ケニア
January 20, 2008
ナイロビ非常事態宣言
ナイロビ初日の晩は、久々にぐっすり良く眠れた。ベッドの有難さが骨身にしみた一夜だった。
翌日の朝は少しゆっくりしてから、午後ネットカフェへ行き、何日か振りにメールのチェックをしていた。
すると、突如ネットカフェにいた客達が、一斉に窓の外に身を乗り出し何やら騒ぎ出した。
いったい何が起きてるのかと思いきや、そこでは完全武装したソルジャー十数人が、すごい勢いで多数の市民を追い回してる姿が目に飛び込んできた。
何処からともなく報道カメラマンまで現れ、そこら中で催涙弾が飛び交い、辺りは白い煙でモックモク。。。
周りに居た一般市民も、巻き添えを食わないよう必死に逃げ回っている。たまたまそこに居あわせただけで攻撃されそうな勢いだ。
その日の晩、その時の映像がニュースとしてテレビに流れた。
この騒ぎの原因は、年末にあった大統領選挙の集計に不正があったとか無いとか、、、で、それ以来こんな調子が続いているらしい、、、
このような暴動が、滞在してる間毎日のように起きた。ナイロビ自体は都会で近代的な街なのだが、そんな緊迫感もあってか、この街には何処かただならぬ雰囲気が漂っている。
別の日には、街を歩いてたら前から凄い勢いで大量の地元民が走ってきたことがあった。その後方では見覚えのある白い煙があがっている。
「また始まった!!!」と今度はうちらが巻き添えを食わないよう、地元の人と一緒に全力で走って逃げた。
ココは政府も警察も腐りきってるうえに、強盗が出たからといって周りの人は恐いからと見て見ぬフリをするような国らしい、、、
『自分の身は自分で守らなければ誰も助けてくれない』
こんな切迫した緊張感は旅に出てから初めて味わう。。。
ナイロビでは「サファリツアー」に参加しようと思ってたのだが、当然こんな状況なので、結局4日待っても全く人は集まらず、、、
この情勢はしばらく落ち着きそうもないので、仕方なくケニアのサファリは諦め、すぐ隣の国「タンザニア」へと抜けることにしました。。。
(写真左)宿の部屋から撮影した夜のナイロビ風景。人影も殆ど無く閑散としている。
(写真右)ケニアのバスはド派手★この風貌で音楽をガンガンに鳴らしながら爆走する。
January 16, 2008
地獄のローリー30時間の悪夢
朝8時頃、エチオピア側のイミグレへ向かってる途中、アジスアベバのホテルで出会った日本人、のり君とまゆこちゃんカップルにばったり出会った。
さらに、そのままケニア側の国境を越えた後、首都ナイロビに向かうローリーも一緒に乗ることになった。このローリーというのは、いわゆる日本でいう貨物トラックのようなもの。
この国境からナイロビまでの移動区間は、アフリカを旅する旅行者の間でもかなり有名で、うちらにしてもアフリカの中でも最も恐れていた移動だった、、、
何を恐れていたかというと、、、
まず、この区間は昔強盗が多発してた為かバスの定期便が少なく、仮にあったとしても未だに危険度が高いという噂がたっていたのだ。
そこで、バスの代わりとして唯一、地元の人の移動手段となっているのがこのローリー(貨物トラック)のヒッチで、これだと強盗が多発する地域を通らずに迂回ルートをとる為、比較的バスよりは安全だという。
しかし、、、
危険を回避出来るのは良いとしても、このローリーはあくまで貨物トラックなので、当然その荷台には貨物が積まれているのだ。したがって「その貨物が何なのか?」という点がうちらにとっては非常に重要なポイントになってくるのだった。
うちらが当たったローリーは、運よく豆の詰まった袋を積んでいたのでその上に乗る事が出来たのだが、運が悪いとヤギや牛などの家畜を載せたヤツに当たるらしい、、、
その場合、もちろん荷台には乗ることが出来ない。 じゃあ一体ドコに乗ることになるのかというと、荷台を囲っているジャングルジムのような鉄パイプの上、、、(写真下)
これも短時間の話なら何て事は無いのだが、どれぐらいその状態でいなきゃならないかは、ドライバーの都合や気分次第なので、正直ハッキリとした時間はうちらには分からない。
