2008年05月
2008年05月26日
マチュピチュ遺跡
当日、朝5時にマチュピチュの拠点アグアスカリエンテスの町を出発。余分な荷物はホテルで預かってもらい、まだ暗く小雨もパラつくなか低公害の専用バスで遺跡まで向かう。
着いてすぐ2時間ほど現地ガイドの説明がついたが、ぶっちゃけ眠過ぎてそれどころじゃなかった。。。(苦笑)
しかも、空が明るくなってからも依然あたりを厚い雲と霧が覆い、マチュピチュ遺跡はまるでもったいぶってるかのように、なかなかその全貌を露にはしてくれなかった・・・。(写真下)
ガイドの説明が終わると同時に、うちらは急いでマチュピチュの全景が見下ろせるポイント「ワイナピチュ山」へと登った。頂までは30分ほどで着いたが、そこでも厚い雲がなかなか取れずしばらく待機。
結局1時間近く待っても完全に雲がとれる事はなかったが、雲の合間から遺跡の全景が見渡せるタイミングは何度か訪れたのでひとまず御の字ということに・・・。(写真下)
15世紀にインカ帝国が築き上げたといわれるこの都市は、標高2400メートルの断崖絶壁の上にあり、麓からは全く見ることができないという特殊な立地にあるため、またの名を「空中都市」ともいわれている。
16世紀にインカ帝国を征服したスペイン人さえもこの都市には気付かず、その後400年以上にわたって人の目に触れることもなくその存在は世間に知られていなかったそうだ。
1911年になってようやくアメリカ人の歴史家によって発見されたそうだが、コレが一体なんのための都市だったのか?という点については今だ謎が多いとのこと、、、
この日はうちらにしては珍しくだいぶゆっくり回ったけど、それでも午後2時ぐらいには大体見尽くしてしまいこの遺跡を後にした。
今回の感想としては、、、
世界的にもかなり有名な遺跡だけに、求めずともその存在を写真や映像などで幾度となく目にしてきたマチュピチュ。
そのせいか、なかば“凄くて当然”という捉え方をしてしまってた部分も少なからずあり、うちらの感想としては「期待以上の感動は得られなかった」というのが正直な所。。。
確かにロケーション自体は切り立った山のとんでもない場所にあるので感動には値するんだけど、でも仮にこの遺跡自体他の場所にあったとしたら案外どうってことないって思っちゃいそうな気もした。。。
インカ帝国時代の遺跡はこのマチュピチュ以外にもいくつか回ったけど、基本的に石組みだけの飾り気のないモノが多いので、よほど思い入れがない限りはすぐに飽きてしまうというのがうちらの印象だ、、、
まぁ世界に名だたる天下の世界遺産マチュピチュには失礼な話だけど、あくまで一旅行者の個人的主観ということで・・・。
でも、マチュピチュに向かうまでの道のり(マンテンバイク&インカ道トレッキング)は、ちょっと大変だったけどその分雄大な山あり川あり温泉ありでとても満足出来たので取り合えず思い残すコトは無いです☆
(遺跡にはもう飽きがきてるという噂も・・・)
2008年05月25日
マチュピチュまでの道のり
世界的に有名な世界遺産「マチュピチュ遺跡」までは、通常クスコからバスと電車を乗り継いで行くのが普通だけど、あえてうちらはマウンテンバイクとトレッキングを交えたほぼ“自力”で向うことにした。
そのトレッキングで辿るルートも、インカ帝国時代実際に使われていた道が今なお残る「インカ道」なるもので、それを辿ってけば少しは当時の人の気分が味わえるんじゃないか、、、というもくろみもあった。
【一日目】
7時30分ホテルにツアー会社のスタッフが迎えにきて、その後すぐツアーで一緒になるメンバーと合流した。
陽気なスペイン人のおっちゃん2人にその友達の女性マリナ。そしてアメリカで出会ったというインド人とペルー人(ナタリー)の珍しいカップルに、うちらを合わせた計7人が今回のメンバー。
マウンテンバイクのスタート地点となる場所までは車で向かったのだが、付近は標高4200〜4300mもある高い山々で、着いたときは数m先の視界すらままならないほどの濃い霧が辺りにたちこめていた。。。(写真下左)
そこでお揃いのヘルメットとユニフォームを着用し、頑強なマウンテンバイクに跨がり猛スピードで山道を下った、、、
前半はほとんどが舗装された道路の下りだから楽だったけど、後半は平坦な砂利道が続いたので結構シンドかった。。。
山頂付近では寒さに手がかじかむ程だったのが、麓では体力のいる砂利道とあいまって全身から汗が吹き出してくるほど暑くなった・・・(写真下右)。
【二日目】
朝6時に集合し、パンケーキとコーヒーの朝食をとってから出発。前半の2時間ぐらいは今回のトレッキングの中で一番ハードだと思われる登りのエリアが続く。
(写真上上左)この辺りでは染料に使われるという木の実でフェイスペインティングを施してからしてからトレッキング開始。
(写真上左)ここからがインカ道始まりのサイン
(写真上右)急な斜面に沿って緑々と生い茂ってるのはコカの葉畑。
(写真上)頼りないロープとゴンドラに揺られ急流を渡るシーンも、、、
途中、頻繁に休憩をとってくれたおかげでこの日はわりとのんびりペースで歩けた。ちょうど年配のおっちゃんが2人混じっててくれたのが幸いした。。。
(写真上)途中立ち寄った茶屋で飼われていたサルとアナグマ!?
