ネパール

2007年08月16日

ヴィパッサナー瞑想(後編)

【5日目】

 この日から講習の真剣味がよりアップした。 そして1日のスケジュールの中に1時間×3回の「動いちゃいけない時間」という意地のワルイ時間まで出現。

 そのおかげで「1時間まったく動けないって事がどれだけの地獄を意味するのか」を生まれて初めて知ることになった、、、

 足の痺れっていうモノは、あるレベルを越えると強烈な痛みに変わりはじめる。 さらにそのまま続けると、本気で「壊死」しちゃうんじゃないか?と思うぐらい、メチャクチャ痛くなってくるのだ、、、

 しかし、これらは無理に強制というわけではない。 ただ、この瞑想を体得するには、身体に起きた感覚の発生から消失までの過程を、「あるがまま」に客観的に観察する「平静な心」というものが必要らしいのだ。

 この日は夜の講和中、摩訶不思議な現象に陥った。。。

 その時はいつもと同じ場所同じ体勢で、特に変わった様子もなく普通に講和テープを聴いていた。ちょうど、テープが「輪廻」と「解脱」の説明あたりに差しかかった頃、自分の中で今までになかった新たな気づきと理解が生まれた。

 例えるなら「抜けてたパズルのピースがピッタシはまったような感覚・・」に近い。

 その瞬間、テープの声がアレヨアレヨという間に遠くなり、ひどい痺れを我慢してたはずの足はみるみる感覚を失い、ついには身体全体が宙に浮きそうになるぐらい軽く感じ始めた。

 さらに意識だけはどんどん軽くなり、ついには身体を抜け出してしまった魂が、そのまま凄いスピードで宇宙まで飛ばされた・・。

 ような感覚に陥ったのだ。。。。。(?????)

 意識はハッキリしていたが、そこには時間の感覚も身体の感覚もまるでない、、、

 初めはその異常な感覚に戸惑いと不安を感じていたが、慣れるにつれその状態に心地良さすら感じるほどだった・・。

 ただ、あまりにも現実離れし過ぎた状態に戸惑いを捨てきれなかったのと、皆の前で意識を失った身体が「コテッ」と倒れてしまう事を心配し、何とか自力で意識を引き戻した。

 ふと我に返ると、ワキの下から大量の汗がポタポタと滴っているのに気づいた、、、

 この時は寒かったから汗なんてかくわけないのに、、、

 (この異常な量の汗はいったいナンダ、、、???)

 (しかも、何でワキの下ダケ、、、???)

 この間、時間にして恐らく10分程度だったと思うんだけど、感覚が完全にマヒしていたから正確には分からない・・。

 これには当の本人でさえも一体何が起きたんだかさっぱり理解できず、講和が終わってからもしばらくその場を離れられず、ただただキョトン・・とするしかなかった。

 この、「世にも不思議な神秘体験」を、興奮覚めやらぬうち日本人ボランティアスタッフに相談してみた。

 するとこっちの興奮とは裏腹に冷静なテンションで、、、

 「一度先生に相談した方が良いと思うけど、教えの基本は何事も客観視する事だから、ひょっとするとその状態は道から外れてしまってるかもしれない・・」

 ナンだって〜!?こんなにも神秘的なイリュージョンが起きたっていうのに、これまた何ともつれない答えが返ってきてしまった。。。

 こっちだって講和の時間は瞑想の時間じゃないのは分かってるから、いたってフツーに話を聴いてただけなのに、、、

 う〜ん、自分でも何だかよく分からない現象が起きたうえに、5日目にして「脱線気味宣告」まで受けてしまうとは、、、

 

【6日目】

 今日は朝から喉が痛くて瞑想に全く集中出来ない。

 昨晩、色々考え過ぎて全然寝れなかったのが原因かも、、、

 昨日の体験はその時凄いインパクトだったにも関わらず、一晩経つと残念ながらその印象はだいぶ薄れてしまっていた。

 それにしても、アレは一体何だったんだろう、、、???

