ブラジル

2008年03月17日

予想外の誕生日

 サルバドールを後にしたうちらは、ゆりの誕生日を“極上のビーチで迎える”という野望の為、「トランコーゾ」という片田舎の小さな町まで足をのばした。

 ここは最近、新たなビーチリゾートとして注目を集め初めてるらしかったが、実際行ってみたらまだまだ素朴な雰囲気の残るステキな所だった☆


ブラジル トランコーゾ

ブラジル トランコーゾ

 

 

 

 




 

ブラジル トランコーゾ

ブラジル トランコーゾ

 

 

 

 


 



 
誕生日の晩は、かねてから「寿司」が食べたいという願いあって、町に数件ある“スシバー”のうちの一件を覗いてみることに、、、

 だがその”値段”を見てわが眼を疑った・・・・・。

 何と、、、サーモンの握りが、たった2カンで”千円”もするのだ、、、、、

 まさか、、と思って他もあたってみたけど、どのレストランも似たような値段。。。

 「いくら誕生日でも、さすがにコレは厳しいかな〜。。。」 と、諦めかけてた矢先、突如うちらの目の前に“しんご君”が現れた、、、

 “しんご君”とは、サルバドールの宿で初めて会った日本人なのだが、話をしてくうちに偶然にも“地元が同じ”という事が判明し、最終的にはうちらもよく知っている後輩とまで“幼なじみだった”という縁で繋がってしまっていた。。。

 「いったい全体、、、世界ってのはホントに広いのかい???」

 旅を長く続けてると、この「偶然」ってヤツには度々驚かされる、、、、、

  とりあえず、その時はまだレストランが探し途中だったので、「晩飯後にまた合おう!」うという事にし、しんご君がお世話になってるという居候先の場所だけは教えてもらうことに、、、

 そこへは、場所を確認するがてら挨拶だけしに行ったつもりだったのだが、結局「ご飯も食べてもう少しゆっくりしていきなさい〜!!」 という話になってしまった。。。

 まぁうちらにしてもどっちにしろ「寿司」は厳しそうだったし、予想外な展開だけどこんな誕生日も決して悪くないだろう、ということでその好意には有難く甘えさせてもらうことにした・・・。

 そして嬉しいことに、その居候先のお母ちゃん“リヤ”が作ってくれた手料理は、何ともシンプルにして驚くほどウマかったのだ、、、☆☆☆

 それは、「愛情」がこもった料理とそうでない料理とじゃ、同じ材料を使っても「味」が全然違うものになる、という事を改めて実感させてくれたようだった、、、

 その後も、突然お邪魔したにも関わらず、みんなには温かく誕生日を祝ってもらったうえに、予想外の“バースデーケーキ”まで御馳走になってしまった。。。(本当にありがとう☆)

