2008年03月
2008年03月31日
タンゴとステーキの誘惑
イグアスの滝を後にしたうちらは、パラグアイにある「日本人移住区」を訪れたのち、アルゼンチンの首都「ブエノスアイレス」へとやってきた。
このパラグアイというあまり馴染みのない国にもブラジルのサンパウロ同様、小さいながらも日系移民とその子孫が協力しあって生活しているエリアがあった。
周囲は赤土に囲まれた農地ばかりなので、これといって何かがあるわけじゃない田舎なのだが、言わずと知れた「農協」の姿なんかもあったりして(写真上右)、サンパウロとはまた違った形で日系の人達の生活を垣間見ることが出来た。
一方ブエノスアイレスの街並みは、まるでヨーロッパのようであり、そこを行き交う人達もまた、南米のイメージからはやや離れた”スペイン系の血が濃い”顔立ちをしている。
一見しただけじゃ、「ヨーロッパの何処かの都市」と言われても気がつかなそうな雰囲気。。。
そしてアルゼンチンといえば、なんと言ってもウマい”ステーキ”と”タンゴ”の魅力に尽きる。。。
長時間の移動で疲れた身体にムチ打って、着いてそうそう名物のビーフステーキにトライしてみた!!!
内心、「まぁ和牛の味を知ってる日本人からしたら大したこと無いんだろ・・・」
と、軽く高をくくってしまっていたのだが、、、
コレが実際食べてみると予想以上にウマくてビックリ☆☆☆
しかも、宣伝用のサービスメニューでも結構美味しかったんだから、もっとお金を出してそれなりの肉を注文したら、かなりの線までいくんじゃないかと思う。
けど、その宣伝用のサービスメニューでも、他にドリンクやらサービス料やらが掛かり、最終的には二人で1500円近く掛かってしまった、、、
う〜ん、安いと言えば安いけど高いと言えば高い・・・。
それでも、アルゼンチンの「質に対しての価格」というものが、どうも全体的に安過ぎる気がしていまだにピンときてないけど、、、
(すなわち、お得感が高いという事デス。。。)
内容はヨーロッパレベルなのに、料金は高めのアジア・・。
ヨーロッパの物価には、さんざん苦しめられた覚えのあるうちらにしてみたら、こんな嬉しいトコはない♪
それに比べると、ブラジルのあの”無駄に高い”物価は一体ナンだったんでしょ・・・!?
ウマいステーキを味わったお次はTANGO!!!
チケットは、知り合った旅人から事前に教えてもらっていた「金券ショップ」にて購入。
さすがにタンゴ発祥の地というだけあって、ブエノスアイレスでは毎日たくさんのタンゴショーが開かれているようだ。
うちらはその中から一つ、金券ショップの店員さんからオススメされたショーを観に行くことにした。
ショーと言っても、大概はホールでやるような大きい規模のものではなく、ステージの併設されたレストランで、食事やワインを味わいながらゆったりと鑑賞するというのが、ココでの一般的なタンゴの楽しみ方のようだ。
うちらが行ったトコも、20人も入れば一杯になってしまうような小じんまりとしたレストラン。 登場したダンサーは全部で3組、同じタンゴでもそれぞれ違うタイプのダンスを披露してくれた。
その中でもどのダンスにも共通するのが、ピッタリ寄り添った男女のペアが、音楽に合わせてリズミカルにクルクル回転する動きだ。
その動きの一つ一つが非常に繊細でセクシーなのだが、これには二人の息がピッタリ合ってないと、うっかり足を踏んでしまいそうだ。。。
演奏も、ピアノやチェロやバイオリンなどのクラシカルな楽器を使ってるので、なんとも言えない哀愁漂う大人のメロディーが奏でられていた、、、
他にも、きらびやかな衣装で着飾った男女が、自慢の喉を華麗に披露してくれた。
ショーが始まる前に、些細なことでゆりと口喧嘩してしまってたのだが、ショーが始まるとそんなことはすぐに何処かへ吹き飛んでしまっていた・・・。
とにかく、店の雰囲気から演奏から踊りから衣装から、、、、、
もう何から何まですべてが渋い、、、、、
そして、エロイ、、、、(渋エロ・・・!?)