 ひょっとしたら「涅槃」でも体験しちゃったのかと密かに期待してみたけど、翌朝になってみれば何て事は無い、喉は痛いし身体の調子も昨日より明らかに悪い。。。

 でも、今日は「動いちゃいけない1時間」が始まって以来、初めて最後まで動かずにやり通せた。途中、何度も諦めそうになったけど、その度に無い根性を無理矢理ヒネリ出し、何とか持ちこたえた。。。

 この齢になって、足の痺れを脂汗かきながら耐える事になるとは・・。

 こりゃ〜ハッキリ言って苦行だ、、、×××

 しかも、この痛みに耐える事自体ホントに意味のある事なのか・・???

 いくら観察しろって言われたって、痛すぎて観察どころじゃないんですけど、、、

 それに、今はまだあの神秘的感覚を探してしまっている。それにはまだまだ気づきが足りないようだ。そもそも探すという行為自体、結果的に対象を遠ざける事になってしまってるんだけど。。。

 さらに、四六時中集中しっぱなしの脳ミソがもうクタクタ・・。

 嫌だったら別に逃げ道が無いわけでもないんだけど。(他の事考えて適当に時間をやり過ごすとか、、、) けど、こんな貴重な時間に居ながらそんな事するわけにもいかない。

 「ここまできたからには、とことんストイックに追求してやる〜!!」

 そう心に決めてはみたは良いけど、いまだ何も期待出来ないでいる。

 「全ての執着から解き放たれた時、真の安らぎが訪れる」

 う〜ん、確かにそうはそうなんだろ〜けど、イマイチ入ってこないのはナゼなんだろ・・???

 

 【7日目】

 喉の痛みだけでなく熱まで出てきた・・。

 午前の「動いちゃいけない時間」の後、いったん部屋で休むことにした。気力でどうにでもなりそうな感じだったけど、フラフラだし無理するとどうなるか予想もつかなくて恐かったからだ。

 しかし、「先生が呼んでる」とか言われ、15分たらずでアシスタントに呼び戻された。。。

 もう諦めよう、、、

「具合が悪いのは、過去に自分がまいた種が原因でそれが表面に出てきてるだけだ」とか何とか言われそうな気がするし。

 けど、そのお陰で今日は大きな収穫があった。昼の「動いちゃいけない時間」のさなか、熱のだるさ、喉の痛み、足の痛み、そして永遠とも思える時間との戦いの中で、これら全てを一段上のレベルで受け入れる事が出来たのだ。

 これまでは痛みに対し「人によって痛点や感度は違う」とか「同じ姿勢でいても人種とか骨格の違いによって痛みは違う」とか「痛みが人それぞれ平等じゃないんだったらそれに対しての反応も人それぞれ違うのでは?」とか、そんな風に思っていた。

 というか、そんなトコに逃げていた。。。

 しかし、この場合の痛みや苦痛というのはあくまで身体の反応なのだ。心が痛いわけではなく、痛がってる身体に対し、心がネガティブな反応をしてるだけ、、、

 しかも、この痛みや苦痛は永遠に続くわけではなく一時的なもの。結果として、その一時的でしかない反応に心まで振り回されてしまっていたのだ。

 痛みの感じ方が人それぞれ違うのは当然だし、それを他人が知る由も無い。 問題は、どんなレベルの苦痛にしても当人がそれを「どう受け止めどう対処するか」というだけの話だった。

 こんなこと、頭ではとうに分かってるつもりだったのに、いざとなると実践出来ていないという事をリアルに思い知った。。。

 ブッダの説いているダルマ(法)がいうように「自身の体験を通してのみ真の理解が出来る」とは、おそらくこういう事なのだろう。

 この事に気づいた瞬間から、足の痛み、喉の痛み、体調不良から受ける悪影響がウソみたいに穏やかになった。夕方の「動いちゃいけない時間」なんて、完遂する気はサラサラなかったクセに、いとも簡単にあっさり遂げてしまった。。。

 これは一体どんなマジックなんだ・・・???

