ボリビア
2008年05月13日
食とショッピングの都ラパス
「食とショッピングに走る!!!」
うちらのオススメとしてはコレに尽きる。。。
南米一安い物価に加え、ハイレベルな日本食屋に温もり溢れる民芸品の数々、、、
さらに、これも南米一と思われる広大な敷地を誇る青空マーケットの存在、、、
とまぁ、個人的にはこれらを極めるだけでもラパスでの滞在は十分有意義に過ごせるんじゃないかと思います。。。
まず、ココで挙げたハイレベルな日本食屋というのは、紛れもなく「ケンちゃん」と「ブルーベリーカフェ」のことを指している。
この2件、南米を旅する者の間では言わずと知れた存在なのだが、どちらもお世辞抜きにうまい!!イヤ〜本当にうまかったなぁぁ。。。
これは久々の日本食だからってワケじゃなくて、仮に家の近所にこの2件があったとしたら、「きっとちょくちょく通うんだろうな・・・」ってぐらいのレベル、、、
ケンちゃんは、ラーメンから丼物、定食系まで何でもござれといった感じで、基本的にどれを選んでもハズレは無い!!
値段のほうも内容の割にはだいぶ手頃で、写真左のような定食が日本円にして400円ぐらいから食べれちゃう。
久々に味わったてんぷらやとんかつなんて、専門店にも負けないぐらいのサックサクのジューシーでもう涙モノだった。。。
一方、ブルーベリーカフェでは何と言っても「テリヤキチキン」が絶品だった!!コレを初めて食べたときの衝撃ったらそれはもう、、、
店の外見は洒落たカフェのような佇まいなのだが、そこで出されるテリヤキさんはそんじょそこらのモノとはワケが違う、、、
正直、自分は後にも先にもこんなに美味いテリヤキさんには出会ったことがない・・・。
もちろんチキン自体も美味しいのだが、それ以上に味付けの塩梅が何とも絶妙なのだ。ソースの甘辛さが憎いほど日本人(俺)好みで、思わず皿に残った一滴まで舐め尽くしたくなるほど、、、(写真無くてスミマセン・・)
テリヤキチキンと一緒にライスとサラダ、食後にコーヒーまで付いてきて400円程度で済んでしまうという優しい値段設定も◎。
ここはテリヤキチキン以外にもカレーも評判良かったんだけど、うちらはテリヤキチキン以外に目もくれなかったので、結局その味を確かめることはなかった、、、
どちらも安宿が集まる旧市街からは歩いて40分近くも離れてたんだけど、そんな遠さをものともせず、この2件には滞在中いく度となく足を運んでしまった。。。
それ以外にも、前述した2軒よりはやや高いが「コリアンタウン」という韓国人経営の韓国料理店も旅人の間では結構好評だった。
うちらも一度だけ石焼きビビンバを食べに足を運んだけど、ココもなかなかの美味で捨て難かった。。。
他にも「アレキサンダーカフェ」のチーズケーキや、ローカルハンバーガーチェーンの「メガバーガー」や、道端で売られてるコロッケ(写真左)など、、、
ラパスの町にはこんな感じでウマいモノが目白押しだったので、食だけは日々事欠かくことがなかったのでした。。。
(この町、標高4000m近くもあるってのに我ながらよく食べた・・・)
ボリビアは南米の中で最もインディヘナの割合が高いというだけあって、ここラパスの町中でも、至るところで独特の民族衣装に身を包んだインディヘナの姿を目にすることが出来た。
女性の場合、年齢問わず長めに下ろした三つ編みにツバ付きのハットを被り、ズングリむっくりした身体を色とりどりのセーターとフリルのスカートで着飾ってる姿が乙女チックで何とも可愛らしい。。。(写真下)
それに比べて男性は対照的で、特にこれといった民族衣装をまとうわけでもなく、背丈は女性同様に低いが体型はどちらかというとスリムな人が多かったように思う。
お次は買い物!!旧市街を走る「サガルナガ通り」周辺は、道の両サイドに土産屋がびっしり軒を連ね、民族色豊かな民芸品の数々で溢れかえっている、、、
ナチュラルな風合いを活かした色とりどりの織物に、毛糸で編んだかわいらしい人形や革で作られた小物の数々、そしてアンデス発祥の音楽フォルクローレには欠かせない楽器「ケーニャ」や「サンポーニャ」を売る店などなど、、、