ショーが終わると、ダンサーの人達が客の中からパートナーを1人を選んで一緒に踊る、なんていうイベントもあったりした。
そして、オレはそれに選ばれた、、、
(ムフフ。。。完全に鼻の下のびてます、、)
その晩は、今まで触れたこともない渋みの利いた色気タップリの世界に、たっぷりと2時間も陶酔させてもらった。。。
それにしても、この内容で1人60ペソ(約2000円)は驚きの破格だ、、、
しかも、この金額にはショー以外にもソフトドリンクと軽い軽食まで含まれている。。。
ちなみに、店内にある価格表では1人140ペソ(約5000円)ってなっていた・・・。
かたや金券ショップ様様でもあった、初タンゴ体験となりました〜☆
ブエノスアイレスは大道芸やら物売りが盛んで、道端でもタンゴやライブなどのショーを見かけることが出来た。(写真上)
2008年03月23日
イグアスの滝
「イグアスの滝」という世界三大大滝の一つを観るために、ブラジルからアルゼンチへ国境を越えてやってきた。
ナイアガラ、ヴィクトリアと並んで世界三大瀑布と呼ばれるイグアスの滝は、高さこそヴィクトリアの滝に及ばないものの、川幅と水量にかけては、他のふたつをはるかに凌駕するそうだ。この滝は、ちょうどブラジルとアルゼンチンの国境にまたがってる為、どちらの国からでも観ることが出来るのだが、うちらは評判の良かったアルゼンチン側から観ることに。
滝とその周辺は、世界遺産にも指定されている国立公園になっており、その園内は驚くほどキレイに整備されているのだが、広い園内の移動にはかわいらしい列車を使うので、どことなくテーマパークっぽい雰囲気も漂う、、、
けれど、そこに広がる自然は決して作りモノなんかではなく、正真正銘の生命力みなぎる豊かな自然が広がっていた。
滝自体も、個人的には今まで観た滝の中で一番好きカナ。。。
たんに大量の水が落下してるというだけじゃなくて、周囲との景観のバランスがすこぶる良いのだ。。。
園内には、滝以外にも水遊びが出来る場所があったり、マイナスイオンをたっぷりと浴びながら森林を散歩出来るようなコースがあったりと、丸一日居ても退屈しないような作りになっていた。
さらにココには、、、、、
「ボートに乗って滝つぼに突っ込む!!」
という、かなりキワどいアクティビティーもあって、うちらも恐いもの見たさ半分で参加してみることになった。
水着の上にライフジャケットを着用し、乗り込んだボートのシートは運良く?も最前列、、、、
その数分後、うちらを乗せたボートは乗客の発する「ギィャャ〜!!」という、歓喜とも悲痛とも言えない叫びとともに、巨大な滝つぼめがけて頭から突進したのだった。。。。。
うちらが座ったこの最前列が、最もダイレクトに滝のパワーを体感出来る場所でもあったんだけど、そのあまりの威力に「ひょっとしたら沈むんじゃ?」という不安も無くはなかった、、、
けれど、滅多に体験出来ないだろうスリルと迫力に、そんな心配を通り越して、いつの間にか大ハシャギしてしまってたうちらだったのだ。。。。。
イグアスの滝最大のクライマックスでもある「悪魔ののどぶえ」へは、やや日が低くなった頃合いを見計らって向かった。
桟橋の途中では野生の「ワニ」や、熱帯魚屋でお馴染みの「プレコ」を発見!!野生のワニやプレコを見たのはこの時が初めて、、、
正直、今まで「滝」っていうだけじゃそんなにそそられるモノでもなかったんだけど、ココではその周辺の自然環境も含めてトータルに楽しむことが出来たので、とても充実度高かったデス・・☆
2008年03月17日
予想外の誕生日
サルバドールを後にしたうちらは、ゆりの誕生日を“極上のビーチで迎える”という野望の為、「トランコーゾ」という片田舎の小さな町まで足をのばした。
ここは最近、新たなビーチリゾートとして注目を集め初めてるらしかったが、実際行ってみたらまだまだ素朴な雰囲気の残るステキな所だった☆