 日に日に核心にせまっていくヴィパッサナー理論。今日を境にもう少し本気で信じてみようかなと思えた。

 

 【8日目】

 風邪の具合はすっかり良くなった。

 しかも、今朝の「動いちゃいけない時間」は、言われたことを忠実に守ったせいか今までで一番調子が良かった。終了の鐘が鳴った後も、解くのが惜しくてしばらく続けてたほどだ。今日はホントに良い具合で集中力が続いている。

 ヴィパッサナーの理論も、この段階になってようやく繋がってきた。。。

 知れば知るほど道理が合ってくる、やっぱりスゴイ・・。

 それと、この修行を始めてから「意識」が冴え過ぎて毎日2〜3時間しか眠れてなかったけど、これはどうやら問題ないみたいだ。

 全然寝てないクセに、目覚めだけはやたら良かったから不思議に思ってたんだけど、むしろその方が身体に良いらしい。。。

 とにかく重要なのは、起きてても寝てても常に身体の感覚に対して「意識」し続ける事だそうで、その結果こういった現象が現れるようなのだ。

 これまでの講和の内容をかいつまんでまとめてみた。

 この瞑想は心の「浄化」を第一の目的としていて、それは「心の手術」という表現で表されている。ブッダが説き続けたダルマ(法)では、人間が幸せであり続け、最終的に悟りや解脱へと至る為には「心の浄化」が欠かせないという。

 しかし、人間は様々な事に執着する事によって、常に心にさまざまな濁りや汚濁を生み出してしまっている。それは苦しみだけでなく、喜びでさえも「渇望」という濁りを生み出している。

 そして、これらの心の濁りや汚濁を浄化する為には「全ては無常である」という自然の摂理を理解し、執着の全てを断ち切る必要があった。

 しかし、この摂理を頭だけでは真に理解しきれない事を悟ったブッダは、次に心と密接な関係にある身体に目を向けた。

 この身体を徹底的に観察し続けた結果、ついに心の濁りや嫌悪・渇望といった感情は必ず身体の器官を通し「感覚」という形で身体の表面にあらわれる、という摂理を見つけだした。

 さらに、身体に表われたこの「感覚」に対し、意識的に「平静」を保つことによって、これらはいずれ消滅するという事も。

 ブッダは、この一連の自己観察を通して「無常」という摂理を体験的に知る術を得た。同時に、これら身体の「感覚」の消滅と共に、身体と密接に繋がっている「心の汚濁」までもが一緒に消え去る、という性質を利用した。

 身体に表われる感覚を意識的に「自覚」する鍛練をし、そこに表われた感覚を「無常」という摂理を通し「あるがままに」受け入れる事によって、心の濁りを浄化する作業。

 実は、ブッダが生涯をかけて人々に説いたのはダンマ(法)に加えこの作業法そのものだったのだ。


 それこそが“ヴィッパサナー瞑想法〜〜〜!!!”


 多分、これで合ってると思う。。。。。。。

 

【9日目】

 沈黙を守って修行に励むのは今日で最後。

 明日は現実社会に戻るための準備期間として、朝には沈黙が解除される予定だ。不思議と、残り少ない「動いちゃいけない時間」がいとおしく感じる。そして午後一の瞑想時、この長かった修行の集大成を迎えることになった。

 この時はいつもより気合を入れて姿勢を正し、開始の鐘より少し前から瞑想に入った。強めに姿勢を正したせいか、すぐにこれまでで最も激しい痛みが襲ってきた。 しかし、その耐え難い痛みの中でも何とか「平静」を保とうと、限界まで精神を研ぎすませていた。

 さっきまで晴れ渡っていたはずの空に、突然大きな雷鳴が轟く。

 すぐにバケツをひっくり返したような大雨が、瞑想ホールのトタン屋根を激しく鳴らし始めた。

 その状態がしばらく続いたあと、突如自分でも忘れかけていたような幼い頃からの記憶、特に「悪事」や「後悔」の記憶が、まるで走馬灯のように脳裏をよぎった。

 その記憶一つ一つに対し、もう一度清算をつける。これを懺悔とでも言うのか、、、

 その過程の中で、自分の内から不要なモノがス〜ッと取り除かれていくのを感じた。

 ほどなくして終了の鐘がホールに響き渡った。

 ボ〜ッとした放心状態のまま玄関へと出た。

 しばらくそこで降り続く雨を見た。

 何故か無性にうたれたくなった。

 そっと身をゆだねてみた。

 そして、、、分かった。

 これはきっと「浄化の雨」だ・・。

 少なくとも、自分にとってはそうだった。

 今では自分でも信じられないくらい「心」が軽い。

 さらに、あれだけガッチガチだったはずの「身体」までも軽い。

 これで本当に「何か」が浄化されてしまったんだろうか・・。

 ふと遠くの空へ目をやると、雨上がりの雲のあい間から、陽光を浴びたヒマラヤ山脈がうっすらと顔を覗かせた。この時期にしては珍しい光景だ。その光景を見た瞬間、ずっと心に引っ掛かっていた違和感がハッキリと輪郭を帯びてきた。