夕方4時ぐらいにはサンタマリアという町に到着し、皆でさっそく名物の温泉に飛び込んだ。。。(写真下左)
2日ぶりにキレイに頭と身体を洗い気分サッパリ。。。湯加減もナカナカだったけど、そのあと飲んだ湯上がりのビールもこれまたナカナカでした。。。
晩飯後、ガイドの誘いにより地元のDISCOのへみんなで行くことになった。不気味なぐらい薄暗い掘っ立て小屋で、唯一照明のランプだけが赤や青にチカチカ光ってるだけの、まるでお化け屋敷みたいにチープなトコだった。。。
それでも、みんな大いに飲んでハシャいでと、とても楽しい時間を過ごした(写真上右)。うちらは適当なところで部屋に先に戻ったが、みんなはこの後3時ぐらいまで飲んでたそうだ・・・。
【3日目】
今日は昨日より2時間遅い8時30分の集合。今日も朝飯にパンケーキとコーヒーを頂いてから出発。
今日の行程はトータル6時間。午前中は山道の続きだったが、午後からは砂利敷きの歩きづらい線路沿いをひたすら歩いた。
(写真上段右)周辺の畑ではコーヒー豆の栽培も盛ん。
(写真中断左)1時間に一本ぐらい鉄道が通るのでひかれないように挨拶。
(写真下段左)途中、滝にも寄ったが流れる水は驚くほど冷たい。
(写真下段右)アグアスカリエンテスの町並み。
夕方、ようやくアグアスカリエンテスというマチュピチュ遺跡の麓にある町に到着。
この町はマチュピチュ遺跡の最寄りだけあってかなりツーリスティック。かなりの山奥にもかかわらず、場違いなほど凝ったホテルやレストランが乱立している。
最後に、、、
この周辺に生息する見たことも無い「蚊」のタチが悪いこと悪いこと、、、
後で分かったのだが、この時ガイドがモスキート(蚊)と呼んでいたコイツは、実は蚊ではなく「プリプリ」と言われるブヨの一種らしい。。。
刺された瞬間は結構な痛さで“チクッ”っとくるのだが、赤く腫れて酷いときは血まで出るわりにはカユミはどうってことない。
しかし、それだけだと甘くみてると、2〜3日遅れの時間差攻撃で蚊の数倍は激しいと思われる強烈なカユミが一気に襲ってくるのだ、、、
そのカユミは1〜2ヶ月もの長い間続き、カユミがひいた後も肌には数ヶ月にわたり痛々しい痕跡が残る・・・。
とまぁ後々そんな悪夢が襲ってくるとは知りもせず、大した虫除け対策をしなかったせいで、二日目の時点で全身50ヶ所近くも刺されてしまった哀れな俺だったのでした、、、(写真下)
ちなみに、ゆりは多少の虫除け対策をしてたので俺ほどは刺されずに済みましたとさ。。。
(あ゜゜〜カユイ・・・・・)
2008年05月21日
インカ帝国の中心クスコ
ここ「クスコ」は1532年にスペイン軍の侵略を受けるまでは、インカ帝国の首都にあたる文化の中心だった所。
今でも至るところにインカ帝国時代の名残は残っていて、植民地後のコロニアルな建物の土台部分にインカ帝国時代の石組みが使われていたりと、特にその建築様式に異文化の融和がみられる。
左の写真に写る石組みに使われてる石は、通称「12角の石」と言われているモノ。
写真で見ても分かる通り、本当に角が12コもある。
これはインカ帝国時代に造られた石組みだそうだが、こんな巨大な一枚岩を機械も使わず削り上げ、それを「カミソリの歯一枚すら通さない」と言われるほど緻密に積みあげたんだっていうんだから、その技術と根気は素人目にみてもただ事じゃないのが判る、、、
滞在中、かなり大きな地元のお祭りが開催された。(写真下)
キリスト教にまつわる人物の人形を、大勢で御輿のようにして担ぎながら町を練り歩くのだが、それ以外にも土着の信仰と関係あると思われるヘンテコな被り物や民族衣装をまとったグループも多数出現した。
町の一角では大量の屋台が出てるエリアがあって、地元の人はそこで思い思いにお酒を飲みつつ食事を楽しんでいるのだが、よく見てみると何処で出されてるのも同じような料理だった。
これは「クイ」という大ねずみの丸焼きと、鳥やブタの内蔵やら海草と魚の卵?のような得たいの知れない数々の盛り合わせだそうだ。。。(写真下)
せっかくだからとうちらもトライしてみたけど、どれも独特の匂いとクセがあって、お世辞にもウマイといえるようなシロモノじゃなかった。。。
地元ではこれらの料理をこのお祭りの時に食べる習わしがあるとのことだったが、まぁ日本でいう正月のおせち料理みたいなものかと・・。
スペイン侵略後に造られたレトロなコロニアル調の建物と、インカ帝国時代からの民族文化が混然とミックスされた町並み。
それが、ウットリするほど趣があって、毎度町に出るたび「やっぱり良いな〜ウンウン・・・」と、頷いてしまうほどだった。。。
ここクスコは、特にゆりが完全にメロメロとなってしまったうちらお気に入りの印象深い町の一つとなりました。
(写真上)丘の上から眺めたクスコ市街の全景。背後の山の斜面に刻まれたEL PERUという文字が象徴的。
2008年05月17日
チチカカ湖で思う
ボリビアのコパカパーナからチチカカ湖を船で渡り、ペルー側の町プーノにやってきた。今回は、このプーノからボートに乗っかって、チチカカ湖に浮かぶいくつかの島を訪れた時の模様をお送りします。。。
このチチカカ湖というのは、ペルーとボリビア両国の間に挟まれた標高3800mに存在する淡水湖。富士山より高い位置にありながら大きさは琵琶湖の10倍の面積を誇る。
