2008年02月
2008年02月29日
地球の裏側にあるもう一つの日本
南アフリカのケープタウンを発った飛行機はヨハネスブルグを経由し、計12時間のフライトを経て、南米はブラジルのサンパウロへと到着した。
空港に降り立った時にはすでに日が暮れてたので、安全のために空港から市内へはタクシーを使って向かう事に。(ブラジルはけっこう恐い話聞くんで・・)
サンパウロ市内には「日系人」が経営している宿がいくつかあり、うちらはその中の一つ「ペンション荒木」という宿を訪ねた。
さらに、その宿の周辺は「日本人街(リベルダージ)」と呼ばれる日系人の居住区になっており、現在もたくさんの日系移民とその子孫達が生活を営んでいるエリアだった。
辺りを歩くと、日本語の「看板」や「ポスター」「のれん」などがいたる所で目につき、ある道路では「ちょうちん」なんかもデコレーションされていて、そこにはブラジルにも関わらず如何にもな「和」が醸し出されていた。
日系の人が営んでる店の店先では、「日本人」のおじちゃんおばちゃん達が、「日本語」で他愛もない話に花を咲かせている。よく観てみると、その手に抱えてる新聞も当然のごとく「日本語」のものだった。
それはとても懐かしい「日本」そのもので、そんな何気ない光景を眺めているだけで、心の奥底にあった“寂しさ”が優しく癒されるような想いだった、、、
さらに驚くべき事に、この辺りのスーパーに並ぶ日本食材の豊富さといったらそれはもう・・・。
日本米、日本野菜、醤油、味噌、みりん、鰹節、わかめ、おたふくソース、豆腐、納豆、煮干し、梅干し、漬物、うどん、そば、そうめん、大福、せんべい、カップラーメン、カレールー、ふりかけ、のり、寿司、サンマ、ししゃも、等々、、、、
恐ろしいほど、ホントーになんでも揃っちゃう。。。
例えば「ふりかけ」だけで、ゆうに30種類近い品揃えはあった・・。
(ふりかけって、日本でもこんな種類あったっけ、、!?)
これには二人とも目を輝かせて大ハシャギ。。。。♪♪♪
そこで、つい興奮してその品揃えをカメラに収めてたら、、、
「すいません!!写真は遠慮ねがいます!!!」と、
店員のおばちゃんに注意されてしまったのだった・・・・・。
(ゴメンナサイ。。。。。。)
殆どが輸入物だけあって、値段は日本に比べると1〜2割程高いんだけど、「日本の味覚」が恋しくて堪らないうちらは、値段うんぬんの前に「喉から手が出ちゃってた」から仕方がない。。。
1割だろうが2割だろうが、ココゾとばかりに買い漁っちゃったのは言うまでもないでしょう・・・・・(嬉)
数日後、うちらは日本人街からは少し離れた所にある「鹿児島会館」へ宿を移した。
そこは鹿児島の県人会の方々が運営している「海外版県民館」のようなもので、本来は「鹿児島から移民した人達の為に使用されている」建物だが、研修や行事などがない期間は一般の旅行者にも泊まらせてくれるという、うちらのような旅行者には何とも有難い存在だったのだ、しかも格安で。。。
敷地内には「プール」や「卓球ルーム」、ロビーには歴代会長さんの顔写真や、熊本らしく「西郷さんの銅像」や戦国時代の「鎧兜」なんてものまで飾ってある、それはずいぶんと立派な建物だった。。。
ある晩、一緒にそこへ泊まっていた旅行者の「10年夫婦さん」(写真右上)と共に、一件のある飲み屋へ行くことになった。
その名も「津軽」という飲み屋は、昔ながらの赤ちょうちんを思わせるような雰囲気で、カウンターの中にいる70歳くらいの日系1世のおばちゃんが一人で営んでいる、というこじんまりしたお店だった。
ここでは「アジの刺し身」やら「ラーメン」やら「焼きそば」なんかを堪能させてもらい、久々の「日本の味」に舌鼓を打たせてもらった。
夜が更けてくると、狭い店内は何処からともなくやってきた日系の常連客で一杯になった。
みんな気さくな人ばかりで、一介の旅行者である僕達にも親しみを持って接してくれた。
酔いがまわり場が盛り上がってくると、自然と懐かしい「カラオケ」なんかも始まった、、、(もちろん日本の歌♪)
