ちこめてくるのです。。。

 だが、それでも窓を開けないあたりがさすがエチオピア人。。。

 一度、「足元がやけにヌルつくな〜、、、」と思っていたら、後ろで吐いた人のゲロが流れ出し、足元に置いといたデイパックに”べっちょり”ついてたなんて事もあった、、、

 その時は「えェ〜イ、もうどうにでもなってしまえー!」って感じでさほど気にはならなかったが、今思えば、あまりの苛酷さで軽く思考回路が壊れてたんだと思う。。。


 想像してみて下さい、、、


 もうろうとする暑さのなか”ガッタガタ”に揺れる”ボロッボロ”のバスで”ギュ〜ギュ〜”の”ゲェ〜ゲェ〜”なのに窓も開けられないという状況を、、、


 きっと、想像だけで十分なツラさがお分かり戴けたことでしょう。。。


 しかし、エチオピアのバスの苛酷さはこれだけにとどまりません。。。

 お次は出発時間と席の確保、、、

 エチオピアのバスは出発が早い!っていうか殆ど朝しかないっ!!

 よほど近い場合以外は1日1本、田舎だと1週間にたった2本しかない、なんてトコもあった。

 たいがい朝の5時とか6時にターミナルから出発するんだけど、どうしても確実に乗りたければまだ星が見えるうちからターミナルの外でスタンバってなきゃならない。

 けどそんなに早くても、ゲートの前にはかなりの人数の地元民がすでに集結しているのだ。

 暗闇の中で見る黒人の顔ってのは、白い目と歯だけがギョロっと光り、たまにそれが同時にこちらへ向いてたりするからけっこう恐い。。。

 ゲートオープンの時間になると、それがスタートの合図となり、みんな一斉に全力でダ〜ッシュ!!

 目指すは自分の目的地行きバスだ!!!

 早い話、エチオピアのバスってのは早い者順が基本のようで、遅い者には外国人だろうと年寄りであろうと座る席はないのだった。

 一度だけ事前に予約しようと試みたこともあったが、結局ドライバーから直接チケットを買わなければならない為タイミングが合うはずもなく、それも儚く失敗に終わってしまった。

 当然ながら、大きいターミナルには同じようなバスが何十台も停まっている。 自分の乗りたいバスが何処に停まってるかなんて事うちらにはサッパリだし、ただでさえ黒人は足が速いのに対し、うちらは20kg以上のバックパックを背負っているというハンデまであるからもう大変だ。。。

 さらに、運よくこの席取り合戦に勝ったとしても、次には荷物代の交渉という面倒な仕事が控えている。

 エチオピアのバスは、普通ならついてる荷物を入れるスペースなんてものは皆無で、うちらのような大きいバックパックを持ってる人は、別料金を払って屋根の上に積んでもらわないとならないのだ。

 まだ暗いうちから並び、やっとの思いで確保したバスの席。何が何でもそのバスに乗りたいと思うのは誰だって同じだろう、、、

 その弱みにつけこんでくる性悪なドライバーもたまにいたりして、交渉は思いのほか難航するときがある。

 一度、バックパック一つに対し、シートの倍近い額を請求されたことがあったので、”高すぎる!!”と抗議したところ”だったら乗らなくて良い!!!”とあっさり返されてしまった事がある。

 その時はこっちも負けじと「そんなに払えるか!!」と時間ギリギリまで粘ったが、最終的に本気で置いてかれそうになったので泣く泣く払ったうえに、荷物は自分で屋根に上げさせられた、という仕打ちを食らったことがある、、、

 しかも、荷物には決まった額が定められているわけじゃないようで、人によって値段が違ってたり、中には払わないで済んじゃってる人もいたりするから確かな所はよく分からない。

 こんなふざけたバス、、、とてもじゃないけど乗る気しないのがマトモな人の神経だろう。。。

 だからといって「何でこんな国来ちゃったんだ???」と後悔したところでもうあとの祭り、、、

 すでに交通手段に選択の余地なんてものはない。。。

 中途半端に進んでしまったが為に、同じ思いして戻る事を考えると「先に進む」という選択肢しか残されてないうちらだったのだ、、、


 ここは現代の常識なんてモンは一切役に立たないエチオピア、、、


 Ohhh!!、、、アンビリバボ〜エチオピア!!!