 この光景を目のあたりにしてもなお、心の「平静」を保たなくてはならない、というのであれば残念ながら俺は出来ない、、というよりしたくもない。

 ネガティブな感情が心に「嫌悪」や「汚濁」を生むという事は分かったけど、ポジティブな感情、感動や喜びまでもが「渇望」という濁りを生み、苦しみの原因となるという教えに対し、いまいち釈然としてなかったのだ。


 「雄大な自然を目の当たりにした時の、あの感動は?」

 「素敵な出会いを果たしたときの、あの胸の高鳴りは?」

 「美味い物を口一杯にほお張った時の、あの満足感は?」

 「夢に向かい突進してる時の、あの燃えるような情熱は?」


 ブッダ曰く、常に心の「平静」を保つ事が永遠の安らぎ、つまり「解脱」への道に必要不可欠らしい。しかし、永遠の安らぎと引き換えにこれらの感情までも捨てろというのは、いささか極端すぎて俺には受け入れられない。

 人間が人間である以上、この地球がこの姿であり続ける以上、“それは不可能なんじゃないか?”というより“野暮なんじゃないか?”という疑問すら感じていた。

 仮に、これらを超越する事が「真理」であるのなら、、、


 「どうして地球という星はこんなにも美しいのか・・?」

 「どうして人間に対しこんなにも心地良い感覚を与えたのか・・?」


 そもそも、人間がこの世を「生きる」ってこと自体「喜怒哀楽」を共にする事だと俺は思っている。

 「喜びの中で生まれ、怒りや哀しみを糧に成長し、最後は楽しみの内に死にたい」

 これが、この時点での精一杯の答えだった・・。

 

 【10日目】

 今日のAM9:00をもって、ながかった「沈黙」の時間が解かれる。

 今日1日は明日、下界(社会)へ戻る前の調整日として設けてあるそうだ。

 この世界からいきなり下界へ戻るとあまりにもショックが強過ぎて良くないらしいのだ、、、確かに。。。

 まず何より、ゆりの様子が気になる。開口一番なんて言うか楽しみだ。そして何て声をかけようか何気に迷う。。。

 よ〜やくその時がやってきた!!!

 まず、やよいさんが猛烈に話はじめた。。。

 俺もすかさず「いや〜ながかったね〜、、、、」

 アレ、、、!?自分の声なのに何かオカシイ、、、

 ずっと喋ってなかったせいで声帯に張りがなくなったのか、普通に喋ってるのにカスカスの声しか出ない・・。

 しかも、喋ろうとすること自体に違和感を感じてしまい、思うように言葉が出てこない。。。

 自分に起きた変化を早く皆に伝えたいけど、今はまだそれどころじゃ無さそうだ、、、

 とりあえずゆりに感想を聞いてみたところ、「思ったよりあっという間だったな〜」と、どこかで聞き覚えのある答えが返ってきた・・。

 他の女性陣も、反応をみる限りたいして長い時間には感じてなかった様子で、これには正直驚いた・・。

 俺としては「天界か何処かで1カ月間修行して帰ってきたけど、下界では不思議と9日しか経ってなかったです、、、」みたいな錯覚を覚えてるにも関わらず、あっという間ってことは無いだろ〜!?

 同じ時間が流れてたはずなのにこの差はナンだ???

 ま〜考えてみれば10日間もの間、完全にインナートリップしてたわけだから、人によって時間の感じ方が違うのは当然かも、、、

 それにしても。沈黙が解けた後の皆はとびっきり良い顔をしてる。

 隣でゲップばっかりしてさんざん集中力をかき乱してくれたネパリーも、初めの数日はイラついてたけど実際話してみたらとても気さくで良い奴だった。。。

 みんな眼が合うと、もれなく最高の笑顔を返してくれる。

 ココには冴えない顔してる奴は一人もいない。

 俺もさっきからニタニタしっぱなしで、かなりキモイはず。。。

 それにしても、この満ち足りた充足感は何処からくるんだ???

