2007年09月07日
アウシュビッツ強制収容所
ポーランドのクラクフという街から西へ54kmの所にあるオシフィエンチム、「ドイツ名:アウシュビッツ強制収容所」に行ってきた。
歴史の授業でも習った記憶があるように、そこは第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍によって作られた強制収容所で、またの名を「殺人工場」とも言われている。
ここでは、当時ナチス・ドイツ占領下だった土地から集められた「ユダヤ人、ポーランド人、ロマ、共産主義者、反ナチス活動家、同性愛者など」の人々が、150万人以上も殺害されたという。
ここ最近、毎日のように続いてる冷たい雨が降りしきる中、当時のままに残されているという収容所入口のゲートをくぐった。
収容所の敷地は、頑強な鉄条網で完全に包囲されており、よく見ると脱走防止の為に高圧電流が流されていたであろう装置が今だに残されている。
囚人棟として使用されていた建物では、ナチスが撮ったであろう当時の処刑光景を写した生々しい現場写真にまじり、収容後すぐ撮られた犠牲者達の証明写真や、没収された身の回り品などが痛々しく公開されている。
毒ガスを使い、一度に大量の殺害を可能にしていたというガス室では、服を脱ぐ部屋から死体焼却釜がある部屋までが、一連の効率を考えた上に設計されていたということが、その配置からうかがえる。
それはまるで、流れ作業の製造工場か何かを見ているようで、これを「人間が人間に対して作った...」なんていう事は全くもって信じられないぐらい、まるで無機質で、微塵の温もりすら感じないような建築だった・・。
他には、部屋一杯に積まれたおびただしい量の衣類の山、トランクケース、靴、眼鏡、さらには人間の頭髪まで・・。
ナチスはその集めた頭髪を使って生地を織り、その生地で仕立てた服を売りさばき、その売上を軍用資金にあてるという「産業」を確立していたらしい・・。
実際に頭髪で織られた生地の現物まで展示されてあったが、言われなければそれが「人間の頭髪」だなんて事は、まず分からないほど精巧に織られていた。 当時のナチスにとってそれが例え「人間の頭髪」であろうと、もはや羊毛と同じような「商品の原料」ぐらいにしか映ってなかったのだろう、、、
そう思った瞬間、背筋がゾクッと凍りつきそうになった・・。
犠牲となった子供達の、服と靴だけを集めた一室もあった。
靴だけ、、、、、とはいえ、これが「一体どれだけの数あるのか?」なんて、恐ろしくて考えたくもないほどの凄まじい量、、、
そこには赤い靴もあれば白い靴もあり、よく見るとデザインから大きさ、素材や汚れ具合までがそれぞれに違う。 中にはまだ、10数センチにも満たないであろう、小さな小さな靴まで混じっている・・。
ガラス越しにそれらを見つめていた白髪の老婦人が、おもむろに眼に涙を浮かべ始めた、、、
そのすぐ隣で見ていた自分も、まったく同じ気持ちでいた、、、
なぜ・・・・・・・・・・・・・・!?
なぜ、無垢で罪の無い子供達の命が、こんなにも奪われなければならなかったんだろう・・・・・!?
しかも、同じ「人間同士」の手によって、、、、
これらの行為すべてが、自分と同じ「人間」の手によってされた事かと思うと、ギュ〜ッと胸が締め付けられる想いに息まで苦しくなる。だからといって、自分としてはドイツが悪かったとかヒットラーが悪かったとか批判したい訳じゃない。
旅を始めてから、ハッキリと分かった事が一つある。 何処の国の歴史をみても、昔から人間は「争い」ばかりを何度も何度も懲りずに繰り返してきたという事。
そんな争いの傷痕から一体何を学べば良いんだろう、、???
そんな歴史の繰り返しから一体何に気づけば良いんだろう、、???
科学の進歩がどうしたとか、医学の進歩がどうしたとか、そんなのチャンチャラおかしいと思う・・。
それらがいくら進歩したからと得意げになってみた所で、世界の何処かでは今の今でも公然と殺し合いが続いてしまっている。
かたや、それらの為に貴い命は救われ、、、
かたや、それらの為に貴い命が奪われる、、、
うぅ〜ん、それって進歩うんぬん以前に、基本的な「何か」が欠けてると思いませんか・・???
「この世には戦争があるから平和がある」
という次元の低い考えに逃げるのはもう止めたい、、、
これらは平和の為の戦争であった、、、と在って欲しい。
これらは光りに気づく為の闇だった、、、と在って欲しい。
今は、心の底からそう「在って欲しい」と願える、、、
イヤ、、、、、、そう在って欲しいじゃなく、、、
これからは、そう「在る」でなくちゃダメなんだ、、、
そう「在る」為には、自分に一体何が出来るんだろう、、、
最近感じている事がある、、、
戦争問題にしろ環境問題にしろ、いい加減そろそろ立場や利害を抜きにした、本当の意味での過去と現状を見直さなければならない段階にあるんじゃないかな、、、
僕らは、当時の世の中の価値観がこういった結果を招いてしまったということを、全体の責任として真摯に受け止め、これからはもっと、愛を全ての根底に据えていくような価値観の移行を個人から遂げてかないと、全体としてはこれまでと同じような結果を繰り返すだけのような気がする、、、
その繰り返しすら、そろそろ限界が近づいている予感がしてならないし・・。
「いつか世界中が手を繋ぎ、全てをシェアし合えるような世の中になってくれれば嬉しいな〜☆」
なんて、まるで夢のような世界を冗談半分にも案外真剣に望んじゃったりしてる今日この頃だったけど。。。
そのさなか「アウシュビッツ収容所」に刻まれていた深い深い歴史の傷痕が、自分の中にあったこの想いをより確かなモノにさせる道標となった。
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この記事へのコメント
久しぶりに見に来ましたー。
海外旅行でドイツは行ったことが無く、ブログを見て「あ!やっぱり旅したいな〜」と思いました。
いやはや。。
またまた凄い経験してますね。
全ては表裏一体で、
僕ももちろん同様で、
ヒトラーでもあり、
ユダヤの人々でもあり、
対岸の傍観者でもある。
心は宇宙。
思考は感情により、
表にもなり、裏にもなる。
全ての人々の思考が、
現実を創造しているのならば、
多くの"争わない"思考達の中に、
僕の思考を入れておきたい。
比較ではなく、相対ではなく、
絶対である自分の思考を。
自分以外には成れないから。
僕はそう思っています。