この近辺はまさに土産物を買うのにはうってつけの場所。さらに物価も安いときてるもんだから、うちらもここで土産をまとめ買いし日本へ郵送で送った。
さらに、そのサガルナガ通りから横に伸びた通りに、通称「魔女通り」と呼ばれる怪しい名の通りがある。
その一画に、リャマやアルパカ(ラクダの仲間)の胎児のミイラや(写真左)、如何わしい薬草のようなものから不思議な陶器製の人形など、、、
全くもって一体何に使うのかも分からないようなアイテムが所狭しと売られている怪しい呪術ショップがある。
ちなみにこの左の写真に写っている胎児のミイラは、家を新築する際に地面の下に埋めて家内安全を祈願するのに用いられるとのこと、、、
さすがに観光客でコレを買ってくような奇特な人はあまりいないと思うケド、どうせなら値段だけでも聞いておけばよかったなぁ。。。
その他にも、 ラパスの中心部からバスで30分ほど山の上へ行った所にあるエルアルト(写真左)では、毎週木・日曜日に大規模な青空市が開かれている。
ここでは広大な敷地の中、古着や身の回りの生活用品をメインに、車やバイクのパーツ、電化製品からCD、DVDまで、生活に関する物から関係ない物まで、ありとあらゆる物が売られている。
ここで売られている古着は、主にアメリカから流れてきたものが多く、殆どは買うに値しないようなものばかりなんだけど、注意深く探してみると中にはラルフローレン、カルバンクライン、パタゴニア、コロンビア、ノースフェイス、L.L.Beanなどの有名ブランドの服も結構紛れ込んでたりする。
この大量の古着の山の中から宝探し感覚でそれらを見つけ出し、格安で買いつけるというのが、一部の旅行者の間ではちょっとした楽しみの一つとなっていた。。。(もちろん自分もその一人)
それもそのはず、地元の人にとっちゃノースフェイスだろうがパタゴニアだろうが知ったこっちゃないので、ここで売られてる服はほぼブランドに関係なくビックリするほどの安価で買えてしまうからだ・・・。(フリースで2〜5$、ジャケットでも5〜8$程度)
しかし最近では、日本人がノースフェイスやパタゴニアばかりを狙って集中的に買い漁るので、それを知った店側もこれらのブランドにだけは高値を付けるケースが多くなってきたという、、、
古着とは言っても殆ど着てないような新品に近いものもかなり多く、これだけ大量の新品同様の服が、アメリカではもう必要ないモノとして手放されているということにも同様に驚かされた・・・。
でも、、、もったいないとかなんとか言いつつも、自分もちゃっかりパタゴニアやL.L.Beanのジャケットなどの日本で買ったら数万円はするだろうアイテムを、たtった数百円という激安価格にてゲットさせてもらった。。。(嬉)
お次は滞在中たまたま開催されたフェスティバルの模様をどうぞ、、、
このお祭りは、複数のチームが思い思いに工夫を凝らしたコスチュームとダンスを披露しながら通りを行進していくパレードのようなスタイル。どうやらこの一週間後が本当のメインらしかったんだけど、うちらが観た日でも十分なぐらい盛大なものだった。
特に通りを埋め尽くすほどの数のインディヘナの女性達が、この日の為に用意したきらびやかな一張羅を身にまとい、右に左にと腰をヒネリながらちょっぴり照れくさそうな表情で行進する姿が実に印象的だった。
このパレード中は本当にみんな楽しそうな顔をしていて、普段はあまり自分から絡んでこないようなちょっと内気なボリビア人達も、このときばかりはお酒の勢いも借りつつ、思い切りオープンマインドでうちらの相手をしてくれた。
ということで、とりあえず一緒に踊ってみました、、、、(写真上右)
他にも宿で出会った仲間達数人と、たった2レーンしかないという一風変わったボーリング場へ遊びに行ったりもした。。。
このボーリング場は、おっちゃんが手で一本一本ピンを立ててくれるというアナログなトコで、ボールが戻ってくるときも、おっちゃんがレールにボールを乗せてから初めて戻ってくるという、今時何とも珍しいボーリング場だった。