うちらを乗せたボートは、まず始めにウロス島を訪れた。 島に近づくと、色鮮やかな民族衣装をまとったインディヘナのおばちゃんたちがお出迎え。。。
ここに住んでる人達は、何世代も前からこの島で生活を営んできたというインカ時代からの民族の末裔だそうだ。
島といっても、このウロス島は大量の葦(あし)を敷き詰めて作られた「トトラ」と言われる人工の浮島で、実際は水面に浮いているだけの島。しかも、固定しているロープを外せば島ごとの移動も可能らしい。。。
「何でわざわざこんな不便なトコに住もうとしたワケ?」と思ったけど、どうやらスペイン占領時代の迫害や民族対立などが切っ掛けになってるようで、別に自ら好き好んで水上での生活を始めたワケじゃないらしい、、、(そりゃそうだ)
ここの人達は、うちら観光客が来ると一斉に手を振ったり歌を歌って迎えてくれるのだが、その動きや表情にはどこか「ワザとらしさ」が漂っていて、正直ツーリスティックな匂いがプンプン。。。
島には現在も数世帯の家族が住んではいるものの、見る限り観光業にドップリ依存してる頃向が強い。
こんな小さな浮島のうえでさえたくさんの土産売りが出ていて、その光景は、毎日出来るだけ多くの観光客が島に訪れてくれるのを心待ちにしているかのようだった。
(写真上左)島の歴史やトトラの作り方、何を食べて暮らしてるのかなどをミニチュアや実物を用いて詳しく解説してくれた。
(写真上右)島内には魚を養殖しているイケスなんかもある。
次に訪れたのはタキーレ島。ココは浮島ではなく普通の島。(写真下)
この島の男達はカラフルな民族衣装の帽子をこぞって被っている。刺繍が細かくて凝ってるからお土産に良いかなぁとも思ったけど、「でも、かぶる機会ないよね・・・!?」ってことに気づいて止めた。。。
それにしても、 この島はそんなに大きくない島にも関わらず子供の数が多いこと多いこと、、、
でもってタカってくるタカってくる、、、
けど実際問題、勝手な目線から見た可愛いとか可愛そうとかっていう理由だけで、大した意味もなくお金や物をあげちゃう外国人が多いってんだから、子供達がこういう状態になっちゃうのは無理もない。。。
それは一見すると富める立場からの愛情のようにも映るんだけど、一歩間違えたら単に与える側のエゴを満たすだけの浅はかな行為にもなりえる、、、
よく言われるのが「楽に金銭を得る手段としての物乞いが当たり前になるとマジメに働く意欲がそがれる」という人間のサガ・・・。
与える側がいくら子供達の為と疑わずとも、そこをクリア出来ない以上はそれこそ「いくらネダられても無償ではお金を与えない」という選択のほうが、その子にとっては本当の意味で必要な判断なんじゃないかと思う。
楽にお金を稼ぐ物乞いという手段がクセになってしまえば、ゆくゆくは演技してでも嘘をついてでも物乞いを続けることだっていとわなくなるだろうし、終いには人間性にまで悪い影響を与えかねないだろうし、、、
それに、どうしてもその子達を救いたいと思うのであれば、無理に直接金銭を渡さなくたって、信用できる団体や関係施設なりを通して、いくらでも別な形で援助が出来るワケだし、、、
これは個々人の想いや状況などによっても例外はあるだろうから一概には言及出来ない問題だとは思うけど、だからといって安易に金銭を与えてしまうような観光客が、何百人、何千人とそこを訪れたら、その地域へ多大な影響を及ぼしてしまうというのも明らかな事実なのだ。
これは土産屋などにしても同じことが言えると思うけど、あまりにも有名になり過ぎてしまった観光地ではよくこの種の悪影響が目立っていて、 そんな現場を幾度となく目の当たりにしてきた立場からすると、やっぱり軽視出来ない問題のように思う。
自分もそんな偉そうなことを言えた立場じゃないけど、これまで実際に軽はずみな旅行者をそれだけたくさん見てきたからこそ、そこには海外を旅行をする者の最低限のマナーとして注意深く気を配る必要があると感じている。
そんなワケで僕らはいつの日からか、経済状態や生活風習が違う他国に足を踏み入れるという立場で在る以上、現地の人に対して「お金」という手段だけに頼った一方的な援助とかお礼などは止めにしようと心に決めてるのでした。。。
(これらは一般の人にはあまり関係のない問題ですけど、ボランティア活動の現場などにも通ずることのようなのでご参考までに・・・)
2008年05月13日
食とショッピングの都ラパス
「食とショッピングに走る!!!」
うちらのオススメとしてはコレに尽きる。。。
南米一安い物価に加え、ハイレベルな日本食屋に温もり溢れる民芸品の数々、、、
さらに、これも南米一と思われる広大な敷地を誇る青空マーケットの存在、、、
とまぁ、個人的にはこれらを極めるだけでもラパスでの滞在は十分有意義に過ごせるんじゃないかと思います。。。
まず、ココで挙げたハイレベルな日本食屋というのは、紛れもなく「ケンちゃん」と「ブルーベリーカフェ」のことを指している。
この2件、南米を旅する者の間では言わずと知れた存在なのだが、どちらもお世辞抜きにうまい!!イヤ〜本当にうまかったなぁぁ。。。
これは久々の日本食だからってワケじゃなくて、仮に家の近所にこの2件があったとしたら、「きっとちょくちょく通うんだろうな・・・」ってぐらいのレベル、、、
ケンちゃんは、ラーメンから丼物、定食系まで何でもござれといった感じで、基本的にどれを選んでもハズレは無い!!