自分も勧められるがまま、久々に「島歌」なんかを歌ってだいぶ気分が良くなっちゃった所で、、、
うちらがお世話になっている「鹿児島会館」の園田会長さんが登場した。
お会いするのは初めてだったけど、とても気さくなで、旅人に対しても非常に寛容だった。
酔った会長さんは僕たちに色々な話をしてくれた。
移民当時の話やそれからの苦労、そして現在の日系人とブラジル人の関係などについてなど、貴重な生の話を聞かせてもらった。
そこには戦前のまだ情報が乏しかった時代に、遥か地球の裏側へ未来を託した人々の、切々とした想いを感じ取ることが出来た。
込み入った歴史については「移民資料博物館」で、少しながら学ばせてもらった。。。
戦前、まだ日本が今ほど豊かでなかった時代、日本各地に住んでいた貧しい農村の人々が、当時「コーヒー農園」の労働力として移民を受け付けていた南米へと、夢と希望を抱きつつ遥か海を渡っていったそうな。。。
しかし、実際の生活は思っていたほど楽なものではなく、まずは険しいジャングルの状態から人の手一本で土地を切り開いてく、という気の遠くなるような仕事からその生活は始まったそうだ。。。
さらには、日本にはなかった“未知の病気”や“ジャングルに潜むどう猛な生物”、さらには“言葉の壁”や“食生活の違い”などにより、その生活は苦難の連続でもあったよう。。。
だが、そんな困難を乗り越えていく日々の中にも、元来日本人が兼ね備えている「誠実さ」や「我慢強さ」といったような“気質”が、次第に発揮されていったという・・。
結果的に、その積み重ねの甲斐あって全くの異文化だったブラジルの人達にも、その存在を“認めて”らえるようになったらしいのだ。。。
最初は農業から始まった仕事も、その農業で得た資金を元手に「農業」から「小売店」、次は「小売店」から「工業」、さらに「工業」から「金融業」などへ、と賢く事業を展開させていったようだ。
さらに、その子孫である2世、3世は、その勤勉さから、比較的社会的地位が高い職業につくケースが多いらしく、政治家、弁護士、医者、芸術家など、幅広い分野に渡って進出しているそうで、ブラジルに与えた“功績”は計り知れないほどだそう、、、
他にも、60年代以降多くの日本の企業がブラジルに進出した際に、これらの日系ブラジル人が作り上げた「日本人は勤勉」「日本人は信用出来る」という国民性イメージが“その進出を容易にした”と、高く評価されているとのこと。。。
しかし、それも70年代以降になると、ブラジルが過度のインフレに見舞われるなどした為、逆に経済成長を遂げていた日本へ出稼ぎに繰り出す、といった「逆輸入」的な逆転現象も起きてしまっているという、、、
その「出稼ぎ」にしても、見た目には日本人と変わらない日系人だが、実際には「言葉の問題」や「差別」などの壁にぶつかってしまい、中には犯罪に手を染めてしまう者も少なくないとのこと・・。
「日系人」と言っても、その子孫の2世、3世となってくると日本語が殆ど話せないという人も結構な数いるようなのだ、、、
ちなみに1908年から始まった移民は今年で100周年にあたるそうで、日本、ブラジルの両国ともに様々な催しが開催されているそうです、、、
そもそも、、、
「今までこんなに沢山の日本人がブラジルに移り住んでいた」
という事すら殆ど知らずにいたのだったが、、、
自分の無知さを恥じるのと同時に、改めて「日本人」という国民(民族)であれた事を「誇り」に感じてしまってる姿も、少なからずそこにはあった。。。
当時の「移民」という手段は、きっと単なる「逃避」だったワケじゃなく、あくまでも生活を掛けた「挑戦」だったハズで、その結果が「もう一つの日本の文化」という形で、地球の裏側という条件にも関わらず、厳しくもたくましく育まれ続けていたからだ、、、
(あのスーパーの豊富な品揃えは、当時の人達の汗と涙の結晶でもあったんだねぇ。。。)
ということで、ここサンパウロに来てようやく、、、、、
「地球の裏側には100年前からもう一つの日本が存在していた」
という事実を知ることになったうちらなのでした・・☆
(日本バンザ〜イ!!!!!)