運が良くても20時間以上、運が悪ければ2泊3日とか掛かっちゃう場合もあるとのことだ。こんな最低な状況なので、この区間だけはやむ終えず飛行機を使う旅人も多い、、、
うちらも、これだけは割増で金を払ってでも助手席を確保するつもりでいたのだが、他にもっと金払いの良い上客が現れた途端、あっけなくうちらの確保した席は無くなってしまっていたのだった。。。
しかも、その上客がまだ小さい子供を連れたファミリーだったっていうんだらから始末が悪い、、、
そうなった以上、うちらも「これも運命か、、、」と潔く諦め、のりくん、まゆこちゃんと一緒に豆が満載された荷台へと乗り込んだのだった。
そのトラックには、最終的にうちらの他に地元の人が30人近く乗り込んだ。まるで難民を乗せてるかのように狭くむさ苦しい環境、、、
トラックの荷台には幌が掛かってると喜んでたのもつかの間、走り始めると幌の透き間から大量の土埃がモクモと舞い上がってきた。
それはそれはヒド過ぎて、まともに前も見えなければ呼吸も出来ないという状態が続く。こんなホロならまだ無いほうがマシだったかも、、、
さらに、道がボッコボコの荒れ地にも拘わらず運転がメチャクチャ荒く、荷台内の揺れ方もハンパじゃなかった。。。。
「衝撃で身体が十数センチ宙に飛ばされたかと思った次の瞬間には、下の固い豆袋に叩きつけられる、、、」という状態が数分おきに延々と続いた。
しばらく乗ってるとアチコチが打ち身のような状態になってきて、ゆりなんて後から全身青あざだらけになってしまったほど、、、
休憩もどのタイミングでとるのか全く分からないので、トイレに行きたくならないようあまり水分を摂ることが出来なかった。
そんな中でも唯一、幌の上からの眺めはなかなかのもので、野生のキリンやラクダを目撃するという嬉しいハプニングも、、
しかし、 夜は夜で激しい揺れに加えて、真っ暗闇のなかを地元民と密着した状態で一緒に豆袋の隙間に埋まってしまった為、とてもじゃないけど寝るなんていう状況じゃなかった、、、
「これ程ながく感じる夜が今までの人生で果たしてあっただろうか、、???」
ふとそんな事を考えてしまってる程、キツくながい夜だった・・。
ようやく夜が明けたと思ったら、今度は追い打ちをかけるように雨が降りだしてきた。穴の空いた幌からは至る所で雨漏りしだし、それにあたると体温が奪われるのでおちおち横になってもいられなかった。
途中、ポリスによる検問も何回かあり、その度に外国人のうちらは執拗にパスポートをチェックされた。
そのうちの一回は、難癖をつけられて賄賂を請求されそうになったのだが、英語が分からないフリをして何とかごまかした、、
しばらくの間、心身共に疲れきった4人の放心状態が続く・・。
何時着くかも分からない状況の中、うちらに出来る事といえば、一刻も早くこの現実に終わりがやってきてくれる事をただただ願うのみだった。
乗る前に「ナイロビには早朝ぐらいに着く」と聞かされてたのだが、結局着いたのは午後4時近くなっていた。それもナイロビの手前50kmの地点で、、、
ローリーが急に市場に入ったと思ったら、今度はいきなり積み荷の豆を下ろしだしたので「何時に終わるんだ?」と確認したところ「7時まで待ってくれ」と言い出したので、もう呆れて自ら降りたという始末、、、
ナイロビに着くのが夜になるのはかなり危険という話だ。しかし、トラックを降りたのは良いが自分らが今いったい何処に居るのかさえ分からない。
そんな状況から必死に乗合タクシーを乗り継ぎ、倒れ込むようにナイロビにある日本人宿「ニューケニアロッジ」へ到着したのであった。
この道程には計30時間ほど掛かったが、これでもうちらの場合は豆だったからまだマシだったらしい。
だからといって、、、
「もしこれが家畜だったら・・・」なんて事は今さら想像したくもない。
これは後から聞いた話だが、このローリーには家畜のさらに上をいくという「鉄クズ」という積み荷も存在するらしい、、、
家畜であれば、仮にバランスを崩して下に落っこちたとしても汚れるだけで済むのだが、それは落ちたが最後、鉄の破片が刺さって大ケガをするという話だ・・。
そんなフザけた話、うちらにとっては笑えもしないが、、、
とにかく、豆だろうが何だろうがこんな移動これっきりでもう二度とゴメンだ・・・。