値段のほうも内容の割にはだいぶ手頃で、写真左のような定食が日本円にして400円ぐらいから食べれちゃう。
久々に味わったてんぷらやとんかつなんて、専門店にも負けないぐらいのサックサクのジューシーでもう涙モノだった。。。
一方、ブルーベリーカフェでは何と言っても「テリヤキチキン」が絶品だった!!コレを初めて食べたときの衝撃ったらそれはもう、、、
店の外見は洒落たカフェのような佇まいなのだが、そこで出されるテリヤキさんはそんじょそこらのモノとはワケが違う、、、
正直、自分は後にも先にもこんなに美味いテリヤキさんには出会ったことがない・・・。
もちろんチキン自体も美味しいのだが、それ以上に味付けの塩梅が何とも絶妙なのだ。ソースの甘辛さが憎いほど日本人(俺)好みで、思わず皿に残った一滴まで舐め尽くしたくなるほど、、、(写真無くてスミマセン・・)
テリヤキチキンと一緒にライスとサラダ、食後にコーヒーまで付いてきて400円程度で済んでしまうという優しい値段設定も◎。
ここはテリヤキチキン以外にもカレーも評判良かったんだけど、うちらはテリヤキチキン以外に目もくれなかったので、結局その味を確かめることはなかった、、、
どちらも安宿が集まる旧市街からは歩いて40分近くも離れてたんだけど、そんな遠さをものともせず、この2件には滞在中いく度となく足を運んでしまった。。。
それ以外にも、前述した2軒よりはやや高いが「コリアンタウン」という韓国人経営の韓国料理店も旅人の間では結構好評だった。
うちらも一度だけ石焼きビビンバを食べに足を運んだけど、ココもなかなかの美味で捨て難かった。。。
他にも「アレキサンダーカフェ」のチーズケーキや、ローカルハンバーガーチェーンの「メガバーガー」や、道端で売られてるコロッケ(写真左)など、、、
ラパスの町にはこんな感じでウマいモノが目白押しだったので、食だけは日々事欠かくことがなかったのでした。。。
(この町、標高4000m近くもあるってのに我ながらよく食べた・・・)
ボリビアは南米の中で最もインディヘナの割合が高いというだけあって、ここラパスの町中でも、至るところで独特の民族衣装に身を包んだインディヘナの姿を目にすることが出来た。
女性の場合、年齢問わず長めに下ろした三つ編みにツバ付きのハットを被り、ズングリむっくりした身体を色とりどりのセーターとフリルのスカートで着飾ってる姿が乙女チックで何とも可愛らしい。。。(写真下)
それに比べて男性は対照的で、特にこれといった民族衣装をまとうわけでもなく、背丈は女性同様に低いが体型はどちらかというとスリムな人が多かったように思う。
お次は買い物!!旧市街を走る「サガルナガ通り」周辺は、道の両サイドに土産屋がびっしり軒を連ね、民族色豊かな民芸品の数々で溢れかえっている、、、
ナチュラルな風合いを活かした色とりどりの織物に、毛糸で編んだかわいらしい人形や革で作られた小物の数々、そしてアンデス発祥の音楽フォルクローレには欠かせない楽器「ケーニャ」や「サンポーニャ」を売る店などなど、、、
この近辺はまさに土産物を買うのにはうってつけの場所。さらに物価も安いときてるもんだから、うちらもここで土産をまとめ買いし日本へ郵送で送った。
さらに、そのサガルナガ通りから横に伸びた通りに、通称「魔女通り」と呼ばれる怪しい名の通りがある。
その一画に、リャマやアルパカ(ラクダの仲間)の胎児のミイラや(写真左)、如何わしい薬草のようなものから不思議な陶器製の人形など、、、
全くもって一体何に使うのかも分からないようなアイテムが所狭しと売られている怪しい呪術ショップがある。
ちなみにこの左の写真に写っている胎児のミイラは、家を新築する際に地面の下に埋めて家内安全を祈願するのに用いられるとのこと、、、
さすがに観光客でコレを買ってくような奇特な人はあまりいないと思うケド、どうせなら値段だけでも聞いておけばよかったなぁ。。。
その他にも、 ラパスの中心部からバスで30分ほど山の上へ行った所にあるエルアルト(写真左)では、毎週木・日曜日に大規模な青空市が開かれている。
ここでは広大な敷地の中、古着や身の回りの生活用品をメインに、車やバイクのパーツ、電化製品からCD、DVDまで、生活に関する物から関係ない物まで、ありとあらゆる物が売られている。
ここで売られている古着は、主にアメリカから流れてきたものが多く、殆どは買うに値しないようなものばかりなんだけど、注意深く探してみると中にはラルフローレン、カルバンクライン、パタゴニア、コロンビア、ノースフェイス、L.L.Beanなどの有名ブランドの服も結構紛れ込んでたりする。