エチオピア アルバミンチエチオピア アルバミンチ



sekaihokkori at 04:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!エチオピア 

2008年01月08日

エチオピアの食事情

 エチオピアを代表する食べ物と言えば、誰が何と言おうとまずこの「インジェラ」が筆頭にあげられるだろう。

エチオピア インジェラ この食べ物については、これまでエチオピアに行った事のある人から、散々”マズイ”だの”ヤバイ”だのと聞かされていた、、、

 人によっては「見た目はぞうきん味はゲロ。。。」 なんて表現をしちゃうほど、それはそれはマズイ食い物だという・・。

  しかし、そこまで言われると、うちらとしては「どれだけマズイんだろう、、?」という怖いモノ見たさもあり、密かにこの噂の料理を食べれる日を心待ちにしてしまってたのだった。。。

 エチオピアに入り、うちらにもいよいよその時がやってきたのだったが、これがいざ実際食べてみると、、、


 「あれっ!?案外ふつう。。。」


 でも、人間の先入観っていうのはホント不思議なもんで、、

 初めの一回目は「散々マズイって聞いてたわりには全然イケるじゃんっ。。。☆」 という感じで、わりと食べれたんだけど、、

 二回目には「皆が言うほどマズくないにしても、だからってウマイもんではないよなぁ・・。」 となり、

 三回目以降になってくると「う〜ん、やっぱキツイかも。。。」

 といった感じで、初めの先入観によって、食べるたびに味の印象も変化していった不思議な体験なのでした。。。

 蒸しパンのようなふわふわの生地をクレープ状に平べったくしたものに、シチューのような煮込みをかけて食べるのだが、その生地に独特の酸味があるので、それが「ゲロ味」と言われるゆえんのようだ。

 上にかけるシチューのようなものは店によってマチマチだが、主に牛やマトンが一般的なようで、大抵ドコの店で食べても油っこい、、、

 よって、すぐに胸ヤケがしてくるのだが、そこへ追い打ちをかけるように生地の酸味が襲ってくるので、少しでも腹が膨れてくると「ウプッ、、もうギブアップ。。」という状態になるのだった、、、

 地元の人が食べてる一人前は、とてもじゃないけど一人では食べきれなかったので、うちらにとっては二人で一人前の量が丁度良かった。

 それでも、場所によってはこの「インジェラ」を食べれるだけまだマシで、田舎へ行くと食事が出来るレストランが極端に少なくなり、このインジェラを探すのでさえ一苦労というトコも中にはあった。

 その逆に、首都アジスアベバではイタリアンのレストランが意外にも多く、そこそこまともなピザやスパゲッティー、果てはラザーニャなんてものも食べることができた。

 インジェラに比べるとかなり割高なのだが、それでも地元の人には結構ウケてるようで、食事時ともなると店内は若者やカップルで賑わっている姿をよく目にした。

 それと、エチオピアといえば忘れちゃいけない「コーヒー」も有名で、これはお世辞抜きにホントに美味しかった☆

エチオピア アワサ

 なんと、エチオピアではカフェと名のつく所なら大抵どこにでも、立派なエスプレッソマシーンが置いてあったのだ。

 アフリカの中でも、唯一植民地化を免れたエチオピアといわれてるのだが、その昔イタリアが少しの間占領してた時期があったらしく、コーヒー文化はその時のイタリアの置き土産らしい。。。

 うちらは特にマキアートとカプチーノがお気に入りで、どちらも1杯30円ぐらいで飲んでいたと思う。自分は朝一にコレを飲んでから優雅な気持ちで出掛けるのが好きだった。

 コーヒー以外にも、フルーツジュースが地元の人によく飲まれている。定番のマンゴーやオレンジ以外にも、変わったところでは「アボガドジュース」なんてモノも飲まれていた。

 あるカフェでは結構な勢いで注文されてたので、うちらも試しに頼んでみたのだが、何てことはないまんまアボガドの味。。。

 これは他のジュースと混ぜるとか、いっそ健康の為を想って一気するでもしないとちょっとツライ味だった×××

 他にはパン類にケーキ、ホテルのレストランなどでは生野菜サラダやチャーハン、インドカレーなんてものまで食べられるトコもあったりして、これにはかなり驚かされた。

 とにかく、エチオピアというとどうしても「貧しい国」というイメージがつきまといがちだったが、意外や意外にもお金さえだせば想像してたよりもずっとバリエーション豊かでまともなモノを飲み食い出来る国でした。。。