2008年02月24日
アフリカの旅を終えて
ケープタウンではレンタバイクを借りてツーリングにも出かけた。
目指すはアフリカ大陸最南端にある喜望峰だ!!!
途中寄った「ボルダーズビーチ」では、ペンギンと一緒に記念撮影をした。
このペンギン達のあまりのカワイさゆえ、ゆりがどうしても「触りたい!」と試みたが、50cmくらいまで近づくと猛烈なクチバシ攻撃を浴びせられてしまった、、、
見かけによらずけっこう凶暴なので触ることはできなかったけど、目の前で“ヨチヨチ”と体を横に揺らしながら歩くその姿はホント〜に愛くるしかった。。。
バイクは、いよいよアフリカ大陸最南端にある「喜望峰」に到着〜!!!
と思いきや、、、
本当の最南端はケープタウンから東に150kmほど行った「アグラス岬」というトコらしい、、、(残念)
帰りは景色が良いと有名な有料道路を通って帰ってきたのだが、ココの見晴らしは本当に素晴らしかった。。。
まるで車のコマーシャルにでも出てきそうな壮大なロケーションの道が、延々と続く、、、
他にも、「ダチョウの飼育園」なんてトコにも行ってみた、、、、、
そこでは、大きな成鳥に混じって、まだ小さなダチョウの子供達(それでも結構デカイ)が、群れになって必死にエサをついばんでる姿を見ることが出来た。
にもかかわらず、この日の夕食は「ダチョウのステーキ」だった。。。
もちろん、こんなカワイイ姿を見た後に「食べる」ってのは残酷な気もしたけど、昨日のうちに買って来てしまってたからには食べない訳にはイカンでしょ、、、ってことで責任もって食しました。。。。。
南アフリカではダチョウの肉は良く食べられているポピュラーな食肉で、その辺のスーパーでもごくごく普通に売られていた。
その肉は低脂肪・低カロリーかつ栄養価も非常に高いので、身体にはとても良いらしい、、、
見た目は“牛肉”っぽいんだけど、味は“鳥”に近かったカナ。。。。
クサ味は殆ど無いかわりに、肉質が赤身なので火を通すとややパサついてしまった、、、
まぁ味はともかくとして、その身は謹んで栄養とさせて頂きました。。。。。
アフリカでの最後の仕事だった南米へ向けての航空券やビザ取りの手配が無事終わり、同時に僕らのアフリカの旅もようやく終わった・・・。
正直いうと結構シンドかった旅路も(特に治安)、ようやくココで終えることが出来るかと思うと、ホッとして全身の力まで抜けそうな想いだ、、、
しかし、「アフリカは危ない」と散々言われてたにも関わらず、実際うちらが会ってきたアフリカ人達は、危なさからは程遠い人達ばかりだったような気がする。
基本的に、子供のように“ピュア”で“無邪気”な人達ばかりだったからだ、、、
それでも、場所によっては笑えない思いもしたし、同じ宿に泊まってた人がすぐ近くで“強盗”に遇ってしまったなんて事もあったりした、、、
そんなアフリカという環境にあって、幸いうちらは危険な事件にも巻き込まれず、無事にアフリカ大陸の旅を完遂できたということは、本当に本当に有り難い事だと思っている。
手つかずの自然に生きる野生動物の本来の姿、、、、、
人間のルーツがあると言われてる地への回帰、、、、、
遠い憧れの海で味わった波との一体感、、、、、
このどれもに言葉にならない感動があった。
そんな数々の体験をさせてくれた“厳しいけど優しい”アフリカに、ようやくありがとうを言える時が来たようだ。。。
アフリカの全てに、、、
“ アサンテサーナ ” (ありがとう☆)
2008年02月22日
ミューゼンバーグでの日々
その日は、ケープタウンの宿に殆どの荷物を置いたまま、列車で50分ほど行った「ミューゼンバーグ」という“波乗り”で有名なポイントへとショートトリップに出掛けた。
ミューゼンバーグの駅は、惚れ惚れしてしまうほどの海の目の前にあり(上左写真)、予約していたホテルの部屋も窓から水平線が一望出来る角部屋(上右写真)という、“コレ以上ない”ってぐらい波乗りするには申し分ない環境だった。
到着して早々、宿の下にあったサーフショップで“ボード”と“ウェット”を借りて、さっそく波乗り開始ー!!!