この大量の古着の山の中から宝探し感覚でそれらを見つけ出し、格安で買いつけるというのが、一部の旅行者の間ではちょっとした楽しみの一つとなっていた。。。(もちろん自分もその一人)
それもそのはず、地元の人にとっちゃノースフェイスだろうがパタゴニアだろうが知ったこっちゃないので、ここで売られてる服はほぼブランドに関係なくビックリするほどの安価で買えてしまうからだ・・・。(フリースで2〜5$、ジャケットでも5〜8$程度)
しかし最近では、日本人がノースフェイスやパタゴニアばかりを狙って集中的に買い漁るので、それを知った店側もこれらのブランドにだけは高値を付けるケースが多くなってきたという、、、
古着とは言っても殆ど着てないような新品に近いものもかなり多く、これだけ大量の新品同様の服が、アメリカではもう必要ないモノとして手放されているということにも同様に驚かされた・・・。
でも、、、もったいないとかなんとか言いつつも、自分もちゃっかりパタゴニアやL.L.Beanのジャケットなどの日本で買ったら数万円はするだろうアイテムを、たtった数百円という激安価格にてゲットさせてもらった。。。(嬉)
お次は滞在中たまたま開催されたフェスティバルの模様をどうぞ、、、
このお祭りは、複数のチームが思い思いに工夫を凝らしたコスチュームとダンスを披露しながら通りを行進していくパレードのようなスタイル。どうやらこの一週間後が本当のメインらしかったんだけど、うちらが観た日でも十分なぐらい盛大なものだった。
特に通りを埋め尽くすほどの数のインディヘナの女性達が、この日の為に用意したきらびやかな一張羅を身にまとい、右に左にと腰をヒネリながらちょっぴり照れくさそうな表情で行進する姿が実に印象的だった。
このパレード中は本当にみんな楽しそうな顔をしていて、普段はあまり自分から絡んでこないようなちょっと内気なボリビア人達も、このときばかりはお酒の勢いも借りつつ、思い切りオープンマインドでうちらの相手をしてくれた。
ということで、とりあえず一緒に踊ってみました、、、、(写真上右)
他にも宿で出会った仲間達数人と、たった2レーンしかないという一風変わったボーリング場へ遊びに行ったりもした。。。
このボーリング場は、おっちゃんが手で一本一本ピンを立ててくれるというアナログなトコで、ボールが戻ってくるときも、おっちゃんがレールにボールを乗せてから初めて戻ってくるという、今時何とも珍しいボーリング場だった。
こんな調子だからスコアももちろん自分達で手書きだし、よく見るとレーンもちょっと傾いてる。。。
こんなレトロなボーリング場は初めて、、、そりゃ、今の自動のヤツと比べたらいちいち手間が掛かるけど、そのアナログ感がうちらにとっては逆に新鮮で味わい深かった♪
それと、この町では最近調子の悪かったカメラを新しく買い直した。ウユニ辺りから激しい気温差と標高差のダブルショックせいでズームが壊れてしまってたのが、とうとう写真じたい撮れなくなってしまったのだ。
しかし、こんな日本から離れたトコにも関わらず、Canonのカメラが日本とあまり変わらないぐらいの値段で買うことが出来た。 で、安いついでに i Touch なんていうモノまで買ってしまった。。。
i Touch は前々から欲しかったアイテムだったんだけど、南米ではあまり売ってなかったうえに、仮にあったとしても日本よりも高くてなかなか手が出せないでいたのだ。
それが310$という今までで見た中で一番安い値段で売ってたのと、最近日本を発ったばかりの旅行者から聞いた日本の様子が切っ掛けになって、「コレで少しは日本と繋がれれば・・・」という切なる願いのもと購入を踏み切った。
当たり前といえば当たり前の事なんだけど、この1年半の間に自分達の知らないところで刻一刻と日本の社会が動いてるって事に軽い不安を覚えてしまったのだ・・・。
とまぁ、、少し話しがそれてしまったけど、うちらはこの町では特に観光らしい観光をしたワケじゃないけど、とにかく「食」に「買い物」、それと忘れちゃいけない「触れ愛」と、それらを満たすだけで十分充実出来ちゃうトコなんではないかと勝手に思ってる次第であります。。。
※うちらは大丈夫でしたが、ラパスは物騒な話も沢山聞くので、滞在する予定のある人は十分注意してください!!