 辛い修行から解放されたから???

 イヤ違う、確かに辛かったけど、それ以上に得たモノが大きいからだ。

 夜になって、最後の講和が終了した。

 俺は少しカン違いしていたのかもしれない・・。

 「平静」を保つことがこの瞑想法の全てだと思ってたけど、それは感動や情熱を押し殺せという意味ではなく、その副産物である身体の感覚に対して「平静」であれという事だったんだと思う。

 ブッダが言いたかったのはきっと、その感覚が良いものであれ嫌なものであれ、それは決して永遠ではない「無常」なのだからそれに対して執着を覚えるな、、、という事なのだろう。

 ギリギリ最後の最後で、ようやく自分の中にあったわだかまりは全てクリアになった。この段階になってようやく純粋に、この「ヴィパッサナー瞑想法」と「ダルマ(法)」に真実を垣間見ることができたような気がする。

 当時、ブッダはこの瞑想法を望む者であればどんな身分、宗教、人種の人にも解放していたらしい。ブッダのもとで瞑想の教えを乞うていた人の殆どは家族を持った一般市民だった。しかし、その中から実際何人もの聖人が誕生しその恩恵を受けたそうだ。

 悟りを得るには必ずしも出家する必要は無く、家族を持った在家信者でも問題無く得ることは可能らしい。数多くの人々が「ヴィパッサナー」を修行することで苦しみという束縛から解放され、人間として豊かな人生を生きることが出来るようになったそうだ。

 

 【最終日】

 最終日は朝から大忙しだ、、、

 朝一の瞑想後、急いで朝食を済ませ送りのワゴンに飛び乗った。渋滞と重ならないような時間配慮らしいんだけど、いくら何でも慌ただし過ぎる・・。

 最後ぐらいもうちょっと落ち着いてこの場を離れさせて欲しかったな〜。

 ま〜送ってもらっといてそんな贅沢も言ってらんないケド。。。

 30分ほど走ると、あっけなく元居た下界へと到着する。車を降りた瞬間から襲ってくる、車の騒音・排気ガス・人々の話し声・店から漏れる大音量の音楽・道端のゴミから漂う悪臭、、、

 これには一発で俺もゆりも具合が悪くなってしまった、、、×××。

 二人して「オェ〜」っとなるのを我慢しながらも、頑張って荷物を預けていた元の宿へと戻った。再びこの環境に慣れるまで部屋で安静にすることにし、この12日間に起きた事をゆっくり振り返る。

 ホントに色々あった(ように感じた)12日間だった・・。

 ほんの12日前の自分と、それとは明らかに違う自分が今また同じ場所に居る。何とも不思議な気分だ・・。

 しかし、この状態が何時まで続くのかも分からないし、ひょっとすると本当は何も変わっちゃいないのかもしれない、、、

 けど、ただ一つ言えるのは、この12日間の間で自分にとって、掛け替えのない「切っかけ」を得た事だけは確かなようだ・・。

 この際、実際あるのかどうかすらも分からない「悟り」とか「解脱
」なんてモノは正直どうでもいい。

 それより何より、ブッダが持っていた計り知れなく深い「愛」に少しでも触れる事が出来た、という境遇そのものに感謝したい。

 今日の最後に聞いた言葉がとても印象的だった、、、


 「生きとし生けるもの全てが幸せで在りますように」


 なんて美しい響きなんだろう、、、

 そして世界中の人にこの想い、このたった一つの想いさえあれば、今の世の中はどんなに良くなれる事だろう・・。


ブッダアイ

 

 

 


 

 【紹介】

 現在、世界40カ国にまでこの瞑想センターの規模は広がり、日本にも京都府京丹波町にセンターが設立されています。

 当時のブッダの方針と同じく現在もどのような宗派にも属していません。ヴィパッサナーのコースはそれを真剣に学ぼうとする全ての人々に解放されています。

 人種、信仰、また国籍の区別はありません。キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、シーク教徒、仏教徒、またその他の宗教を信仰する在家の人々や、どんな宗教を持たない人々もコースを受けています。同じように、僧や尼僧、そして聖職者も参加しているそうです。

 興味がある人はhttp://www.jp.dhamma.org/まで。

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sekaihokkori at 20:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!