この辺りは南極からの海流が流れ込む為、気温は高くても海の中はフルスーツが必要なほど冷たかった、、、(写真上左)
まぁ波自体は期待してた程は良くなかったけど、久しぶりにキレイな海で思う存分波乗り出来ただけでもう幸せ一杯。。。
けど、久々の波乗りは腕もあがらなければ肩まわりもギシギシ、という何とも情けない状態でもあった、、、
翌日は、波の形は良かったけどサイズがイマイチだったので、ロングボードを借りることに。
すると、昨日のショートとはうって変わってパドリングは楽だし、テイクオフも段違いに簡単だ。。。
(コレって、俺の身体は完全に“ロング向け”になってしまったってコト・・!?)
それと、この日はいきなり海面から顔を出してきたアザラシに驚ろかされた。。。
その次の日も、朝7時ぐらいには自然と目が覚める。
最近朝が早かったお陰で、自然と早く起きるクセがついてるようだ。
部屋のカーテンを開けると、朝の太陽が海に反射してキラキラ眩しい。。。
(なんてキモチのイイ目覚めなんだろう・・・・)
朝食は、牛乳にコーンフレークとムーズリーを混ぜたものに、フルーツを合わせた。
それを、テラスで海を眺めながら時間をかけてユックリ味わう。。。
こんな朝の過ごし方が理想に近い、、、
しかし肝心の波のほうは、風が強くて面が荒れ気味だからロングでもちょっと厳しそう・・。
でも次の瞬間には「よし、昨日までの疲れも残ってるし今日は休息日にあてよー!」と、気分をシフト。。。。。
午後は、近くのサーフショップを覗いたり、スーパーに夕食の買いだしに行ったりしてのんびり過ごす。
その次の日も相変わらず波は良くなかったので海には入らなかったけど、ゆったりとした海のリズムに合わせ、穏やかでメローな一日を送った。。。
(う〜ん、、やっぱり海のリズムってのは気持ちがイイ。。。)
結局、メチャクチャ楽しみにしてたわりには波乗り出来たのたったの二日だけだったけど、、、
『南アフリカで波乗り!!』という自分にとっての一つの夢が成就したってコトだけで、全ては満ち足りた気分だったのだ☆
2008年02月17日
ザ・テーブルマウンテン
その日は目覚ましが鳴らずに9時に起床・・。
晴れたらテーブルマウンテンに行く予定だった。
そして、皮肉にも天気は雲ひとつない“快晴”、、、
(もっと早起きしなきゃならなかったのに。。。)
急いで仕度をし、慌ただしく朝食を済ましてからすぐに宿を出発した。
途中、水と昼飯用のパンを買い込み、あとは遠く建物越しにそびえる“テーブルマウンテン”を目指しひた歩く。。。
すると20分も歩かないうちに、運よく地元のカップルが「途中まで乗せてってあげるよ」とやさしい声を掛けてくれた☆
うちら別に“歩き”こだわってたわけじゃないので、もちろん甘えさせてもらうことに・・・。
一応、このカップルのお陰で“寝坊した分”は盛り返すことが出来たハズだったのだが、、
それでも、山頂までの道程は想像以上にツラく険しいものだった。。。。
汗だくになりながらようやく辿りついた山頂では、まるで綿アメのような分かりやすい雲と一緒に、眼下に広がるケープタウンの町並にと、遥か遠くには大西洋とインド洋が交わるという様を拝むことが出来た、、☆
けっこう大変だったけど、この景色が拝めるのなら苦労して登った甲斐はあったというもの。。。
そしてこの帰り道、“今日は頑張った”という事にかこつけて、宿の近くのスシバーにて念願の「寿司」を奮発してしまうのだった・・・。
1年ぶりに食べたサーモンの味は、、、、、、、
2008年02月14日
アフリカじゃないアフリカ