(写真左)意外に綺麗だったラパスの夜景☆
(写真右)美味しそうなトカゲが大量に漬けられた瓶詰はいかが!?
2008年05月03日
世界最高所にある町
ボリビアの首都ラパスから南東に約450kmの所に位置する「ポトシ」という町は、標高 4,000 mという高地にあるため、人が住む都市としては世界最高所になるそうだ。
その世界で一番高い所にある町ポトシへ向けて、うちらを乗せたバスは午前10時にウユニの町を出発した。
セミカーマ(2ndクラス)と聞いてたけど、実際来たのはかなりのオンボロバス。。。最近乗ってた南米のバスと比べると雲泥の差だ。
それにポトシまでの道程も、険しい山の間をぬうようにして走ってるせいか、ボンヤリしてると思わず舌を噛んでしまいそうなほどのガタガタ道だった、、、
こんな調子で、ウユニからポトシまでの間は地図で見るかぎり大した距離でもないのに、何だかんだ7時間も掛かってしまった・・・。
ポトシの町は意外にも都会だった。。。 (最近居たトコに比べてだけど・・・)
で、着いて早々気になったのが、バスに書かれてる日本語がやたらと目につくコト・・・。
「草津なんちゃら旅館」とか「双葉なんたら幼稚園」とか、、、
というか、町を走ってる乗用車の殆どは10年落ちぐらいの日本車しか見かけない。。。
これまでの南米の国ではそんな事なかったのに、ここにきて急に増えた日本車の数にまず驚かされた。
これはこの国が南米最貧国というのと関係があるのか、ODAなどの援助的な意味合いもあってのことか、どちらにせよ、この国には日本ではもう需要がなくなってしまったぐらいの年式の車が大量に流れ込んできているようだ、、、
この町は世界最高所という以外にも、背後にそびえる鉱山が有名で、1987年に「セロ・リコ銀山」を含め、その他の構造物とともに世界遺産に登録されている。
ということで今回は、その「セロ・リコ銀山(写真下)」の採掘現場の様子を垣間見てきた。
まずは用意された作業着に着替え、長靴とヘルメットにバッテリー付きのヘッドランプ着用という、完全現場仕様に身をくるんだ。
次に鉱山で働く人達への差し入れとして、コカの葉、タバコ、アルコール、ジュースなどを市場にて購入(写真下左)。ついでにダイナマイトも三本ほど・・。
その差し入れを持っていよいよ鉱山の内部へと入ったわけだが、入ってすぐの所にデビルのような姿の石像が奉ってあった(写真上右)。
これは「ティオ」と呼ばれる、坑内の安全を守る神様だそうだ。
「何でデビル?」と思ったけど、彼らにとってデビルとは不吉な存在ではなく、強さの象徴であるらしかった。
このティオにたばこをくわえさせ、酒を捧げることによりご機嫌を取り、坑内の安全を祈願するのだそうだ。
その一方で、スペイン人をデビルに見立てて作ったという説も残っている・・・。
うちらもそのしきたりに従い、きちんとティオに安全祈願してから深部へと入っていった。中は真っ暗で、思いのほか狭く息苦しい、、、
驚いたことに、スペイン植民地時代当時にスペイン国内で流通していたコインの大半が、ここで採れた金や銀を使って作られたものだそうだ。。。
しかしその裏では、飯もロクに食べさせてもらえないような環境下で長時間にわたって重労働を強いられ、数多くの奴隷労働者がその環境に耐え切れず死んでいったという、、、
昔は強制的に集められたインディヘナの奴隷にまじり、数多くの黒人奴隷もここで働かされてたらしいが、今ではもうその姿もなかった。
実際に中で働く人の仕事ぶりも見学させてもらった。
上の写真に写ってるおっちゃんは、ここで「上の階層から落とされた土砂を外へ運びだす」という仕事を、なんと25年もの間ずーっと続けてきたという・・・。
それも見ての通り、今だスコップに荷押車という具合なので、見てるこっちが呆れそうになるほど効率が悪い、、、
日も当たらない暗く狭い穴の中で、疲労と空腹をコカの葉でごまかしつつ、来る日も来る日もひたすら穴を掘り続ける、というのは一体どういう心境なんだろう、、、
正直、今の自分からは想像すらつかないし、考えてみたところでとてもじゃないけど耐えられそうになかった・・・。
さらに、ここで働いてる人の給料は今でも歩合制のようなものらしく、実際に鉱物が出ないことにはいくら働いてもその給料は支払われないようだ。
その時の相場の影響なども大いに受けるとのことで、話を聞くかぎりではその生活は決して楽に見えようハズもなかった。。。
そんな彼らの唯一の支えである「コカの葉」も、最近になって政府が規制をしき始めたとかで、これにはみんな一丸となって抗議してると声を粗げていた。
この銀山、一説には800万人もの人が犠牲になったといわれており、別名「人を食う山」として恐れられていたそうだ。それは奴隷制度の象徴として「負の世界遺産」にも数えられているほど。
800万って言ったら、ナチスホロコーストの数倍の規模だよ、、、!?