こんな調子だからスコアももちろん自分達で手書きだし、よく見るとレーンもちょっと傾いてる。。。
こんなレトロなボーリング場は初めて、、、そりゃ、今の自動のヤツと比べたらいちいち手間が掛かるけど、そのアナログ感がうちらにとっては逆に新鮮で味わい深かった♪
それと、この町では最近調子の悪かったカメラを新しく買い直した。ウユニ辺りから激しい気温差と標高差のダブルショックせいでズームが壊れてしまってたのが、とうとう写真じたい撮れなくなってしまったのだ。
しかし、こんな日本から離れたトコにも関わらず、Canonのカメラが日本とあまり変わらないぐらいの値段で買うことが出来た。 で、安いついでに i Touch なんていうモノまで買ってしまった。。。
i Touch は前々から欲しかったアイテムだったんだけど、南米ではあまり売ってなかったうえに、仮にあったとしても日本よりも高くてなかなか手が出せないでいたのだ。
それが310$という今までで見た中で一番安い値段で売ってたのと、最近日本を発ったばかりの旅行者から聞いた日本の様子が切っ掛けになって、「コレで少しは日本と繋がれれば・・・」という切なる願いのもと購入を踏み切った。
当たり前といえば当たり前の事なんだけど、この1年半の間に自分達の知らないところで刻一刻と日本の社会が動いてるって事に軽い不安を覚えてしまったのだ・・・。
とまぁ、、少し話しがそれてしまったけど、うちらはこの町では特に観光らしい観光をしたワケじゃないけど、とにかく「食」に「買い物」、それと忘れちゃいけない「触れ愛」と、それらを満たすだけで十分充実出来ちゃうトコなんではないかと勝手に思ってる次第であります。。。
※うちらは大丈夫でしたが、ラパスは物騒な話も沢山聞くので、滞在する予定のある人は十分注意してください!!
(写真左)意外に綺麗だったラパスの夜景☆
(写真右)美味しそうなトカゲが大量に漬けられた瓶詰はいかが!?
2008年05月03日
世界最高所にある町
ボリビアの首都ラパスから南東に約450kmの所に位置する「ポトシ」という町は、標高 4,000 mという高地にあるため、人が住む都市としては世界最高所になるそうだ。
その世界で一番高い所にある町ポトシへ向けて、うちらを乗せたバスは午前10時にウユニの町を出発した。
セミカーマ(2ndクラス)と聞いてたけど、実際来たのはかなりのオンボロバス。。。最近乗ってた南米のバスと比べると雲泥の差だ。
それにポトシまでの道程も、険しい山の間をぬうようにして走ってるせいか、ボンヤリしてると思わず舌を噛んでしまいそうなほどのガタガタ道だった、、、
こんな調子で、ウユニからポトシまでの間は地図で見るかぎり大した距離でもないのに、何だかんだ7時間も掛かってしまった・・・。
ポトシの町は意外にも都会だった。。。 (最近居たトコに比べてだけど・・・)
で、着いて早々気になったのが、バスに書かれてる日本語がやたらと目につくコト・・・。
「草津なんちゃら旅館」とか「双葉なんたら幼稚園」とか、、、
というか、町を走ってる乗用車の殆どは10年落ちぐらいの日本車しか見かけない。。。
これまでの南米の国ではそんな事なかったのに、ここにきて急に増えた日本車の数にまず驚かされた。
これはこの国が南米最貧国というのと関係があるのか、ODAなどの援助的な意味合いもあってのことか、どちらにせよ、この国には日本ではもう需要がなくなってしまったぐらいの年式の車が大量に流れ込んできているようだ、、、
この町は世界最高所という以外にも、背後にそびえる鉱山が有名で、1987年に「セロ・リコ銀山」を含め、その他の構造物とともに世界遺産に登録されている。
ということで今回は、その「セロ・リコ銀山(写真下)」の採掘現場の様子を垣間見てきた。
まずは用意された作業着に着替え、長靴とヘルメットにバッテリー付きのヘッドランプ着用という、完全現場仕様に身をくるんだ。