アフリカ大陸最南端に位置する国、うちらにとってアフリカの旅のゴールでもある「南アフリカ」へ、ようやくたどり着いた。
アフリカ特有の赤茶けた大地にとってかわり、ボツワナ辺りから急に整備の行き届いたアスファルトの道路や高いビルが見られるようになってきた。
南アフリカに入るとそれがさらに顕著に現れ、欧米並に整えられた町並みと、そこの住む住人だろう白人の姿までチラホラ見かけるようになったほどだ。
プレトリアは南アフリカの首都に当たる街で、うちらはまずこの街に荷を降ろすことにした。
以前はココから約50Kmほど離れた場所にあるヨハネスブルクが首都だったのだが、世界一と言われるほどの治安の悪化が原因で、大手企業や各国国際機関が撤退してしまった為に、このプレトリアが首都になったという話だ。
プレトリアも決して安全とは言い切れないが、郊外に少し行った白人が多く住むエリアでなら、比較的安心して夜でも歩くことは可能だった。
プレトリアの次は、バスでケープタウンへと移動した。 うちらが乗ったバスは、途中ヨハネスブルクを経由した為、窓越しに少しだけその様子を見ることができた。
そこには、以前首都だっただけあって立派なビルが建ち並んではいるものの、中にはしばらくまともに管理もされず廃墟と化したようなものも目立つ。
行き交う人もほぼ黒人の姿しかなく、みんな一様にどこか暗い表情を漂わせており、とてもじゃないけどバックパックなんて背負って歩ける様子ではないのは一目瞭然だった、、、
ヨハネスとは対称的に、ケープタウンの雰囲気は驚くほど明るく開放的。街並みは先進国となんら変わらないほど綺麗に整っており、かつ洒落ているのだ。
店頭に並ぶ輸入物の品揃えもアフリカ一なんじゃないかと思うほどで、公用語も英語のうえに白人の数も今までじゃ考えられないぐらい多い・・。
しかし、久しぶりに見る白人の姿に“ホッと”しつつも、同時に「ここは本当にアフリカなのか?」という根本的な疑問まで沸いてきた。
白人の多さや町並みの端正さもさることながら、この国は「アパルトヘイト」という、国家ぐるみの人種差別が公然と行われてきたという歴史的背景がある。
今ではその非人道的な政策も過去のモノと言われているが、町を見渡してみれば、ゴミ掃除などの仕事に従事してるのは決まって黒人だし、ホームレスやストリートチルドレンなどにしても、やっぱり黒人が圧倒的に多い。。。
少し郊外へ行くと汚いバラックが密集した黒人居住区があるのだが、そのエリアの粗末さたるや白人が住んでるエリアと比べると、とても同じ国とは思えないほど雲泥の差がある。
街中では、確かに白人と黒人が仲良く歩いてる姿も多く目にした、しかし、その一本裏通りでは明るいうちから虚ろな目でシンナー吸ってたむろしてる黒人だけの子供達も存在する。
結果的にそのお陰で今の経済発展がある、、、という言い分も確かに一理あるんだろうけど、だからといってアフリカにいながらにして黒人を含めた“アフリカらしさ”の一切を排他しようとしてしまったやり方というのは、如何なものだったのだろうか、、、
世界一とまで言われるほどに悪化してしまったヨハネスブルグの治安の悪さが、その反動によって生じた負のエネルギーの強さを物語っていることは容易に想像出来そうだ。
逆にそういった歴史背景を土台に、新たなカルチャーが生まれている兆候も感じることも出来たには出来たけど、、、、
それでも、、、「ここはアフリカであってアフリカじゃない・・」 という違和感は、結局最後の最後まで拭い切ることは出来なかった、、、
しかし、アフリカの白人支配の現状を考えるうえでは、ここは最も“リアルなアフリカ社会”の姿なのかもしれないですが・・・。