悲しいかな、それだけの数の命が、ただ光ってるだけで腹の足しにもならないモノに対し費やされてきたってのが人類の軌跡のようだ、、、
実際のところ、金や銀に本当にそれだけの価値があったのかどうかなんて自分にはよく分からない、、、
けどその華やかな輝きの裏に、想像もつかないほど苛酷で、気の遠くなるような単調な作業が隠されている事だけは確かだった。
最後に、発破の時に使うダイナマイトを試しにその場で1本爆破してみせてくれた。
初めて目の当たりにしたダイナマイトの爆破は、それはそれは凄まじい音と衝撃だった、、、
でもその威力もさることながら、何処にでもある何の変哲もない露店で、それがフツーに売られてるとはさすがに思いもしなかったなぁ。。。
(形が形だけにまさかとは思ったケド・・・)
2008年05月01日
ウユニの夜明け
チリの北部、海抜2400メートルの荒野にある「サンペドロ・デ・アタカマ」という町から(写真下)、ボリビアの「ウユニ塩湖」へと抜ける2泊3日のツアーに参加してきた。
たまたま日本から短期旅行に来ていたカズさんと、アメリカ人と日本人のハーフのスダさん(顔は思いっきりアメリカ人・・)、イギリス人のリサと、もう一人の女の子(ゴメン名前忘れた...)
さらに、インディヘナのドライバーとそのファミリーが食事担当としてうちらの車に同乗した。
ツアー初日、特に何もないチリとボリビアの国境まではミニバスで向かい、そこからは険しい道が続く為、頑強なランドクルーザーに乗り換えた。
まず初めにホットスプリング(温泉)に寄ったのだが、あまりの寒さにうちらは服を脱ぐ気すら起きず足湯だけで済ました、、、
そんな中さすがというか何というか、イスラエル人や欧米人は寒さにも臆する事なく果敢に水着に着替え入浴。。。
この辺りにはいくつか湖があるのだが、周囲は乾ききった大地にもかかわらず、そこだけは豊富な水が存在していた。
そのうちの一つ、ピンク色をした湖ではピンクフラミンゴの群れが水浴びをしている姿を目にすることが出来た。
途中、かわいいリャマ(ラクダの仲間)の群れに遭遇(写真下)。
それにしても、頭上に広がる空が今まで見たことないぐらい近くて碧い、、、
それにつれ高度が着々と上がってきているせいか、心なし呼吸も苦しい。
ふと車内の高度計に目をやると、すでに標高4300メートル地点を指していた。
1泊目の宿に到着すると、着くなりすぐ「コカ茶」というモノが出てきた。
「コカ茶」とは、コカインの原料でもあるコカの葉を乾燥させたモノをお湯で煎じ、好みで砂糖などを入れて飲むこの地方特有のお茶で、高山病予防に効くとしてこの辺りの標高が高い地域では、古くからごく一般的に親しまれてきた飲み物だそうだ。
その昔ながらの知恵にあやかり、僕らもアンデスに居る間は、事ある毎にこの「コカ茶」をガブガブ飲んだ。
日が沈むと気温は一段と冷え込み、夕食の時点で氷点下7℃まで下がったが、食後は特にすることもなくただ寒いだけなので、20時頃には部屋の電気が消えた。
しかし、コレが良くなかった・・・・・。
高山病を防ぐには、呼吸が浅くなるのを避けるために”あまり寝ないほうが良い”って言われていたのだが、初日から寝るのが早すぎたせいで案の定体調を崩してしまったのだ。。。
高山病の代表的症状である“激しい頭痛”と“身体のダルさ”のせいで、夜中に何度も目を覚ましてしまった、、、、
仕方なく、完全に目が覚めてしまった4時ごろから、皆が起き出す7時までの間、これ以上症状が悪化しないようにと願いつつ、延々3時間近く深呼吸を繰り返した、、、
2日目の朝、その努力の甲斐もむなしく、頭は割れそうなほどガンガン痛い。。。
朝食のパンとチーズをコカ茶で何とか流し込んだものの、身体もまるで高熱が出た時のように重くてダルい、、、
しかも同じような症状がゆりにも出ていて、ゆりのほうは朝食すらまともに食べれないようなヒドイ状態になっていた。。。
でも不思議と他のメンバーは、「少し頭痛がする」と言ってるぐらいでさほどはヒドくはなさそうだった。 。。
朝食を食べ終えるとすぐ、ジープの屋根に荷物を積みこんで出発。
今日もいくつかの間欠泉やボルケーノ(溶岩地帯)、湖を巡った。
出発してから数時間、相変わらず激しい気持ち悪さと頭痛が続いている。
こんな状態じゃ正直景色を楽しむどころじゃない・・・。
それでも空は吸い込まれそうになるほどに澄み切った碧をしていた、、、、
ひたすら続く荒野と、たまに現れる湖だけの世界。
何処までも続く荒野をひた走り、エジプトの白砂漠にもあったような奇岩(写真下)をカメラに収め、あとは変わり映えしない湖をいくつか回る。
途中、「サンフアン」という何も無い小さな小さな町にも寄った。
ろくに作物も育ちそうにないような過酷な環境で、インディヘナの人達は質素につつましやかな生活を営んでいた。