 当初予定してた「寿司」からは、だいぶ予想もつかないような展開になったけど、コレはコレでゆりにとっては思い出深い良い誕生日になったんじゃないかと思う。

 それにしても、リヤの子供“チッターニャ”は稀にみるイタズラっ子だ、、、

 まだ4歳だってのに死ぬほど生意気で、小憎たらしいったらありゃしない、、、

 しかも、その性格に似合わず、子供服のモデルなんて事までしているっていうんだから驚きだ、、、

 言われてみれば、イギリス人との子だけあって“顔だけ”は確かにハンサムなのだ。。。

 リヤには、今一緒に住んでる“チッターニャ”の他にも5人の子供が居るという。

 しかも、そのうちの2人は“日本人”との子供だそうだ、、、

 旦那さんの写真も見せてもらったけど、そこにはごくごく普通の日本人の男性の姿が写っていた。

 まぁ色々と事情がありそうなんで、あんま深いトコまではつっこんで聞けなかったケド・・・。

 とにかく、これまでに色んな国の人と付き合いがあって、リア自身も世界中色んな国に行った事があるようだ、、、

 自分には「アフリカン」と「アマゾンの先住民」の血が流れている、という“自身のルーツ”まで熱心に語ってくれた。

 なかなかスピリチュアルな価値観を持ってる人で、“パワー”とか“エナジー”とかいう単語を会話の節々に使う、、、

 話によると有名なアーティストやダンサーなどにも幅広く友人が居るようだ。

 結局、リヤにはそのあとも何度となく手料理を御馳走になってしまったうえに、お別れの日には、記念にと「手作りのアクセサリー」のプレゼントまで貰ってしまった。。。

 うちらは大した奉仕は全然出来てないというのに・・・。

 しかも、正直なことを言うと、、、、最後の最後まで、、

 「ひょっとしてまた”最後はお金”のパターンになるんじゃ・・・」

 という“恐れ”が、心の隅っこでわずかながら拭い切れないでいた、、、

 しかし、そんなうちらの心配をヨソに、当のリヤは最後の最後まで“献身的な態度”をもってして、うちらをもてなし尽くしてくれたのだった。。。。。

 (う゛ぅ〜、、、リヤ〜、疑ってゴメンよ〜。。。)

 さらに齢を聞いてオッタマゲた、、、、、

 なんと、ゆりの”一コ下”というではないか・・・・・。

 すでに“肝っ玉母ちゃん”の貫禄じゅうぶんなのに、、、

 こういう時、さっきとは逆に「世界は広いな〜」と感じる、、、、、

 この世界には、若いのにあんなに色々な人生経験を積んだ、“愛情溢れた”人が居るんだなぁと思うと、なんだか無償に嬉しくなってしまうような出会いだったのでした。。。(オブリガード☆)

ブラジル トランコーゾ

 

 

 

 

 

 

 


 

 一方「リオデジャネイロ」のビーチは強盗や置き引きが多発しているというので、あんまり気は抜けませんでした。。。。。

ブラジル リオ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ブラジル リオ

ブラジル リオ


 

 

 

 

 


 
それでもやっぱり、ブラジルのギラギラと日差しの下には“ビーチ”が良く似合っていた。。。

 

 



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2008年03月10日

トレッキング恐怖症

 サルバドールの宿にて仲間を募り、「チャパダディアマンチーナ国立公園」という所に、2泊3日のトレッキングツアーに行ってきた。

 サルバドールから西に2〜300kmほど行った所にあるこの国立公園は、もっぱら欧米人には有名だそうだが、「地球の歩き方」に載ってないという理由から日本人にはでまだ知名度は低いようだ。。。

 そこへは夜行バスに乗って近くの村まで向かい、そこで四駆に乗り換えてから道なき道を車で行ける限界のトコまで行き、そこからは各自持参した荷物を抱え自分の足で歩いた。

 てっきり、うちらはその時まで、”初日はロッジまで車で行けるもの”だと思ってたのだが、どうやらそれは素敵なカン違いだったようだ・・・。

 3日分もの昼飯の食料を買い出してきてるうえに、クソ重い“ドリンクやお酒”まで持ってきちゃてたからコレにはちょっと笑えなかった。。。

 地元のガイド「マリ」のナビゲートによって、のっけからそんな調子で始まったトレッキングなのだったが、、、


ブラジル チャパダディアマンチーナNPブラジル チャパダディアマンチーナNP

 

 

 

 

 


 

ブラジル チャパダディアマンチーナNPブラジル チャパダディアマンチーナNP

 

 

 

 


 

 

 

 まったくコレが“シンドかった”のナンのって・・・・・・・。

 


 トレッキングにはわりと自信があったつもりのうちらだったけど、あまりのシンドさに途中から“景色を楽しむ”なんて余裕すら無くなってしまってた程、、、

ブラジル チャパダディアマンチーナNPブラジル チャパダディアマンチーナNP

 

 

 

 

 

 