誕生日の晩は、かねてから「寿司」が食べたいという願いあって、町に数件ある“スシバー”のうちの一件を覗いてみることに、、、
だがその”値段”を見てわが眼を疑った・・・・・。
何と、、、サーモンの握りが、たった2カンで”千円”もするのだ、、、、、
まさか、、と思って他もあたってみたけど、どのレストランも似たような値段。。。
「いくら誕生日でも、さすがにコレは厳しいかな〜。。。」 と、諦めかけてた矢先、突如うちらの目の前に“しんご君”が現れた、、、
“しんご君”とは、サルバドールの宿で初めて会った日本人なのだが、話をしてくうちに偶然にも“地元が同じ”という事が判明し、最終的にはうちらもよく知っている後輩とまで“幼なじみだった”という縁で繋がってしまっていた。。。
「いったい全体、、、世界ってのはホントに広いのかい???」
旅を長く続けてると、この「偶然」ってヤツには度々驚かされる、、、、、
とりあえず、その時はまだレストランが探し途中だったので、「晩飯後にまた合おう!」うという事にし、しんご君がお世話になってるという居候先の場所だけは教えてもらうことに、、、
そこへは、場所を確認するがてら挨拶だけしに行ったつもりだったのだが、結局「ご飯も食べてもう少しゆっくりしていきなさい〜!!」 という話になってしまった。。。
まぁうちらにしてもどっちにしろ「寿司」は厳しそうだったし、予想外な展開だけどこんな誕生日も決して悪くないだろう、ということでその好意には有難く甘えさせてもらうことにした・・・。
そして嬉しいことに、その居候先のお母ちゃん“リヤ”が作ってくれた手料理は、何ともシンプルにして驚くほどウマかったのだ、、、☆☆☆
それは、「愛情」がこもった料理とそうでない料理とじゃ、同じ材料を使っても「味」が全然違うものになる、という事を改めて実感させてくれたようだった、、、
その後も、突然お邪魔したにも関わらず、みんなには温かく誕生日を祝ってもらったうえに、予想外の“バースデーケーキ”まで御馳走になってしまった。。。(本当にありがとう☆)
当初予定してた「寿司」からは、だいぶ予想もつかないような展開になったけど、コレはコレでゆりにとっては思い出深い良い誕生日になったんじゃないかと思う。
それにしても、リヤの子供“チッターニャ”は稀にみるイタズラっ子だ、、、
まだ4歳だってのに死ぬほど生意気で、小憎たらしいったらありゃしない、、、
しかも、その性格に似合わず、子供服のモデルなんて事までしているっていうんだから驚きだ、、、
言われてみれば、イギリス人との子だけあって“顔だけ”は確かにハンサムなのだ。。。
リヤには、今一緒に住んでる“チッターニャ”の他にも5人の子供が居るという。
しかも、そのうちの2人は“日本人”との子供だそうだ、、、
旦那さんの写真も見せてもらったけど、そこにはごくごく普通の日本人の男性の姿が写っていた。
まぁ色々と事情がありそうなんで、あんま深いトコまではつっこんで聞けなかったケド・・・。
とにかく、これまでに色んな国の人と付き合いがあって、リア自身も世界中色んな国に行った事があるようだ、、、
自分には「アフリカン」と「アマゾンの先住民」の血が流れている、という“自身のルーツ”まで熱心に語ってくれた。
なかなかスピリチュアルな価値観を持ってる人で、“パワー”とか“エナジー”とかいう単語を会話の節々に使う、、、
話によると有名なアーティストやダンサーなどにも幅広く友人が居るようだ。
結局、リヤにはそのあとも何度となく手料理を御馳走になってしまったうえに、お別れの日には、記念にと「手作りのアクセサリー」のプレゼントまで貰ってしまった。。。
うちらは大した奉仕は全然出来てないというのに・・・。
しかも、正直なことを言うと、、、、最後の最後まで、、
「ひょっとしてまた”最後はお金”のパターンになるんじゃ・・・」
という“恐れ”が、心の隅っこでわずかながら拭い切れないでいた、、、