次に鉱山で働く人達への差し入れとして、コカの葉、タバコ、アルコール、ジュースなどを市場にて購入(写真下左)。ついでにダイナマイトも三本ほど・・。
その差し入れを持っていよいよ鉱山の内部へと入ったわけだが、入ってすぐの所にデビルのような姿の石像が奉ってあった(写真上右)。
これは「ティオ」と呼ばれる、坑内の安全を守る神様だそうだ。
「何でデビル?」と思ったけど、彼らにとってデビルとは不吉な存在ではなく、強さの象徴であるらしかった。
このティオにたばこをくわえさせ、酒を捧げることによりご機嫌を取り、坑内の安全を祈願するのだそうだ。
その一方で、スペイン人をデビルに見立てて作ったという説も残っている・・・。
うちらもそのしきたりに従い、きちんとティオに安全祈願してから深部へと入っていった。中は真っ暗で、思いのほか狭く息苦しい、、、
驚いたことに、スペイン植民地時代当時にスペイン国内で流通していたコインの大半が、ここで採れた金や銀を使って作られたものだそうだ。。。
しかしその裏では、飯もロクに食べさせてもらえないような環境下で長時間にわたって重労働を強いられ、数多くの奴隷労働者がその環境に耐え切れず死んでいったという、、、
昔は強制的に集められたインディヘナの奴隷にまじり、数多くの黒人奴隷もここで働かされてたらしいが、今ではもうその姿もなかった。
実際に中で働く人の仕事ぶりも見学させてもらった。
上の写真に写ってるおっちゃんは、ここで「上の階層から落とされた土砂を外へ運びだす」という仕事を、なんと25年もの間ずーっと続けてきたという・・・。
それも見ての通り、今だスコップに荷押車という具合なので、見てるこっちが呆れそうになるほど効率が悪い、、、
日も当たらない暗く狭い穴の中で、疲労と空腹をコカの葉でごまかしつつ、来る日も来る日もひたすら穴を掘り続ける、というのは一体どういう心境なんだろう、、、
正直、今の自分からは想像すらつかないし、考えてみたところでとてもじゃないけど耐えられそうになかった・・・。
さらに、ここで働いてる人の給料は今でも歩合制のようなものらしく、実際に鉱物が出ないことにはいくら働いてもその給料は支払われないようだ。
その時の相場の影響なども大いに受けるとのことで、話を聞くかぎりではその生活は決して楽に見えようハズもなかった。。。
そんな彼らの唯一の支えである「コカの葉」も、最近になって政府が規制をしき始めたとかで、これにはみんな一丸となって抗議してると声を粗げていた。
この銀山、一説には800万人もの人が犠牲になったといわれており、別名「人を食う山」として恐れられていたそうだ。それは奴隷制度の象徴として「負の世界遺産」にも数えられているほど。
800万って言ったら、ナチスホロコーストの数倍の規模だよ、、、!?
悲しいかな、それだけの数の命が、ただ光ってるだけで腹の足しにもならないモノに対し費やされてきたってのが人類の軌跡のようだ、、、
実際のところ、金や銀に本当にそれだけの価値があったのかどうかなんて自分にはよく分からない、、、
けどその華やかな輝きの裏に、想像もつかないほど苛酷で、気の遠くなるような単調な作業が隠されている事だけは確かだった。
最後に、発破の時に使うダイナマイトを試しにその場で1本爆破してみせてくれた。
初めて目の当たりにしたダイナマイトの爆破は、それはそれは凄まじい音と衝撃だった、、、
でもその威力もさることながら、何処にでもある何の変哲もない露店で、それがフツーに売られてるとはさすがに思いもしなかったなぁ。。。
(形が形だけにまさかとは思ったケド・・・)
2008年05月01日
ウユニの夜明け
チリの北部、海抜2400メートルの荒野にある「サンペドロ・デ・アタカマ」という町から(写真下)、ボリビアの「ウユニ塩湖」へと抜ける2泊3日のツアーに参加してきた。
たまたま日本から短期旅行に来ていたカズさんと、アメリカ人と日本人のハーフのスダさん(顔は思いっきりアメリカ人・・)、イギリス人のリサと、もう一人の女の子(ゴメン名前忘れた...)