 初日は、途中で川や滝などに寄って遊んだりしながらも、何とか日が暮れる前までにはロッジ(写真左上)に到着することが出来た、、、

 しかしそこへ追い討ちをかけるように、ガイドのマリが「肩が痛くて料理が出来ない、、、」とか言い始めた為に、疲れきったうちらが晩飯を作るハメに。。。

 しかも調理は、ガスも電気も無いキッチンで懐中電灯とロウソクの明かりだけを頼りに、まずは“釜に薪をくべる”という何とも原始的な所からのスタート、、、

 でも、そんな中で皆で協力しあって作った夕食は、楽しかったうえに実際の味よりもおいしく感じてしまうんだから摩訶不思議☆☆☆

 そしてその傍らでは、ナゼか“痛いはずの腕”でギターを弾きつつ、呑気に歌なんか歌いながら酒をあおっていただけのマリだったのである。。。(写真右上)


 その翌朝は、ふと寝返りをうったときに感じた、強烈な太ももの痛みによって目が覚めた。。。。。

 朝食の後、その殺人的な筋肉痛をうらめしつつ、今日のポイントである洞窟へ這うように向かった、、、

 しかし、その洞窟を抜けた奥では、久々の“絶景といえる絶景”がうちらを待ち受けていたのだった、、、☆☆☆



ブラジル チャパダディアマンチーナNP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 その景色を目の当たりに出来ただけでも、じゅうぶん“筋肉痛の意味はあった”と思えるような、それはそれは壮大なモノだった☆☆☆

 その眼前に広がった荒削りな自然は、「ジェラシックパーク」さながらトリケラトプスなんかが飛んでたって疑わないような、遥か太古の地上を思わせるようなものだった、、、

 その二日目は、大した距離は歩かずに穏やかに終わっていったのだが、最終日にはアップダウンの厳しい山々を、ひたすら苦行のように歩き続け、終わってみればなんと合計30km近くも歩いてしまってたらしい。。。。。


ブラジル チャパダディアマンチーナNP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 ヘロヘロの放心状態になりながらも、ようやく辿り着いたゴールの村では、今回のツアーの無事をみんなで祝い“キンキンに冷えたビール”でお疲れの祝盃をあげる事となった。


 そして、この時のマリの何気ない一言で明らかになった、、、


 今回のトレッキングでマリは、うちらが特に“何も言わなかった”からと、終始自分のペースで歩き続けたという・・・。 


 それを聞いてようやく自分の中にあった疑問が解けた、、、

 

 「こんなハードな行程を、来た人はみんなちゃんとこなせてるんだろうか???」

 

 というようなコトが、歩いてるときから常に頭に浮かんでいたのだが、、、


 いつもなら(※他の国の人の場合)疲れたらすぐ“休憩させろ”と騒ぐ客が、うちら日本人は“シンドくても我慢してしまう質”で何も言わなかった為に、ガイドのマリの目にはてっきり“大丈夫”と映ってしまってたようなのだ。。。


 さらにマリは、日本人のガイドをしたのは今回が“初めて”だという、、、


 コレには納得してスッキリしたのと同時に、ある意味で感心してしまった、、、


 言われてみれば確かにソレは、日本人独特の「我慢強さ」というか「負けん気」というか、、、


 (う゛〜ん、、、そのせいもあってこんだけシンドかったわけネ。。。。。)


 まぁそもそも、この広大な国立公園を2泊3日で観ようとしたスケジュール自体にも問題はあったようだケド。。。


 さらにコレ以来、「トレッキング恐怖症」という情けない恐怖症に悩まされてしまうようになってしまったうちらなのでした、、、

 ※トレッキング恐怖症とは・・?
 いわゆるトラウマの一種で、“トレッキング”という響きを聞くだけでこの時のツラい体験が脳裏に蘇ってしまう、比較的ヘタレに発症しやすい精神疾患です。


 (でも、思いっきり疲れた後に飲んだ“ビール”は最高にウマかったなぁ〜☆)

 

ブラジル チャパダディアマンチーナNPブラジル チャパダディアマンチーナNP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラジル チャパダディアマンチーナNPブラジル チャパダディアマンチーナNP