しかし、そんなうちらの心配をヨソに、当のリヤは最後の最後まで“献身的な態度”をもってして、うちらをもてなし尽くしてくれたのだった。。。。。
(う゛ぅ〜、、、リヤ〜、疑ってゴメンよ〜。。。)
さらに齢を聞いてオッタマゲた、、、、、
なんと、ゆりの”一コ下”というではないか・・・・・。
すでに“肝っ玉母ちゃん”の貫禄じゅうぶんなのに、、、
こういう時、さっきとは逆に「世界は広いな〜」と感じる、、、、、
この世界には、若いのにあんなに色々な人生経験を積んだ、“愛情溢れた”人が居るんだなぁと思うと、なんだか無償に嬉しくなってしまうような出会いだったのでした。。。(オブリガード☆)
一方「リオデジャネイロ」のビーチは強盗や置き引きが多発しているというので、あんまり気は抜けませんでした。。。。。
それでもやっぱり、ブラジルのギラギラと日差しの下には“ビーチ”が良く似合っていた。。。
2008年03月10日
トレッキング恐怖症
サルバドールの宿にて仲間を募り、「チャパダディアマンチーナ国立公園」という所に、2泊3日のトレッキングツアーに行ってきた。
サルバドールから西に2〜300kmほど行った所にあるこの国立公園は、もっぱら欧米人には有名だそうだが、「地球の歩き方」に載ってないという理由から日本人にはでまだ知名度は低いようだ。。。
そこへは夜行バスに乗って近くの村まで向かい、そこで四駆に乗り換えてから道なき道を車で行ける限界のトコまで行き、そこからは各自持参した荷物を抱え自分の足で歩いた。
てっきり、うちらはその時まで、”初日はロッジまで車で行けるもの”だと思ってたのだが、どうやらそれは素敵なカン違いだったようだ・・・。
3日分もの昼飯の食料を買い出してきてるうえに、クソ重い“ドリンクやお酒”まで持ってきちゃてたからコレにはちょっと笑えなかった。。。
地元のガイド「マリ」のナビゲートによって、のっけからそんな調子で始まったトレッキングなのだったが、、、
まったくコレが“シンドかった”のナンのって・・・・・・・。
トレッキングにはわりと自信があったつもりのうちらだったけど、あまりのシンドさに途中から“景色を楽しむ”なんて余裕すら無くなってしまってた程、、、
初日は、途中で川や滝などに寄って遊んだりしながらも、何とか日が暮れる前までにはロッジ(写真左上)に到着することが出来た、、、
しかしそこへ追い討ちをかけるように、ガイドのマリが「肩が痛くて料理が出来ない、、、」とか言い始めた為に、疲れきったうちらが晩飯を作るハメに。。。
しかも調理は、ガスも電気も無いキッチンで懐中電灯とロウソクの明かりだけを頼りに、まずは“釜に薪をくべる”という何とも原始的な所からのスタート、、、
でも、そんな中で皆で協力しあって作った夕食は、楽しかったうえに実際の味よりもおいしく感じてしまうんだから摩訶不思議☆☆☆
そしてその傍らでは、ナゼか“痛いはずの腕”でギターを弾きつつ、呑気に歌なんか歌いながら酒をあおっていただけのマリだったのである。。。(写真右上)
その翌朝は、ふと寝返りをうったときに感じた、強烈な太ももの痛みによって目が覚めた。。。。。
朝食の後、その殺人的な筋肉痛をうらめしつつ、今日のポイントである洞窟へ這うように向かった、、、
しかし、その洞窟を抜けた奥では、久々の“絶景といえる絶景”がうちらを待ち受けていたのだった、、、☆☆☆
その景色を目の当たりに出来ただけでも、じゅうぶん“筋肉痛の意味はあった”と思えるような、それはそれは壮大なモノだった☆☆☆
その眼前に広がった荒削りな自然は、「ジェラシックパーク」さながらトリケラトプスなんかが飛んでたって疑わないような、遥か太古の地上を思わせるようなものだった、、、
その二日目は、大した距離は歩かずに穏やかに終わっていったのだが、最終日にはアップダウンの厳しい山々を、ひたすら苦行のように歩き続け、終わってみればなんと合計30km近くも歩いてしまってたらしい。。。。。