2008年02月10日
ビクトリアフォールズ
ザンビアにある『ビクトリアフォールズ』の拠点になっている街リビングストーンにやってきた。
ビクトリアフォールズはザンビアとジンバブエの国境に面してる為、どちらの国からでも観れるのだが、ジンバブエの経済は今だ“ハイパーインフレ”という状態の為、面倒臭そうなんでザンビア側から観ることにした。。。
ジンバブエのインフレは2000年頃から始まり、それ以降毎日のように物価が変動するほど非常に不安定な状態が続いているそうだ、、、
出回ってる紙幣には“使用期限”なんてモノが設けられていたり、国が定めた公定レートと市場(闇)レートの両替差が数倍もあったりと、、、
しまいには、世界最高額紙幣“1000億ジンバブエドル札(ゼロが11コ、、)”なんていう、訳の分からない紙幣まで出現しており、はたから見てると有り得ないようなハチャメチャっぷりだったのだ。。。
旅行者にしてみれば、公共の金融機関や銀行やATM、クレジットカードさえ使わなければ特に問題はないのだが、それが原因で全体的に物資が不足していたり、治安が悪化してたりとの影響もあった。
自分としては、その状況を実際に“目の当たりにしてみたい”気もしたのだが、直前になってもあまり気乗りしなかった為、お隣の国「ザンビア」へと迂回することにしたのだった。。。。。
でっ、、、肝心のビクトリアフォールズはというと、、、、、
うぷぷっっ。。。。しぶきが凄くて前がよく見えない。。。。。。。
全身パンツまでびっしょり。。。。。。。
この時期は水の量が多いのか、とにかくしぶきが凄くてあまり前が見えないほどだったが、そのお陰で“虹”は綺麗にクッキリ見えた♪
虹が水平以上に220度ぐらいまで繋がって見えたのは今まで初めてだった。。。
さらにタイミングによってはキレイな2重に重なることもあった。。。。。
「川という全体から個となった水滴達が、風と遊び太陽に共鳴して生まれた虹という名の光の調和」
この自然現象は、まさに宇宙が織りなす“美”そのものでした・・。
2008年02月08日
ンガタベイ
マラウィーにある「ンガタベイ」と言われるこの街は、マラウィー湖の湖畔にある小さな村だ。。。
見所は、、、、、、、、
特にナシ。。。。。。。
ま〜言うなれば、この湖畔に建つバンガローの環境そのものが見所といった感じだろうか、、、
うちらが泊まったバンガローは手作りだったから、見ようによってはボロいんだけど、それがまた良い味になっていて居心地はなかなかのものだった。
特に立地が素晴らしくて、テラスからそのまま釣りが出来ちゃうほど湖ギリギリに建っていた。
さらに、そこではアフリカンジャンベ(太鼓)を作っていて、嬉しいことに滞在してる間は好きなだけ貸してくれた。
眼前に広がるのどかな湖の様子を眺めながら、久々に思う存分ジャンベを叩きまくった、、、♪♪♪
おまけにココには犬と猫が大量に居るのだが、彼らの馴れ馴れしさと図々しさといったらそれはもう、、、
憎ったらしいほどカワイイのだ。。。
完全に警戒心ゼロ。。。
もう野生では完ぺき生けていけないだろう。。。
壁の透き間から勝手に部屋に侵入して、ベッドの上で我が物顔で寝てたり、気持ち良さそうにテラスで日向ぼっこしてる姿が日常の光景と化していた。
食事は、村の食堂で食べられるナマズの煮付けのような食べ物が、見た目とは裏腹に脂の乗った青魚のような味で、メチャクチャ美味しかった☆☆☆
横の白い物体の正体は「ウガリ」なのだが、うちらがケニヤで食べたものと少し違っていて、ココのは粘りが強くてどちらかというと日本のモチに近かった。