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2008年03月04日

プチカーニバル

 話には聞いてたけど、ホント想像いじょうに快適なバスなんで驚いた。。。

ブラジル バス ブラジルの長距離バスは「枕」や「ブランケット」がついてきて、シートはゆったりしているうえに足元には「フットレスト」まで備え付けられてる、という飛行機のビジネスクラスも真っ青な「快適仕様」だったのだ、、、

 サンパウロから33時間(※過去最長)かけて走ってきたバスも、2日後の早朝にはようやく「サルバドール」のバターミナルへと到着。

 通しで“33時間”なんていうと、恐ろしく長い道のりのハズだけど、この「ビジネスクラス」のお陰でそんなに疲れることなく快適に過ごせた♪

 やや肌寒いぐらいだったサンパウロから来ると、サルバドールの気候はものスゴク蒸し暑く感じる。。。

 容赦なく照りつける紫外線と、その日差しを真っ向から受けて直視出来ないほどにギラつく海。途中、バスで通りがかった海岸沿いでは、朝早くからマラソンをしてる人の姿をかなりの数見かけた。

ブラジル サルバドールブラジル サルバドール

 

 

 

 



 

ブラジル サルバドールブラジル サルバドール

 

 

 

 

 

 

ブラジル サルバドール その海を見渡せる丘の上に広がるのは、ポルトガル植民地時代のコロニアルな雰囲気が今なお残るの旧市街の町並みだ。

 現在でも、当時jの趣きを残した古い建物がたくさん残っていて、色とりどりのパステルカラーにペイントされた家々が、年季の入った石畳とともに何処までもクネクネと建ち並んでいるのだ。

 黒人の姿も、ここにきて一気に増えたせいか、街の雰囲気はサンパウロとは明らかに異なる印象を受けた。

 

 

 




 

 さんさんと放たれる太陽の光とあいまり、黒人特有の“楽天的”かつ“エネルギッシュ”なエネルギーが、この街を支配してるように感じる、、、

 ここサルバドールにも、日本人の旅人が情報や仲間を求めて集う安くて快適な宿があり、滞在中はうちらもそこを利用した。

 そこには、サルバドールがあるバイーア州が発祥の※格闘技のようなダンス「カポエイラ」や、カポエイラの際に弾く弦楽器「ビリンバウ」なんかを習っている人も、数人長期で住み込んでいた。

 ※本来は「ダンスに見える格闘術」として黒人奴隷の間で発祥したそう・・。

 辿りついた経緯はそれぞれ違くとも、皆それぞれに秘めた「想い」を胸にしており、こういったトコでお互いの「魂」に触れ合うというのが、旅をするうえでの掛け替えのない“喜び”の一つのようにも思う。。。

 それと、ここサルヴァドールで“絶対”ハズせないのが、毎週日曜と火曜にあるお祭りだ☆☆☆

ブラジル サルバドールブラジル サルバドール

 

 

 

 

 

 

 うちらもさっそく、日曜の夜8時くらいから街へ繰り出してみた。

 教会前の階段で開かれていた地元アーティストのライブでは、既にものすごい量の人で階段が埋め尽くされている(写真上)


 それにしても、すごい盛り上がり方。。。。。


 さすがブラジリアンだ、、、、、ノリが良い、、、♪♪♪

 

 この教会よりさらに中心に近い「セー広場」に近づくほど、道は人でごった返している、、、

 

ブラジル サルバドールブラジル サルバドール

 

 

 

 

 

 

 広場の周りでは所狭しと屋台が並んでいて、コンサートをやってるステージもあれば、道端で大道芸してる人もたくさんいた。

 その中の一つ、「カポエラ」のダンスが大勢の人だかりを作っていた。

 今までに何度か「カポエイラ」は見たことあったけど、ココのは特別ハンパじゃ無かった、、、(写真が無いのが惜しい)