ヘロヘロの放心状態になりながらも、ようやく辿り着いたゴールの村では、今回のツアーの無事をみんなで祝い“キンキンに冷えたビール”でお疲れの祝盃をあげる事となった。
そして、この時のマリの何気ない一言で明らかになった、、、
今回のトレッキングでマリは、うちらが特に“何も言わなかった”からと、終始自分のペースで歩き続けたという・・・。
それを聞いてようやく自分の中にあった疑問が解けた、、、
「こんなハードな行程を、来た人はみんなちゃんとこなせてるんだろうか???」
というようなコトが、歩いてるときから常に頭に浮かんでいたのだが、、、
いつもなら(※他の国の人の場合)疲れたらすぐ“休憩させろ”と騒ぐ客が、うちら日本人は“シンドくても我慢してしまう質”で何も言わなかった為に、ガイドのマリの目にはてっきり“大丈夫”と映ってしまってたようなのだ。。。
さらにマリは、日本人のガイドをしたのは今回が“初めて”だという、、、
コレには納得してスッキリしたのと同時に、ある意味で感心してしまった、、、
言われてみれば確かにソレは、日本人独特の「我慢強さ」というか「負けん気」というか、、、
(う゛〜ん、、、そのせいもあってこんだけシンドかったわけネ。。。。。)
まぁそもそも、この広大な国立公園を2泊3日で観ようとしたスケジュール自体にも問題はあったようだケド。。。
さらにコレ以来、「トレッキング恐怖症」という情けない恐怖症に悩まされてしまうようになってしまったうちらなのでした、、、
※トレッキング恐怖症とは・・?
いわゆるトラウマの一種で、“トレッキング”という響きを聞くだけでこの時のツラい体験が脳裏に蘇ってしまう、比較的ヘタレに発症しやすい精神疾患です。
(でも、思いっきり疲れた後に飲んだ“ビール”は最高にウマかったなぁ〜☆)
2008年03月04日
プチカーニバル
話には聞いてたけど、ホント想像いじょうに快適なバスなんで驚いた。。。
ブラジルの長距離バスは「枕」や「ブランケット」がついてきて、シートはゆったりしているうえに足元には「フットレスト」まで備え付けられてる、という飛行機のビジネスクラスも真っ青な「快適仕様」だったのだ、、、
サンパウロから33時間(※過去最長)かけて走ってきたバスも、2日後の早朝にはようやく「サルバドール」のバターミナルへと到着。
通しで“33時間”なんていうと、恐ろしく長い道のりのハズだけど、この「ビジネスクラス」のお陰でそんなに疲れることなく快適に過ごせた♪
やや肌寒いぐらいだったサンパウロから来ると、サルバドールの気候はものスゴク蒸し暑く感じる。。。
容赦なく照りつける紫外線と、その日差しを真っ向から受けて直視出来ないほどにギラつく海。途中、バスで通りがかった海岸沿いでは、朝早くからマラソンをしてる人の姿をかなりの数見かけた。
その海を見渡せる丘の上に広がるのは、ポルトガル植民地時代のコロニアルな雰囲気が今なお残るの旧市街の町並みだ。
現在でも、当時jの趣きを残した古い建物がたくさん残っていて、色とりどりのパステルカラーにペイントされた家々が、年季の入った石畳とともに何処までもクネクネと建ち並んでいるのだ。
黒人の姿も、ここにきて一気に増えたせいか、街の雰囲気はサンパウロとは明らかに異なる印象を受けた。
さんさんと放たれる太陽の光とあいまり、黒人特有の“楽天的”かつ“エネルギッシュ”なエネルギーが、この街を支配してるように感じる、、、
ここサルバドールにも、日本人の旅人が情報や仲間を求めて集う安くて快適な宿があり、滞在中はうちらもそこを利用した。
そこには、サルバドールがあるバイーア州が発祥の※格闘技のようなダンス「カポエイラ」や、カポエイラの際に弾く弦楽器「ビリンバウ」なんかを習っている人も、数人長期で住み込んでいた。
※本来は「ダンスに見える格闘術」として黒人奴隷の間で発祥したそう・・。