ヴィパッサナー瞑想(前編)

 8月1日〜12日の間、僕らはネパールのカトマンドゥ郊外にある「ヴィパッサナー瞑想センター」という所で10日間の瞑想コースを受講してきました。。。

 「ヴィパッサナー瞑想」というのは、有名な瞑想法の一つなんだけど、数ある瞑想法のなかでもとりわけ”キツイ”という話は聞いていた。

 特徴としては、コースの受講は全て泊まりこみの合宿で行われ、その間ほかの受講者との共同生活を強いられる。料金は完全ドネーション制(寄付)だが、生活の基本は全てセンター側に管理される。

 中でも特に印象的なのは、コース受講中は先生以外の他人との「コミュニケーションが一切禁止」という規則。。。

 受講者同士の会話や外部との接触、電話も当然ダメだし、文字の読書きまでもが禁止とされている。しかも、初日に貴重品やパスポート、携帯までも預けなければならないから、よほどの事がない限り途中で逃げ出す事は出来ない・・。

 これらはあくまで事前に承諾をとったうえでの規則だけど、「ヴィパッサナー瞑想」を受講するにあたって、この「軟禁状態」は避けられない条件の一つのようだ。

 話だけ聞いてると「何て恐ろしいトコなんだ・・!?」って気がするけど、実際経験者に感想を聞いてみると「イヤ〜良かったよ〜!!」なんて答える人が、以外に多い事に驚く。

そんな感想をいく度となく聞くうちに、「ヴィパッサナー瞑想」に対し、うちらの中で密かな興味が芽生えていたのだった。

 世界40カ国にセンターを持つ「ヴィパッサナー協会」だけど、ここカトマンドゥにあるセンターには日本語の講和テープが用意されてるとの情報を得た。

 そのおかげで、英語が得意じゃなくても比較的理解しやすい、という事だったので、恐れ多くも、二人して門を叩いてきちゃいました〜 (。・ω・)ノ゙

 まず「ヴィパッサナー瞑想法」とは何なのか???

 インドにおける最も古い瞑想法の一つで、二千五百年前に「ゴータマ・ブッダ」によって再発見された。ブッダはこの瞑想法によって自ら解脱に至り、生涯この技を伝えるのに尽力したらしい。

 「人間の苦しみは全て自らの心からきている」という観点から、心と密接な関わりのある身体の感覚に重点を置いた悟りへの実践的方法。

 って自分で言ってても何だかサッパリわかんないんだけど、、、
 
 とりあえず1日のタイムスケジュールはこんな感じ。。。


 4:00         起床
 4:30〜6:30    瞑想
 6:30〜8:00    朝食&休憩
 8:00〜11:00   瞑想
 11:00〜12:00  昼食
 12:00〜13:00  休憩&質問タイム
 13:00〜17:00  瞑想
 17:00〜18:00  ティータイム
 18:00〜19:00  瞑想
 19:00〜21:00  講和
 21:00〜21:30  質問タイム
 21:30        消灯



 ハッキリ言って、食事と睡眠以外ほとんど瞑想です・・。

 それでも何とかこのスケジュールに従い、無事講習を終えてきました。

 その時の模様は日記風でどうぞ。。。

 

 【初日】

 今日は移動の他、部屋割りと細かい規則等の説明で一日が終わった。男女は完全に別々の敷地に分けられ、互いの敷地内へは立ち入り禁止。

 カトマンドゥの街の喧噪からはだいぶ離れた、静かで緑がキレイな場所だ。俺の部屋はラッキーにも2人部屋のうえ、想像以上に清潔なんで驚いた。。。

 女性陣は可愛そうに、聞いた話だと10人ぐらいのドミトリー(大部屋)でトイレとシャワーの数も極端に少ないらしい。人数はざっと男性70人、女性50人ぐらいで、8割がネパリー(ネパール人)、残り2割が外国人といったとこか。