 ドラムとビリンバウに、タンバリン?のような楽器を合わせ、向かい合った二人のダンサーは、リズミカルに身体を宙で回転させている、、、

 かと思った途端、片方の「ケリ」がもの凄いスピードでもう片方の顔面をめがけて飛んでいった、、、

 しかし次の瞬間には、あざやかな側転によってその「ケリ」は紙一重のトコでかわされてしまう、、、

 そうとう鍛え抜いただろう“ムッチムチ”の身体に、目茶苦茶アクロバティックな技とスピード。。。

 コレだったら“格闘技として生まれた”ということが容易に想像出来る、、、と思わせるぐらい、ダンスというよりはむしろ、真剣勝負の“闘い”に近かった・・・。

 むろん、カメラを撮る観光客からはせっせと“チップの回収”に励んでいたケド。。。。。

 その後も、ビール片手にライブをハシゴしたり、大道芸に見とれたり、、、

 それらをひと通り見終わった所で、そろそろホテルに戻ろうかなと道を歩いていたら、突然、どこからともなく「ズダンッ、ズダンッ、、、」という地鳴りのような音が響いてきた。。。


 「お、いた、いた!!、、、太鼓隊発見!!!」


 帰る間際になって、ようやくお目当てだった“太鼓隊”を発見した!!!

 

ブラジル サルバドール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 この総勢20人位からなる太鼓隊?は、下っ腹に響くほどの唸るビートを繰り出しながら、意気揚々と旧市街の石畳の上を練り歩いていた、、、

 すでに後方には、大勢の観光客やら地元の子達を従えており、その前方には、ダンスの振り付け担当をしている“ティーチャー的存在”までいたのだった。。。

 そのティーチャーが振り付けたダンスと、太鼓隊の繰り出すビートが妙にマッチし、なんとも言えない強烈なグルーブ感を生んでいた、、、


 すかさずうちらもそこへ加わり、皆と一緒になって踊りまくった。。。


 「気分はまるで、サンバカ〜ニバ〜ッル、、、、♪♪♪」


 人混みにまみれてモミくちゃの汗ダクになりながら、なりふり構わず踊ったダンスは、それはもう最高に ↑ な気分だった!!!

 アフリカでさえ、これほどのアフロパワーとパッションは感じとれなかったのに・・。

 そのまま我をわすれて踊り狂い、かれこれ2時間近くは踊っただろうか、、、、、

 すでに夜中の12時を回ろうとしてるのに、その勢いは一向に衰える気配がない。

 しかも、この規模の祭りを毎週”2回”もやってるってんだから、この街の人達本当にパワフルだ・・。

 その晩は、宿に戻ってからもしばらく興奮冷めやらず、なかなか寝付けない程だった、、、

 毎年2月にある「サンバカーニバル」は、惜しくも間に合わなかったけど、その代わりにココでは“プチカーニバル気分”を味わうことができたので、それだけでも十分価値あるものだったと思う。。。

 この「プチカーニバル」が味わえるお祭り、、、、、

 サルバドールを訪れる際は、是非お見逃しのないように・・・。


ブラジル サルバドールブラジル サルバドール



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2008年02月29日

地球の裏側にあるもう一つの日本

 南アフリカのケープタウンを発った飛行機はヨハネスブルグを経由し、計12時間のフライトを経て、南米はブラジルのサンパウロへと到着した。

 空港に降り立った時にはすでに日が暮れてたので、安全のために空港から市内へはタクシーを使って向かう事に。(ブラジルはけっこう恐い話聞くんで・・)

 サンパウロ市内には「日系人」が経営している宿がいくつかあり、うちらはその中の一つ「ペンション荒木」という宿を訪ねた。

 さらに、その宿の周辺は「日本人街(リベルダージ)」と呼ばれる日系人の居住区になっており、現在もたくさんの日系移民とその子孫達が生活を営んでいるエリアだった。

 辺りを歩くと、日本語の「看板」や「ポスター」「のれん」などがいたる所で目につき、ある道路では「ちょうちん」なんかもデコレーションされていて、そこにはブラジルにも関わらず如何にもな「和」が醸し出されていた。

ブラジル サンパウロブラジル サンパウロ

 

 

 

 


 