練りたての熱々をおかずと一緒に口に放りこむと、これがまた予想外にウマイのだった☆
庭の木になってるマンゴーを採って食べたり、、、
夕日を眺めながらジャンベに没頭したり、、、
パンツ一丁で湖を泳いだり、、、
犬や猫とジャレ合ったり、、、
だいぶユル〜い生活だけど、これもまた充電期間ってコトで・・。
2008年02月04日
してやられたり・・・
タンザニアの首都ダルエスサラームから、マラウィとの国境にある「キエラ」という町に向かうため、まだ暗い中朝5時にホテルをチェックアウトした。
ホテルの入り口を出ると、こんな早朝にもかかわらずバス会社のスタッフがうちらを迎えに来ていた。
そのスタッフからは、昨日チケットを買う際に、、、
「その時間まだこの付近は危ないから俺が迎えに行ってやるから!!」
、、、と言われていたのだ。
しかし、時間が時間だし、てっきり体の良いセールストークかと思っていた。
バスの代金は既に昨日のうちに全額払い終えている。
「この会社、うちらにこんな事して何かメリットあるんだろうか?」 と、
やや引っ掛かってはいたものの、とりあえずそのスタッフが用意したくれてたタクシーでバスターミナルに向かった。
ターミナルに到着するや否や、そのスタッフは「昨日買ったチケットを貸してくれ」と言って、うちらをタクシーに待たせまま目的のバスを探しに行ってくれた。
そのお陰でバスもスムーズに見つかり、そのうえ丁寧にもバスの車内まで乗り込んで席まで案内してくれるというフォローぶりだった。
最後に、タクシー代の釣りをまだ返してもらってなかったから要求すると、
「そこでくずしてくるからココで待ってろ、問題ない俺を信じろ!!」と言う。
面と向かってそこまで言い切ったからには、、、
と、また物好きにもこのスタッフを少し信じてみようと思い、言われた通りバスの中で待ってみることに。。。
だが、待てども待てどもそのスタッフは一向に戻ってこなかった・・。
やがて出発の時間を迎え、バスは静かに動き出した、、、
(ハァ〜、信じた俺がバカだった。。。。。)
さらにしばらくしてから、ゆりがチケットに書いてある値段が昨日とは違う事に気がついた。
うちらは昨日一人37500Tshを払い、チケットにも確かにその金額が書いてあったが、今持ってるチケットに書いてあるのは25000Tshとなっていた。。。
その差額12500Tsh。これは二人で2500円相当にあたる額だ。
ここの物価を考えたら2500円っていったら結構でかい・・。
その段階で真意がようやく明らかになったのだが、わざわざスタッフがターミナルまで一緒について来たのは、昨日発行したニセチケットと今日新たに買った本物のチケットをすり替える為だったのだ・・。
しかし、スタッフのアフリカン一人でコレを思いついたとは到底思えない。
「!!!。。。この巧妙な手口はきっとあのインド人ボスが仕込んだに違いない・・」
実は、そのオフィスのボスって奴はインド人で、昨日会った瞬間からうさん臭いオーラをプぷんぷん発していたのだ、、、
それにしても、今回の手口は本場でもなかなかお目に掛かれないぐらい、やり口といいタイミングといい全てが絶妙だった。
ただ一つだけ、、、
「支払いが済んだ客、しかも二度と会うことのないだろう外国人客を、こんな時間にわざわざターミナルまでエスコートするメリットなんて無いハズ、、」という事だけが唯一不自然だった。
こっちはあくまで善意でやってくれてると思いたかったが、後から考えたらそれは『インドじゃまんまと騙されるポイントになっている』という事を思い出した。
しかも、これがインドだったら絶対怪しむと思うのだが、ここはタンザニア!!