 日本人は男が俺一人だけで、女性はゆり(妻)の他、やよいさん、ちーちゃん、いくこちゃんの計4人。 やよいさんはインドのゴアで同じ宿だった人で、滞在中は毎日のように遊んでもらってた仲。 ち〜ちゃんは、現在のカトマンドゥで同じ宿だった子だ。いくこちゃんとは何気なくインドのマナーリーで会っていて面識だけはあった。

 互いには何の関連性も無いメンバーだけど、うちらにとっては旅の途中で知り合った仲間が、時を同じくし再び集まってくれたのだ、、、こういう再会に縁を感じずにはいられない。

 俺のルームメイトはどうやらオーストリア人らしい。どんな奴かはまだ分からないが、とても優しそうな雰囲気なのでとりあえず安心した。

 しかし、既に「沈黙のルール」がスタートしてしまったので挨拶が出来ない。 仕方ないので、心の中で「今日からしばらくの間よろしく・・」とでも呟き、スケジュール通りの21時30分頃寝りについた。

 

【1日目】

 まだ真っ暗な中、起床を知らせる鐘の音が響いた。山に近いだけありこの時間はかなり冷えこむ。そんな中、眠そうな目を擦りながら皆ぞろぞろとホールへと向かった。

 今日教わったのは鼻の頭から上唇の間の、ちょうど三角形のゾーンに意識を集中し、鼻での自然な呼吸と、そこに感じる感覚をひたすら観察する、、、という事だけ。瞑想時の姿勢も特に細かい決まりはなく、注意すればいいのは背筋と首をピンッと伸ばす、、、という事のみ。

 ちょっと拍子抜けした気もするけど、ま〜初日はこんなもんか・・。

 それよりむしろ、驚かされたのは食事の方だった。朝食は軽め、夕方のティータイムはお茶とフルーツだけだから、ここでは昼飯が晩飯の位置付けにある。

 てっきり坊さんが寺で食べてるような、質素な精進料理みたいなモノをイメージしてたんだけど、実際でてきたのはその辺のレストランにも引けを取らない品数豊富な「ダルバート」だった。

 「ダルバート」とは、大きいプレートの上にご飯とチャパティーとおかず4〜5品を乗せて、グチャグチャと混ぜながら食べるネパールの代表的な主食。

 ここのは肉、魚類は一切使ってないベジなんだけど、丁寧に作ってるっていうか、愛情がこもってるっていうか、も〜とにかくウ・マ・イ☆☆☆

 おまけにボリュームもハンパじゃないし、、、

 配給のとき、ボケ〜っとしてたら不意にテンコ盛りによそられてしまい、、、

 「普通に考えて、こんな量食えるわけないじゃんか〜」 とかボヤきつつ、案の定思いっきり残してしまった程だ。。。

 回りが気になって見回してみると、みんな細い身体にも関わらずモリモリたいらげてるではないか、、、

 「おぉ〜、、、ネパリーの胃袋恐るべし・・」

 味といいボリュームといい、寄付だけでこれをまかなってるとはとても思えない。 う〜ん、これは思わず修行の身であるという事を忘れてしまいそうだ。。。

 

【2日目】

 この日も昨日と同じように、鼻と上唇の間のゾーンに意識を集中し、そこに起こる「感覚」と鼻での自然な「呼吸」をひたすら観察する。瞑想中は、常にその部分の「感覚」に意識を集中させてなきゃならないんだけど、1日10時間以上も集中するのはさすがに難しい、、、

 とりとめもない思考が、頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えをくり返す。

 夜の講和では「ダルマ」という法についても学ぶ。

 悟りには3つの要素8つの条件が必要らしく、瞑想とあわせてこの法の理解と実践が欠かせないようだ。内容については、どの宗教でも基本としているような「道徳・倫理・哲学・自己コントロール・戒律・摂理・知恵」といった事柄について説かれている。

 ただ今日聞いた話の中で、自分にとって新たな発見が一つあった。

 それは、どんなにこれらの内容を頭で理解し実践したところで「真の悟りには至れない」という事実。ブッダはこれらの要素を、頭だけの理解だけでなく「自己の身体的経験」をもとに、体験的に知ることが不可欠という事に気づいていたのだ。そして、その「身体的経験」を得る為の手段として考案したのが、どうやらこの瞑想法のようなのだ。