さらに、インディヘナのドライバーとそのファミリーが食事担当としてうちらの車に同乗した。
ツアー初日、特に何もないチリとボリビアの国境まではミニバスで向かい、そこからは険しい道が続く為、頑強なランドクルーザーに乗り換えた。
まず初めにホットスプリング(温泉)に寄ったのだが、あまりの寒さにうちらは服を脱ぐ気すら起きず足湯だけで済ました、、、
そんな中さすがというか何というか、イスラエル人や欧米人は寒さにも臆する事なく果敢に水着に着替え入浴。。。
この辺りにはいくつか湖があるのだが、周囲は乾ききった大地にもかかわらず、そこだけは豊富な水が存在していた。
そのうちの一つ、ピンク色をした湖ではピンクフラミンゴの群れが水浴びをしている姿を目にすることが出来た。
途中、かわいいリャマ(ラクダの仲間)の群れに遭遇(写真下)。
それにしても、頭上に広がる空が今まで見たことないぐらい近くて碧い、、、
それにつれ高度が着々と上がってきているせいか、心なし呼吸も苦しい。
ふと車内の高度計に目をやると、すでに標高4300メートル地点を指していた。
1泊目の宿に到着すると、着くなりすぐ「コカ茶」というモノが出てきた。
「コカ茶」とは、コカインの原料でもあるコカの葉を乾燥させたモノをお湯で煎じ、好みで砂糖などを入れて飲むこの地方特有のお茶で、高山病予防に効くとしてこの辺りの標高が高い地域では、古くからごく一般的に親しまれてきた飲み物だそうだ。
その昔ながらの知恵にあやかり、僕らもアンデスに居る間は、事ある毎にこの「コカ茶」をガブガブ飲んだ。
日が沈むと気温は一段と冷え込み、夕食の時点で氷点下7℃まで下がったが、食後は特にすることもなくただ寒いだけなので、20時頃には部屋の電気が消えた。
しかし、コレが良くなかった・・・・・。
高山病を防ぐには、呼吸が浅くなるのを避けるために”あまり寝ないほうが良い”って言われていたのだが、初日から寝るのが早すぎたせいで案の定体調を崩してしまったのだ。。。
高山病の代表的症状である“激しい頭痛”と“身体のダルさ”のせいで、夜中に何度も目を覚ましてしまった、、、、
仕方なく、完全に目が覚めてしまった4時ごろから、皆が起き出す7時までの間、これ以上症状が悪化しないようにと願いつつ、延々3時間近く深呼吸を繰り返した、、、
2日目の朝、その努力の甲斐もむなしく、頭は割れそうなほどガンガン痛い。。。
朝食のパンとチーズをコカ茶で何とか流し込んだものの、身体もまるで高熱が出た時のように重くてダルい、、、
しかも同じような症状がゆりにも出ていて、ゆりのほうは朝食すらまともに食べれないようなヒドイ状態になっていた。。。
でも不思議と他のメンバーは、「少し頭痛がする」と言ってるぐらいでさほどはヒドくはなさそうだった。 。。
朝食を食べ終えるとすぐ、ジープの屋根に荷物を積みこんで出発。
今日もいくつかの間欠泉やボルケーノ(溶岩地帯)、湖を巡った。
出発してから数時間、相変わらず激しい気持ち悪さと頭痛が続いている。
こんな状態じゃ正直景色を楽しむどころじゃない・・・。
それでも空は吸い込まれそうになるほどに澄み切った碧をしていた、、、、
ひたすら続く荒野と、たまに現れる湖だけの世界。
何処までも続く荒野をひた走り、エジプトの白砂漠にもあったような奇岩(写真下)をカメラに収め、あとは変わり映えしない湖をいくつか回る。
途中、「サンフアン」という何も無い小さな小さな町にも寄った。
ろくに作物も育ちそうにないような過酷な環境で、インディヘナの人達は質素につつましやかな生活を営んでいた。
2日目の宿は、なんと壁から家具までが全て「塩」で作られているという、その名も塩のホテル(写真下)。いつの間にか辺りは白(塩)一色の世界になっていた。
ここで二日ぶりのシャワーを浴びてから晩飯を食べた。この頃になると、ようやく言うことを聞かなかった身体が落ち着きを取り戻し、次第に高度にも順応してきたようだった。
夜9時、発電機が止まるのと同時にすべての電気がパタッと消えた。試しに持ってる服をフルに着込み、ホテルの外へと出てみた。
思った通り、空の上にはこぼれんばかりの星空が広がっていた。空気が澄んでるうえに周辺が真っ暗な為、流れ星が数分おきにビュンビュンと頭上をかすめる。