ついてきたのもチケットを買ったトコのスッタフだったわけだし、、、
(今になっては本当のスタッフだったか知る由も無いが。。。)
くぅ〜、、、まさかこんなトコに来てまでインド人にしてやられるとは・・・
いっそのこと、チケットの金額が違うコトなんか気づかない方が幸せだったかもしれない、、、
(あ~~~~ムカツク。。。。。)
※ちなみにタンザニアにはインド人が非常に多く、当初出稼ぎにやってきたインド人は、今ではタンザニアの経済を牛耳るほどの存在だそうです。皆さんも商売熱心なインド人には十分お気をつけを・・。
2008年02月02日
最後の楽園
朝8時に起き、近くのローカル飯屋でパンとチャイの朝食を摂る。
バスターミナルでは結構長いこと待たされ、10時頃になってようやくダラダラ(乗合バス)が出発した。
途中、何度も停まり人や荷物の乗せては降ろしが繰り返される。2時間近くかけようやく目的地の「パジェ」に到着した。
タンザニアの首都ダルエスサラームより船で約3時間程行ったところにある島「ザンジバル島」 、別名“最後の楽園”と噂されるこの島、、、
そこは、行った事のある人なら必ずといって言いほど「良かった!!」と感想を漏らしていたトコだったのだ。。。
船が港に到着すると、その目の前に広がっている街が「ストーンタウン」。
ここには3泊だけして、今朝島の反対側にある目的の地「パジェへ」と移動してきた。
ダラダラを降ろされたトコにたまたま居たおっちゃんが、親切にも「パラダイスビーチバンガロー」に電話してくれたおかげで、そこまでスタッフが車で迎えにやって来てくれた。
“パラダイスビーチバンガロー”というのは日本人沙織さんという女性が営んでる宿で、その人柄もあってか「すこぶる居心地が良い」と評判だったのだが、、、
思ってた以上に面倒な思いをして来たにもかかわらず、残念ながら肝心の沙織さんは一時帰国してしまっていた。。。
しかし、例え沙織さんが居なくとも、宿そのものも期待を裏切らない立派なものだった、、、☆
私たちのバンガローは茅葺き屋根のナチュラルな風合いを生かした素敵な作りで、背の高いヤシの木々や色とりどりの植物に囲まれながら海の真ん前にたたずんでいた。
それはビーチまで徒歩“3秒”という、またとない立地!!
人懐っこい島の住人に、まっ青な海と真っ白な砂浜、それからまるまる太ったマンゴーに海から吹きつける爽やかな風、、、
(フゥ〜・・・島の空気はやっぱり心地が良い。。。。。)
初日にして早くも「あ゛ぁ〜来て良かった〜〜!!!」と、感無量の喜びが全身から溢れだす。。。
それにしても、ココは海以外にホンッと何もない、、、、、
だから、朝からこれといって特にすることがない、、、、、
でも、ソレが良いのだ。。。。。。。。
こんな綺麗な海を目の前にして、他の事に気を奪われてるほうが勿体ないというもの、、、
夕食時に奮発して食べた魚料理や伊勢海老は、南国特有のスパイスとココナッツが効いてて本当においしかった☆☆☆
夜はハンモックに揺られながら夜空に瞬く流れ星を数える。
そこには人工音などまったく無く、自然のままのサイクルがただ在りのままにゆったりと流れていたのだった、、、
こんな生活を4日間送った。。。。
まさに「最後の楽園」の名に恥じない素敵なトコだった。
ハードなアフリカの旅路の束の間、心からリラックス出来た“夢見心地なひと時”を味わせてもらいました。。。