 

エチオピア アワサエチオピア アルバミンチ



sekaihokkori at 04:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!エチオピア 

2008年01月06日

エチオピア流の歓迎とは

 その日、両替をする為に町を歩いてた所、ホテルの場所を教えてくれた地元の連中とバッタリ出くわした。そこには偶然にも、昨晩バーで意気投合したラスタマンも一緒だった。

 普段はバーなんて高くてあまり行かないのだが、エチオピアでは生ビールが一杯30円で飲めるという話を聞いていたので、昨晩さっそく飲みに行ったトコだったのだ。

 だけど、そこで出てきたビールは期待とは裏腹、イマイチ炭酸が弱いうえに味も薄いときてて、単純に安いからと喜べるような代物ではなかったが。。。

 その時のバーで知り合ったラスタマンと、ホテルを教えてくれた連中が友達だったことに驚きつつ、話の流れから、この辺でドル両替出来るトコが無いかを尋ねた。

 すると「今日ハクリスマスデ銀行ハ全部休ミダ!ケド、俺ラノ知ッテル”ブラックマーケット”ダッタラ銀行ヨリレートガ良イ!丁度、今カラクリスマスノセレブレーション行クトコロダカラ、両替ツイデニ一緒ニ行コウゼ!」と誘われたのだった。

 ちょうどうちらが居た1月6日〜7日は、偶然にもエチオピア歴でいうミレニアム(2000年)のクリスマスにあたる時期だったようで、町中のテンションも日増しに上がってるのが見てとれるほどの盛り上がりだった。

 面白いことにエチオピアは独自の暦を持っていて、西暦以外でも普段うちらの使ってる時間とは別の「エチオピアンタイム」なる時間も持っているのだ。

 うちらとしてはそのクリスマスイベントもさることながら、地元の同世代の人間とコミュニケーションがとれる願ってもない機会だと思い、その誘いには喜んで乗ることにした。

 互いの国の事などについてお喋りしながら、和気あいあいとした雰囲気で向かったのだったが、 40分ほど歩いた末にたどり着いた”ブラックマーケット”とやらは一見、というか実際に、、、全く何の変哲もないただの土産物屋だった。

 さらに、そこのレートが思いのほか悪かったため、仲間の一人が「2件目行くぞ!!」という感じの目配せを送ってきた。

 それじゃあ、、と店を出るとその店のすぐ隣りが2件目だった。。。

 結局、隣の2件目もたいしてレートは良くはなかったのだが、とりあえず少額だったのでそこで両替を済ませることにした。

 クリスマスのイベント会場へは、そっから歩いてすぐとのことだったので、さらに歩き続けた。

 すると、彼らは一軒の民家のような所へおもむろに入っていったのだった。

 用事でもあるのかと思い、うちらは外で待ってようとしたのだが、「ここは友達の家だから問題ない、中へ入れ」と促された。

 通された部屋は、隅に大きいテーブルとソファーが置いてあるだけだが、この国の経済状況を考えると随分立派だ。

 「座ッテ少シ休ンデコウ」という感じで言われたので、ひとまずソファに座ることに。

 「ナニカ飲ミ物ハ?」と声を掛けられたが「うちらは別に何もいらない」と答えた。

 すると、ラスタマンは「俺ハ喉ガ乾イタカラ何カ飲ミタイナ〜」と、何故かこちらにねだるような素振りで言ってきたので、念のため「飲みたかったら”自分”でどうぞ」と強調して返した。

 そうこうしてるうちに、奥の部屋から妙にセクシーな格好をした黒人のお姉ちゃん達が4人ほど現れ、自己紹介とともに一人ずつうちらに握手を求めてきた。

 初めは友達か家族とでも思ったが、挨拶が終わるや否や、突如はじまった手拍子に歌を合わせ、そのお姉ちゃん達は踊りだしたのだった。。

 しかも、うちらの目の前わずか数十cmという近さで・・。

 この不可解な行動に対し、まずゆりが真っ先に反応した。

 「トシくん、コレ絶対おかしいって!!」と、必死に訴える。

 個人的には「イヤ、こいつらはきっと悪い奴じゃない、、、」と思いたかったが、冷静に考えると、この目の前数十cmの所で起こってる現実ってのはやっぱりおかしかった。。。