辿りついた経緯はそれぞれ違くとも、皆それぞれに秘めた「想い」を胸にしており、こういったトコでお互いの「魂」に触れ合うというのが、旅をするうえでの掛け替えのない“喜び”の一つのようにも思う。。。
それと、ここサルヴァドールで“絶対”ハズせないのが、毎週日曜と火曜にあるお祭りだ☆☆☆
うちらもさっそく、日曜の夜8時くらいから街へ繰り出してみた。
教会前の階段で開かれていた地元アーティストのライブでは、既にものすごい量の人で階段が埋め尽くされている(写真上)
それにしても、すごい盛り上がり方。。。。。
さすがブラジリアンだ、、、、、ノリが良い、、、♪♪♪
この教会よりさらに中心に近い「セー広場」に近づくほど、道は人でごった返している、、、
広場の周りでは所狭しと屋台が並んでいて、コンサートをやってるステージもあれば、道端で大道芸してる人もたくさんいた。
その中の一つ、「カポエラ」のダンスが大勢の人だかりを作っていた。
今までに何度か「カポエイラ」は見たことあったけど、ココのは特別ハンパじゃ無かった、、、(写真が無いのが惜しい)
ドラムとビリンバウに、タンバリン?のような楽器を合わせ、向かい合った二人のダンサーは、リズミカルに身体を宙で回転させている、、、
かと思った途端、片方の「ケリ」がもの凄いスピードでもう片方の顔面をめがけて飛んでいった、、、
しかし次の瞬間には、あざやかな側転によってその「ケリ」は紙一重のトコでかわされてしまう、、、
そうとう鍛え抜いただろう“ムッチムチ”の身体に、目茶苦茶アクロバティックな技とスピード。。。
コレだったら“格闘技として生まれた”ということが容易に想像出来る、、、と思わせるぐらい、ダンスというよりはむしろ、真剣勝負の“闘い”に近かった・・・。
むろん、カメラを撮る観光客からはせっせと“チップの回収”に励んでいたケド。。。。。
その後も、ビール片手にライブをハシゴしたり、大道芸に見とれたり、、、
それらをひと通り見終わった所で、そろそろホテルに戻ろうかなと道を歩いていたら、突然、どこからともなく「ズダンッ、ズダンッ、、、」という地鳴りのような音が響いてきた。。。
「お、いた、いた!!、、、太鼓隊発見!!!」
帰る間際になって、ようやくお目当てだった“太鼓隊”を発見した!!!
この総勢20人位からなる太鼓隊?は、下っ腹に響くほどの唸るビートを繰り出しながら、意気揚々と旧市街の石畳の上を練り歩いていた、、、
すでに後方には、大勢の観光客やら地元の子達を従えており、その前方には、ダンスの振り付け担当をしている“ティーチャー的存在”までいたのだった。。。
そのティーチャーが振り付けたダンスと、太鼓隊の繰り出すビートが妙にマッチし、なんとも言えない強烈なグルーブ感を生んでいた、、、
すかさずうちらもそこへ加わり、皆と一緒になって踊りまくった。。。
「気分はまるで、サンバカ〜ニバ〜ッル、、、、♪♪♪」
人混みにまみれてモミくちゃの汗ダクになりながら、なりふり構わず踊ったダンスは、それはもう最高に ↑ な気分だった!!!
アフリカでさえ、これほどのアフロパワーとパッションは感じとれなかったのに・・。
そのまま我をわすれて踊り狂い、かれこれ2時間近くは踊っただろうか、、、、、
すでに夜中の12時を回ろうとしてるのに、その勢いは一向に衰える気配がない。
しかも、この規模の祭りを毎週”2回”もやってるってんだから、この街の人達本当にパワフルだ・・。
その晩は、宿に戻ってからもしばらく興奮冷めやらず、なかなか寝付けない程だった、、、
毎年2月にある「サンバカーニバル」は、惜しくも間に合わなかったけど、その代わりにココでは“プチカーニバル気分”を味わうことができたので、それだけでも十分価値あるものだったと思う。。。
この「プチカーニバル」が味わえるお祭り、、、、、
サルバドールを訪れる際は、是非お見逃しのないように・・・。