さすが日本の真裏だけあり、そこには今までに見たこともないような星座ばかりが輝いていた、、、
3日目の朝は塩湖の真上で日の出を見るというスケジュールの為、まだまっ暗な夜中のうちにホテルを出発した。
ジープは暗い塩湖の上を、時速100km以上のスピードで爆走する。なぜか時折ライトを消しながら走ったりするので、衝突しやしないか冷や冷や・・・。
その状態で走ること30〜40分、突如その島は現れた。朝日のビューポイントである「フィッシュアイランド(魚の島)」に着いたのだ。
そこは、まさに塩湖のど真ん中にポツンと佇んでいる離れ小島で、奇妙にも岩肌には大量のサボテンが寄生していた。
そのサボテンのシルエットが月明かりに照らされ、その姿は得もいわれぬミステリアスな雰囲気を醸し出している。
すでに辺りが明るくなり初めていたので、駆け足でこの島の頂上を目指す。
しばらくすると、闇夜から覚めたばかりの青白い地平線から、朝日のやわらかい光りが遮るものなく何処までも果てしなく広がっていった。
一瞬、全ての時間の流れが止まったような感覚、、、、
目の前に広がってる光景はとてもじゃないけどこの世のものとは思えない、、、
360°見渡す限り真っ白な世界に、微かに遠めに映る頂に雪を被った山々、、、
さらに自分達が立っているサボテンだらけの不思議な小島の存在、、、
そのシュチュエーションのすべてが揃って初めて、今までに観たこともないような幻想的な夜明けが創造されたようだ。
これは旅に出てから迎えた数多の夜明けの中でも、特別スペシャルなものになった、、、
不意に「色々あったけど旅を続けてきて本当に良かった・・・」という想いが胸の奥底から込み上げてくる、、、、、
そんな想いをひしひしと噛み締めながら島をおりると、そこには温かいコーヒーとカチカチに冷えたパンが用意されていた。
冷えきった身体を温かいコーヒーで暖めた後、今度は思い思いに塩湖の上での記念撮影を楽しむ♪
ココには「白い」地面と「青い」空しかない。。。
だから、撮れる写真はどれも不思議と遠近感がなくて面白いのだ。。。
こんな調子で、気づくと3時間以上も熱中しちゃってたほど。。。
やっぱ面白い写真を撮るっていうのは年甲斐にも無く楽しい♪
その日の午後にはウユニの町へ到着し、昔使ってた鉄道が捨てられている「鉄道墓場」のような所を経て、昼食後にツアーは解散となった。
今回は激しい環境の変化で苦しんだりもしたが、良いメンバー&良いガイドにも恵まれ、いつにも増して思いっきり楽しませてもらった♪
そして、今でも信じられないくらいとびっきり幻想的だった惑星地球の夜明けに立ち会えたという事実、、、、、
それは間違いなく、永遠の記憶として僕らの魂に深く刻み込まれたことでしょう・・・・・。
これは後になってから聞いた話ですが、僕らが「フィッシュアイランド」で夜明けを迎えた朝、同じタイミングでその場に居合わせたイスラエル人のグループのうち数人が、その帰り道に日本人観光客を乗せた車と正面衝突し、イスラエル人グループ側のドライバー1人を残して全員死亡したという話を聞きました。
ドライバーも客と一緒になってお酒を飲んでたとかいないとかっていう話も聞きましたが、あれだけ広大で視界を遮るものが一切無い塩湖のど真ん中で、それが日中の事故だったというから本当に驚きました。
さらに少しタイミングが違ってたら、これはうちらに起きててもおかしくなかったという事を思うと、全身の身の毛もよだつような思いでした。
亡くなった方々には本当に気の毒ですが、僕らとしてはこういった冒険旅行の裏には常にこのようなアクシデントが起きる可能性をはらんでいるということを改めて肝に銘じ、この出来事を受け止めたいたいと思います。
(写真上左)塩湖の表面は、固まった塩の結晶が亀の甲羅のような幾何学模様を描きだしていてアートしてる・・。
(写真上右)塩湖の表面をかき集めて山にし、乾燥させたものが商品として出荷される。この塩で塩ラーメンを作る人も居る・・。
(写真下左)塩のホテルで会った赤ちゃんと多分そのお姉ちゃん。お姉ちゃんの鼻下が寒さと乾燥で擦り切れて痛そうだった・・。
(写真下右)確かリャマの肉だったと思うけど、堅いし独特のクセがあって僕は正直苦手でした・・。