 その直後「お前らのしたい事は理解出来ないからもう帰るぞ!!」とだけ言い残し、二人でサッサと家を出た。

 すると、その3人はすぐさまうちらを追いかけてきて「ヘイ友達、一体ドウシタンダ?」と怪訝な表情を浮かべている。

 「どうしたもクソもあるかっ!!クリスマスのイベントに行く話だっただろ!?これは一体どういうつもりだ!?」と聞き返すと、、、

 ラスタが「俺達ハ朝カラ何モ食ベテナイシ何モ飲ンデナインダ、ダカラ何カ奢ッテクレ・・」というような図々しいことを言い出した。

 これにはイラっときて「俺らだって朝から何も食べて無いし何も飲んでないから同じなの。腹が減ったなら自分で何か食べてください!」とつき返す。

 すると、これまでの愛想の良かった態度が一変し、、、

 「両替所ダッテ案内シテヤッタダロ!俺タチハガイドダ!コレハビジネスナンダ!紹介料ヲ払エ!!」 なんて事をぬかし出したのだ。

 それに対しては「ビジネスなんて初めに言ってないから知らないし、、仮にこれがビジネスだったんなら最初から頼んでないし、、両替だってお前らが居なくても自分で簡単に出来たよ、、」と並べあげると、あげくの果てにこのおバカさんは、、、

 「オマエ、俺トファイトシタイノカ??俺ハラスタヲ2人モ殺シテルンダゾ!!」と、唇をプルプル震わせながら凄んできたのだった。。。

 (っていうか、仲間殺しちゃダメじゃん・・!?)

 とツッコんでやりたい衝動は抑えつつ、念のため万が一も考えて、あまり煽るようなこともせずにしばらく口論が続いた。

 で、しまいには何を言っても 「ギブミーマネー!!アイウォントマネー!!!」 としか言わなくなってしまったので、もうこれ以上こんなおバカさんを相手にしても仕方がないと、完全にシカトしてとにかく歩き続けた。

 その後もしばらくダラダラ後を付けてきたのだが、適当にバスに乗るフリなどをしてたらそのうち諦めたのだった。。。

 そのうちの一人はムスリム、もう一人は愛と平和を語った偽善ラスタ、最後の一人は坊主頭のスネオ君。

 三人共いたってまともな身なりをしており、どう考えても食べるのに困るほど貧しい連中ではない事ぐらい明白だった。

 これは後日、情報ノートを見て分かったことだが、彼らに騙された日本人は他にも結構いるようで、あの家(一応キャバクラのようなトコらしいが、、)で何か飲もうものなら、最後には莫大な額を請求され、払えないと言うとうちらの時と同じような脅しをかけてきたあげく有り金を持ってかれる、という内容の被害報告がそこにはしっかりと書かれていたのだった・・。

 こいつらは、うちらが今まで1年以上旅した中でも間違いなくNo.1におバカな奴らとしてランキングされるだろう。

 でもその前に、そんな奴らを見抜けなかった自分につくづく反省デス。。。

 特に、昨晩バーで知り合ったラスタマンに関してはショックが大きい、、

 あれだけ真剣に向き合ってしまった自分のほうがバカみたいに思えてくるし、 酒の場とはいえ「おまえは良い奴だ!!」なんて真顔で言っちゃった自分が、今となっては恥ずかしいやら情けないやら。。。

 これはアフリカに入ってまだ3日目の出来事、、、

 試合開始のゴングと同時に、いきなり先制パンチを食らってしまった。。。

 ま〜お陰でエチオピアの事を色々聞けたわけだし、実際奴らといた時間も楽しくなかったと言ったら嘘になるし、、

 ちょっと手荒いけど、これがエチオピア流の歓迎スタイルとでも思えば良いかな・・・(ちょっと前向き過ぎ?)