 日系の人が営んでる店の店先では、「日本人」のおじちゃんおばちゃん達が、「日本語」で他愛もない話に花を咲かせている。よく観てみると、その手に抱えてる新聞も当然のごとく「日本語」のものだった。

 それはとても懐かしい「日本」そのもので、そんな何気ない光景を眺めているだけで、心の奥底にあった“寂しさ”が優しく癒されるような想いだった、、、

 さらに驚くべき事に、この辺りのスーパーに並ぶ日本食材の豊富さといったらそれはもう・・・。

ブラジル サンパウロブラジル サンパウロ

 

 

 

 



 

ブラジル サンパウロブラジル サンパウロ

 

 

 

 

 



 日本米、日本野菜、醤油、味噌、みりん、鰹節、わかめ、おたふくソース、豆腐、納豆、煮干し、梅干し、漬物、うどん、そば、そうめん、大福、せんべい、カップラーメン、カレールー、ふりかけ、のり、寿司、サンマ、ししゃも、等々、、、、

 恐ろしいほど、ホントーになんでも揃っちゃう。。。

 例えば「ふりかけ」だけで、ゆうに30種類近い品揃えはあった・・。

 (ふりかけって、日本でもこんな種類あったっけ、、!?)

 これには二人とも目を輝かせて大ハシャギ。。。。♪♪♪

 そこで、つい興奮してその品揃えをカメラに収めてたら、、、

 「すいません!!写真は遠慮ねがいます!!!」と、

 店員のおばちゃんに注意されてしまったのだった・・・・・。

(ゴメンナサイ。。。。。。)

 殆どが輸入物だけあって、値段は日本に比べると1〜2割程高いんだけど、「日本の味覚」が恋しくて堪らないうちらは、値段うんぬんの前に「喉から手が出ちゃってた」から仕方がない。。。

 1割だろうが2割だろうが、ココゾとばかりに買い漁っちゃったのは言うまでもないでしょう・・・・・(嬉)

 数日後、うちらは日本人街からは少し離れた所にある「鹿児島会館」へ宿を移した。

 そこは鹿児島の県人会の方々が運営している「海外版県民館」のようなもので、本来は「鹿児島から移民した人達の為に使用されている」建物だが、研修や行事などがない期間は一般の旅行者にも泊まらせてくれるという、うちらのような旅行者には何とも有難い存在だったのだ、しかも格安で。。。

ブラジル サンパウロブラジル サンパウロ

 

 

 

 

 


 敷地内には「プール」や「卓球ルーム」、ロビーには歴代会長さんの顔写真や、熊本らしく「西郷さんの銅像」や戦国時代の「鎧兜」なんてものまで飾ってある、それはずいぶんと立派な建物だった。。。

 ある晩、一緒にそこへ泊まっていた旅行者の「10年夫婦さん」(写真右上)と共に、一件のある飲み屋へ行くことになった。

 その名も「津軽」という飲み屋は、昔ながらの赤ちょうちんを思わせるような雰囲気で、カウンターの中にいる70歳くらいの日系1世のおばちゃんが一人で営んでいる、というこじんまりしたお店だった。

 ここでは「アジの刺し身」やら「ラーメン」やら「焼きそば」なんかを堪能させてもらい、久々の「日本の味」に舌鼓を打たせてもらった。

 夜が更けてくると、狭い店内は何処からともなくやってきた日系の常連客で一杯になった。

 みんな気さくな人ばかりで、一介の旅行者である僕達にも親しみを持って接してくれた。

 酔いがまわり場が盛り上がってくると、自然と懐かしい「カラオケ」なんかも始まった、、、(もちろん日本の歌♪)