 こんな話を聞くと「ヴィパッサナー瞑想法」がなんだかとてつもなく凄いモノのように思えてきた・・。

 今の時点では、自分のやってる事と、これらの要素がどんな理屈で結び付くのか分からないけど、とにかく必要なのは心の「平静さ」だという事を繰り返し強調していた。

 

 【3日目】

 朝一の瞑想中、ふと母親のことを想い泣いてしまった・・。

 実は、ウチの母親は僕らが旅立った翌日に親父と兄貴のもとを飛び出してしまっていた。

 しかし、こうなる事は薄々気づいていた。ウチの家族は家庭を離れてしまった母親を、身勝手だと一方的に責めてしまってる。俺としては、母親としての役目はもう十分果たしてくれたと思っているし、母親にだってこれからの人生を選択する権利は当たり前にあると思ってる。

 俺自身も、息子として出来る限りの事はやったつもりだから、自分らの旅立ちが一つのタイミングになった事に対しての責任は感じてない。いろいろな想いと共に出た答えが、たまたま家庭の外にあっただけの話だ、、、

 「そういえば、母ちゃんは一度も海外を経験してなかったな・・、日本に帰ったらどっか連れてってやりたいな〜」

 なんて事を考えてたら、急に涙が溢れだしてきて止まらなくなった、、、

 幸いにも日の出前の薄暗い中だったから、たぶん誰にも気づかれてないと思う、まだ朝一で良かった。。。
(※この後、母親は戻ってきたとの事なのでとりあえず一安心。。。)

 この日の午後から瞑想方法が少し変わった。どうやらここからが本題の「ヴィパッサナー瞑想」に入るらしい。

 まず頭のてっぺんから観察を初め、徐々に下へさがっていき、身体の部分毎に感じる感覚を慎重に探りながら、最終的には全身の感覚を漏れのないように感じとっていく。

 これが実際やってみるとなかなか難しい。。。

 服か何かに触れている部分ならまだしも、何にも触れてない「皮膚」っていうのは、全く何の感覚も感じとることが出来ない部分が結構ある。さらに、このときそこに感じる感覚がどんな種類のもの「痛・熱・快」であっても、常に「平静」を保つということが重要らしい。

 それにしても、講和の度に毎度ささやかれる「人は苦しみの中に生まれ、苦しみの中で死ぬ」という、輪廻の言い回しにはどうもシックリこない、、、

 

【4日目】

 目覚めると連日座り過ぎのせいか体中が痛む・・。

 ただ座ってるだけだっていうのに膝、尻、腰、肩、首、いたるところが「ギシギシ」ときしみ出した・・。

 瞑想については昨日とほぼ同じ事を繰り返す。いまだに自分のやっていることがどういう効果をもたらすのかハッキリしない・・。というより、なかなか核心を明かしてくれないのだ。

 今はただ、「言われたことを素直に受け入れ、誤解のないよう正しいやり方を覚えて下さい。」と、言われるだけだ。。。

 それにしても途方もなく時間が長く感じる・・。

 まだ4日目だっていうのに、すでに気が遠くなるくらいメチャクチャ長い時間に感じている・・。

 「終わってみると案外あっと言う間でしたよ〜」なんて言ってたのは誰だ・・!?

 すでに今の時点で、終わった後の感想が「あっと言う間だった」なんて事は絶対あり得ないな、、、という確信が生まれつつあった。

 時間の事を考え出すと辛くなるだけだから止めよっと。。。

 【後編へ続く】



sekaihokkori at 19:32|PermalinkComments(4)TrackBack(0)clip!

ネパール

ポカラで泊まってた宿のルーフから見た、夜明け間もないヒマラヤ山脈の風景。訪れたときは丁度雨季にさしかかってたので、綺麗にヒマラヤが見えたのは結局この初日1日のみだった…。

 

 



ポカラからバイクに乗りサランコットへ行ったときに、山頂付近で会った山岳民族の親子。この時、地元の人に飲ませてもらった(飲まされた!?)水牛のミルクで、1ヶ月近くも止まらない下痢が続いた…(苦)

 

 



カトマンドゥの市場でみやげ物を物色中。

 

 

チベット仏教寺院にて中央に書かれた鋭い眼は仏陀のものらしく、通称ブッダアイと呼ばれている。



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