 ハイ、、、でもこれに懲りてもう簡単には知らない人について行くのは止めます。。。(反省)



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2008年01月04日

本格的にアフリカへ

 半年遅れでようやくアフリカの記事アップします。。。

 深夜にイエメンを飛び立った飛行機は、まだ夜も明けぬ頃エチオピアの首都にあるアジスアベバ空港へと降り立った。

 寝不足で眠い目を擦りながら入国手続きを済ませたのだが、それから空港内にある銀行が開くまでの間、約4時間近くも時間をつぶさなくてはならなかった。

 事前情報によると、この国は空港はおろか街中にも殆どATMが存在しないらしいからだ・・。

 暑いイメージのあるアフリカだが、ここアジスアベバは2300mという高地にあるため、この時間帯は想像以上に冷え込む、、、

 けれど周りを見渡してみれば、ココはもうれっきとしたアフリカ社会なんだということに気付かされる。

 とうぜんながら、待ってるあいだ周囲を行き交うのは黒人の姿しかない。

 にしても、、、、、

 『この国じゃエスカレーターってやつがそんなに珍しいのかい・・!?』

 子供だけならまだしも、いい歳した大人までがさっきから昇ったり降りたりを繰り返している。。。

 午前9時になりようやく銀行の窓口が開き、無事エチオピアの通貨をゲットしたうちらは、そんな光景に一抹の不安を覚えつつ空港を後にした。

 空港から市街へは、ローカルの乗り合いワゴンで向かったのだが、乗り場付近はボロボロの服をまとった物乞いやら物売りやらが引っ切り無しにまとわりついてきて、まるでインドを彷彿とさせる。

 それらを振り払いながらもなんとか中心街にたどり着くと、次に襲ってきたのはあまりの人口密度と黒い群れ、、、

 基本的な治安の悪さに加え、日本人に馴染みの無いアフリカ人の顔っていうのは、失礼な話だがそれだけでコワイ・・・。

 それが人混みともなると、そこをかき分けて中へ入っていくのには結構な勇気が必要だった、、、

 そんな中を警戒心120%で宿を探し歩いてると、馴れ馴れしい英語で近寄ってくる連中が現れた。

 どうせチップ目当ての地元の若者だろうと思ったが、彼らは単にホテルの場所を教えてくれただけで、思いのほかすんなりとその場は去っていった。

 『あれっエチオピア人ってひょっとして親切、、、!?』なんて思いながらも、ガイドブックを頼りに他の宿も回り、中でも値段の割りに一番マシかな?と思われる部屋に荷をおろした。

 しかし、そこが飲み屋に併設された『売春宿』ということに、後から気付いたのだった、、、

 不釣合いなドレスで着飾った巨漢のオバチャンが、自分より二回りは小柄であろうオッチャンと、飲み屋から部屋へ寄り添いながら消えてく姿を目撃してしまった、、、

 さらにその飲み屋からも、深夜まで“ズンドコッズンドコッ♪”というエチオピアンポップス独特の奇怪なリズムが鳴り響き、安眠には到底ほど遠い環境×××

 しかし、エチオピアで安宿となると、嫌でもこの『ブンナベット』といわれている飲み屋併設タイプの連れ込み宿が避けられないようだ・・。

 とはいっても、これはなかなかどうして今までには無かったハードコアな環境、、、

 それでも、怒涛のように押し寄せてきた刺激と緊張からくる疲労のせいで、いつの間にか深い眠りにと落ちていったエチオピア初日の晩だった。。。

 インドの時もそうだったけど、とにかく全くの未知の世界での初日というものは、不安と期待が入りまじった何ともいえない状態になるものなんです、、、

エチオピア アジスアベバエチオピア アジスアベバ



sekaihokkori at 13:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!エチオピア 

2008年01月03日

世界最古の摩天楼

 この「サナア」という町は2500年以上もの歴史があり、現存する町としては世界最古といわれ、旧市街は世界遺産にも指定されている。

 海抜2300mの高地にあるため、日差しは強くても空気は乾燥していてカラっと爽やか過ごしやすい。

イエメン サナアイエメン サナア

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 旧市街の家々は同系のデザインで統一されていて、石と日干しレンガで造られた家々の窓は白い漆喰にステンドグラスのような飾りが付けられていて、まるでお菓子の家のよう、、その雰囲気はそのまま映画に使えそうなほどメルヘンチックだ。

 

イエメン サナア イエメンの男達は特徴的で、まずこれまでのイスラム諸国に比べ、寡黙でシャイな印象を受ける。頭にはターバンのような布をグルっと巻き、腰には映画アラジンに出てきそうな「ジャンビーヤ」という短剣をさしている。