2日目の宿は、なんと壁から家具までが全て「塩」で作られているという、その名も塩のホテル(写真下)。いつの間にか辺りは白(塩)一色の世界になっていた。
ここで二日ぶりのシャワーを浴びてから晩飯を食べた。この頃になると、ようやく言うことを聞かなかった身体が落ち着きを取り戻し、次第に高度にも順応してきたようだった。
夜9時、発電機が止まるのと同時にすべての電気がパタッと消えた。試しに持ってる服をフルに着込み、ホテルの外へと出てみた。
思った通り、空の上にはこぼれんばかりの星空が広がっていた。空気が澄んでるうえに周辺が真っ暗な為、流れ星が数分おきにビュンビュンと頭上をかすめる。
さすが日本の真裏だけあり、そこには今までに見たこともないような星座ばかりが輝いていた、、、
3日目の朝は塩湖の真上で日の出を見るというスケジュールの為、まだまっ暗な夜中のうちにホテルを出発した。
ジープは暗い塩湖の上を、時速100km以上のスピードで爆走する。なぜか時折ライトを消しながら走ったりするので、衝突しやしないか冷や冷や・・・。
その状態で走ること30〜40分、突如その島は現れた。朝日のビューポイントである「フィッシュアイランド(魚の島)」に着いたのだ。
そこは、まさに塩湖のど真ん中にポツンと佇んでいる離れ小島で、奇妙にも岩肌には大量のサボテンが寄生していた。
そのサボテンのシルエットが月明かりに照らされ、その姿は得もいわれぬミステリアスな雰囲気を醸し出している。
すでに辺りが明るくなり初めていたので、駆け足でこの島の頂上を目指す。
しばらくすると、闇夜から覚めたばかりの青白い地平線から、朝日のやわらかい光りが遮るものなく何処までも果てしなく広がっていった。
一瞬、全ての時間の流れが止まったような感覚、、、、
目の前に広がってる光景はとてもじゃないけどこの世のものとは思えない、、、
360°見渡す限り真っ白な世界に、微かに遠めに映る頂に雪を被った山々、、、
さらに自分達が立っているサボテンだらけの不思議な小島の存在、、、
そのシュチュエーションのすべてが揃って初めて、今までに観たこともないような幻想的な夜明けが創造されたようだ。
これは旅に出てから迎えた数多の夜明けの中でも、特別スペシャルなものになった、、、
不意に「色々あったけど旅を続けてきて本当に良かった・・・」という想いが胸の奥底から込み上げてくる、、、、、
そんな想いをひしひしと噛み締めながら島をおりると、そこには温かいコーヒーとカチカチに冷えたパンが用意されていた。
冷えきった身体を温かいコーヒーで暖めた後、今度は思い思いに塩湖の上での記念撮影を楽しむ♪
ココには「白い」地面と「青い」空しかない。。。
だから、撮れる写真はどれも不思議と遠近感がなくて面白いのだ。。。
こんな調子で、気づくと3時間以上も熱中しちゃってたほど。。。
やっぱ面白い写真を撮るっていうのは年甲斐にも無く楽しい♪
その日の午後にはウユニの町へ到着し、昔使ってた鉄道が捨てられている「鉄道墓場」のような所を経て、昼食後にツアーは解散となった。
今回は激しい環境の変化で苦しんだりもしたが、良いメンバー&良いガイドにも恵まれ、いつにも増して思いっきり楽しませてもらった♪
そして、今でも信じられないくらいとびっきり幻想的だった惑星地球の夜明けに立ち会えたという事実、、、、、
それは間違いなく、永遠の記憶として僕らの魂に深く刻み込まれたことでしょう・・・・・。
これは後になってから聞いた話ですが、僕らが「フィッシュアイランド」で夜明けを迎えた朝、同じタイミングでその場に居合わせたイスラエル人のグループのうち数人が、その帰り道に日本人観光客を乗せた車と正面衝突し、イスラエル人グループ側のドライバー1人を残して全員死亡したという話を聞きました。
ドライバーも客と一緒になってお酒を飲んでたとかいないとかっていう話も聞きましたが、あれだけ広大で視界を遮るものが一切無い塩湖のど真ん中で、それが日中の事故だったというから本当に驚きました。
さらに少しタイミングが違ってたら、これはうちらに起きててもおかしくなかったという事を思うと、全身の身の毛もよだつような思いでした。
亡くなった方々には本当に気の毒ですが、僕らとしてはこういった冒険旅行の裏には常にこのようなアクシデントが起きる可能性をはらんでいるということを改めて肝に銘じ、この出来事を受け止めたいたいと思います。
(写真上左)塩湖の表面は、固まった塩の結晶が亀の甲羅のような幾何学模様を描きだしていてアートしてる・・。
(写真上右)塩湖の表面をかき集めて山にし、乾燥させたものが商品として出荷される。この塩で塩ラーメンを作る人も居る・・。
(写真下左)塩のホテルで会った赤ちゃんと多分そのお姉ちゃん。お姉ちゃんの鼻下が寒さと乾燥で擦り切れて痛そうだった・・。
(写真下右)確かリャマの肉だったと思うけど、堅いし独特のクセがあって僕は正直苦手でした・・。