 自分も勧められるがまま、久々に「島歌」なんかを歌ってだいぶ気分が良くなっちゃった所で、、、

 うちらがお世話になっている「鹿児島会館」の園田会長さんが登場した。

 お会いするのは初めてだったけど、とても気さくなで、旅人に対しても非常に寛容だった。

 酔った会長さんは僕たちに色々な話をしてくれた。

 移民当時の話やそれからの苦労、そして現在の日系人とブラジル人の関係などについてなど、貴重な生の話を聞かせてもらった。

 そこには戦前のまだ情報が乏しかった時代に、遥か地球の裏側へ未来を託した人々の、切々とした想いを感じ取ることが出来た。

 込み入った歴史については「移民資料博物館」で、少しながら学ばせてもらった。。。

 戦前、まだ日本が今ほど豊かでなかった時代、日本各地に住んでいた貧しい農村の人々が、当時「コーヒー農園」の労働力として移民を受け付けていた南米へと、夢と希望を抱きつつ遥か海を渡っていったそうな。。。

 しかし、実際の生活は思っていたほど楽なものではなく、まずは険しいジャングルの状態から人の手一本で土地を切り開いてく、という気の遠くなるような仕事からその生活は始まったそうだ。。。

 さらには、日本にはなかった“未知の病気”や“ジャングルに潜むどう猛な生物”、さらには“言葉の壁”や“食生活の違い”などにより、その生活は苦難の連続でもあったよう。。。

 だが、そんな困難を乗り越えていく日々の中にも、元来日本人が兼ね備えている「誠実さ」や「我慢強さ」といったような“気質”が、次第に発揮されていったという・・。

 結果的に、その積み重ねの甲斐あって全くの異文化だったブラジルの人達にも、その存在を“認めて”らえるようになったらしいのだ。。。

 最初は農業から始まった仕事も、その農業で得た資金を元手に「農業」から「小売店」、次は「小売店」から「工業」、さらに「工業」から「金融業」などへ、と賢く事業を展開させていったようだ。

 さらに、その子孫である2世、3世は、その勤勉さから、比較的社会的地位が高い職業につくケースが多いらしく、政治家、弁護士、医者、芸術家など、幅広い分野に渡って進出しているそうで、ブラジルに与えた“功績”は計り知れないほどだそう、、、

 他にも、60年代以降多くの日本の企業がブラジルに進出した際に、これらの日系ブラジル人が作り上げた「日本人は勤勉」「日本人は信用出来る」という国民性イメージが“その進出を容易にした”と、高く評価されているとのこと。。。

 しかし、それも70年代以降になると、ブラジルが過度のインフレに見舞われるなどした為、逆に経済成長を遂げていた日本へ出稼ぎに繰り出す、といった「逆輸入」的な逆転現象も起きてしまっているという、、、

 その「出稼ぎ」にしても、見た目には日本人と変わらない日系人だが、実際には「言葉の問題」や「差別」などの壁にぶつかってしまい、中には犯罪に手を染めてしまう者も少なくないとのこと・・。

 「日系人」と言っても、その子孫の2世、3世となってくると日本語が殆ど話せないという人も結構な数いるようなのだ、、、

 ちなみに1908年から始まった移民は今年で100周年にあたるそうで、日本、ブラジルの両国ともに様々な催しが開催されているそうです、、、

 そもそも、、、

 「今までこんなに沢山の日本人がブラジルに移り住んでいた」

 という事すら殆ど知らずにいたのだったが、、、

 自分の無知さを恥じるのと同時に、改めて「日本人」という国民(民族)であれた事を「誇り」に感じてしまってる姿も、少なからずそこにはあった。。。

 当時の「移民」という手段は、きっと単なる「逃避」だったワケじゃなく、あくまでも生活を掛けた「挑戦」だったハズで、その結果が「もう一つの日本の文化」という形で、地球の裏側という条件にも関わらず、厳しくもたくましく育まれ続けていたからだ、、、

 (あのスーパーの豊富な品揃えは、当時の人達の汗と涙の結晶でもあったんだねぇ。。。)

 ということで、ここサンパウロに来てようやく、、、、、


 「地球の裏側には100年前からもう一つの日本が存在していた」


 という事実を知ることになったうちらなのでした・・☆


 (日本バンザ〜イ!!!!!)


 

ブラジル サンパウロ

ブラジル サンパウロ



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