 この国ではこのジャンビーヤこそが誇り高き戦士の象徴とされており、同時に勇気ある一人前の「男」の証しでもある。由緒正しい家柄に代々伝わるようなものともなれば、100年以上の年代物もあり、日本円にして数千万円という代物も珍しくないそうだ。

 そのジャンビーアを腰にさし、意気揚々と町を闊歩するイエメン男達の姿に、同じ男として何処かハートをくすぐられる思いがしたのだった、、、

 

 

 


 

イエメン サナア うってかわって女性はというと、イスラム圏の中でも宗教色が強い国ゆえ、黒い布を頭からスッポリ覆い、ほぼ全身を隠している。この姿は慣れないとちょっと不気味なのだが、慣れてしまえば何てことはない。。。

 

 


 

 他には、イエメン人にはたしなみとして『カート』という葉っぱを噛む習慣がある。これはパッと見普通の葉っぱなのだが、生で噛み下すと出てくるエキスに軽い興奮作用を起こす成分が含まれているそうだ。

イエメン サナアイエメン サナア

 

 

 

 

 

 

 イエメン人はこのカートが大好きで、それは午前中のカートマーケットの賑わいや午後の街中を歩いている男の人の頬を見れば一目瞭然。まるで『こぶとり爺さん』のようにほっぺを膨らました人をいたるところで見かけることができた。

 

イエメン サナア カートはイエメンの社交とくつろぎの場には欠かせない道具だそうで、「カートなしでは何事も進まない」とまで言われており、縁談の取り結びや土地の売買、果ては重要な政治決定もなされると言われてるほどらしい。。。

 これもかつては男性だけのものだったのが、最近では女性でも噛む人が出てくるようになったそうだ。

(写真左)は『カート場』といわれるカートを噛んでお喋りする目的の為に存在する喫茶店のような空間。各々が思い思いに仕入れてきたカートをここでお茶などと一緒に味わうのがイエメン男の日課になっている。カートを噛み始めるのは基本的に午後からとのこと。

 

 


 


 

イエメン サナア

イエメン サナア

 

 

 

 

 


(写真)たまたま出くわした結婚パレードの様子。

 

 

 イエメンではサナア以外の町へ行くには、いちいちパーミッション(許可書)が必要なエリアが多いので、うちらは特に動き回ることはせず、サナアでの日常をじっくり味わうような形にしました。。。



sekaihokkori at 05:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!イエメン 

新年の挨拶はイエメンより

 新年明けましておめでとうございます!!!

 皆さんお正月は如何お過ごしでしょうか??? 僕らは今、イエメンという国の首都サナアという町にいます。

イエメン 旧市街

 大抵どこの国でもめでたいはずの年越しですが、この国はイスラム色が強いせいか、、はたまた単にヤル気が無いだけなのか、、せっかくの節目を祝おうとする気配すら全く感じさせないまま、寂しい元旦を迎える事となりました。。。

 イエメン 正月
まぁ町自体はそんなツレナイ雰囲気でしたが、うちらは最近ずっと一緒だった、なおき君、みくちゃんカップルと一緒に「年越しうどん」を打ち、宿の部屋でうちらなりに年越しを祝いました☆


 それにしても、僕らが日本を発ってから早いものでもう1年が過ぎてしまったようです。 悪戦苦闘しながらも何とか二人で力を合わせやってきた結果、これといった大きな災難もなく、順調に「1年」も旅を続けてこれたのが、正直自分達にも信じ難い結果です。

 改めて振り返ってみると、それはそれは様々な経験が凝縮された1年でした。今まで感じていた「1年」という時の流れが、まるでデタラメに感じてしまうくらい、密度の濃い一瞬一瞬が積み重なってきたようにも思えます。

 ドラマチックだった中東エリアの旅も、ここイエメンを最後に終わります。今日深夜の飛行機でエチオピアに飛ぶので、明日からはもう本格的なアフリカです。きっと周りは真っ黒な人ばっかりのハズです。。

 1年経ったからといって依然気は抜けないままですが、今年も去年以上に、より密度の濃い瞬間を積み重ねていけたらと願っています。

 それと同時に、僕らのこの経験は決して自分達だけの力で成し得たモノではない、という事だけは常に心して、引き続き旅を続けていきたいと思います。

 それでは皆さん、、、

 今年もどうぞよろしくお願いします!!!



sekaihokkori at 04:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!イエメン